累風庵閑日録

本と日常の徒然

『葛山二郎探偵小説選』 論創社

●『葛山二郎探偵小説選』 論創社 読了。

 描写のくどさがしんどい作品もあるし、ページ数が足りないのかいろいろ置いてきぼりになっているような作品もある。だが概ねは佳作・秀作・傑作で、全体として上出来の短編集であった。捻りと切れ味、伏線とロジックという要素が多くて私好み。

 気に入った作品は数が多いので、題名だけ挙げておく。
「偽の記憶」、「赧顔の商人」、「杭を打つ音」
「赤いペンキを買った女」、「霧の夜道」、「暗視野」
「染められた男」、「古銭鑑賞家の死」
といったところ。なかなかの高打率である。

 収録作中の双璧は「雨雲」と「後家横丁の事件」で、伏線も推理もあり、殺人手段にもひと趣向あり。前者には(伏字)ネタがあり、後者には物事の意外な関連が明らかになる驚きがある。どちらも高密度な作品であった。

 別格として、「花堂氏の再起」を挙げておく。外出中に移動する枕、次々と増える家具、という奇妙な謎が、人を食った真相にたどり着く。いわゆる本格ミステリとは別枠の秀作。

●お願いしていた本が届いた。
『深海の殺人』 R・キング 湘南探偵倶楽部
『R岬の悲劇』 大下宇陀児 湘南探偵倶楽部

「清姫の帯」

●かつて取り組んでいた「横溝正史の「不知火捕物双紙」をちゃんと読む」プロジェクトは、全八話のうち七話目まで読んで無念の中断をしていた。最終第八話「清姫の帯」のテキストが、入手できていなかったのである。ところが今回ありがたいことに、某方面から全文を入手することができた。

 というわけで今月は、現在月イチで取り組んでいる「横溝正史が手掛けた翻訳を読む」プロジェクトを一回休みにして、「横溝正史の「不知火捕物双紙」をちゃんと読む」の第八回をやることにする。

清姫の帯」
 とある修験者が、締めていれば想う男に添えるという触れ込みの、清姫の帯と称する奇天烈なもの売り出した。年頃の娘を信者として相当流行ったが、いつしかこの帯を締めていれば身に災いが降りかかるという噂が立った。というのがオープニング。

 旗本山壁三之丞のもとに、下谷小町と謳われたお粂が輿入れした。ところがお粂は初夜の晩に寝所から姿を消してしまう。臥所には清姫の帯が残されているばかり。

 三之丞が見ている前で、屏風の陰から釣り竿でその帯を手繰り寄せる者がいる。曲者に斬りかかった三之丞だが、あべこべに手傷を負わされる。手元に残ったのは、曲者が逃げるときに慌てて半分に斬ってしまった帯だけ。お粂は、曲者が持って逃げた方の半分で、首をくくられた死体となって発見された。

 どうも、展開が荒っぽい作品である。殺しと真相とが、吊り合いが取れていないようだ。呪いの帯という趣向は派手だが、結末はあっけない。メインのネタはルブランからの借用らしいが、そのネタを活かすための伏線もなし。背後の事情もなし。不知火甚左が主体的に事件解決に取り組んでおり、シリーズのなかでは珍しい方か。

●続いて、改稿版人形佐七バージョン「清姫の帯」を読む。春陽文庫には未収録で、出版芸術社の『幽霊山伏』に収録されている。

 基本骨格は同じだから、事件の面白味はさほどではない。興味深いのは、改変部分である。まず人名の違い。下谷小町改め割下水小町の名前をお粂のままにしておくわけにはいかない。これはお糸になっている。輿入れ先の旗本は、青山主膳に変更。中盤以降に重要な役割を果たす色悪は、服部半次郎から小杉直次郎へ。その情婦は清元の師匠で、小満壽から延美津へ。

 人物造形も変更されている。最も興味深いのは、件の旗本である。好色で小心で武門の心得も覚束ない三枚目から、色好みではあるが粋で捌けて金離れがよく、度量も広い好人物になっている。さらに、佐七とは昵懇の間柄という設定もある。この変更はおそらく、主人公が旗本の甚左から一介の岡っ引きである佐七に変わっていることに関連するのだろう。

 終盤で、事件解決のために主人公が旗本に対してある無礼な態度をとる。相手が旗本ならいざ知らず、岡っ引きの無礼をあえて許すのは、佐七の人柄を知っていて何か仔細があるに違いないと判断できる人物だからこそである。

 主人公が事件に接するのは、子分と一緒に夜道を歩いているときである。歩いている理由は、甚左版では博打に負けてすっからかんになっての帰り道、佐七版では某所から捜査を依頼されて出向いてみるとすでに解決済みで無駄足になった帰り道、というと違いがある。佐七に博打をさせるわけにはいかないのだ。

 その夜道で出くわした怪漢に、甚佐は腰の小柄を投げつけ、佐七は小石を拾って投げつける。帯刀していない佐七が小柄を投げることはできない。

 以上は、主人公の変更に伴う改変である。それ以外にも、作品の出来栄えにかかわる改変がいくつもある。まず、お粂改めお糸の造形が変更されている。今日の日記はいい加減長くなっているので詳しくは書かないが、佐七版の方が深みがある。さらにこの改変は、旗本の造形変更と結びついて味のあるエピソードを成している。

 色悪の半次郎改め直次郎も同様に、佐七版の方が性格が深掘りされている。そればかりか出番が増えて、事件解決にも一役買っている。清姫の帯を売り出した修験者一心堂覚水のプロフィールは、佐七版の方が詳しくなっている。この違いが背後の事情にも関連して、事件の厚みを増している。

 佐七版では、メインのネタに関する伏線がきっちり張ってある。よくあることだがちょっとしたお色気と、お粂との一幕も追加されている。わずかに書かれている関係者のその後についても、佐七版の方が詳しい。

 以上、佐七版の方がぐっと完成度が高まっている。こういうのが、比べ読みの面白さなのである。

●最後に、金鈴社の新編人形佐七捕物文庫第三巻『松竹梅三人娘』に収録されている「清姫の帯」を、ざっと眺めておく。ぱらぱらとページをめくった限りでは、出版芸術社版と異同はなさそう。

●「横溝正史の「不知火捕物双紙」をちゃんと読む」プロジェクトは、約二年間のブランクを経てここに完結した。めでたいことである。

『眺海の館』 R・L・スティーヴンソン 論創社

●『眺海の館』 R・L・スティーヴンソン 論創社 読了

 時代がかった台詞回しと、民話めいた素朴さと、一筋縄ではいかない少々の皮肉と、デフォルメの効いた人物造形と。本書を読んで感じるのは概ねそんなところ。ミステリの周辺書といった内容で、論創海外ミステリで出すのはちと不思議である。だが、何しろクロフツの宗教書を出したレーベルである。実は不思議でもなんでもないのだろう。

 以下、読み所と言えそうな要素を書いておく。表題作「眺海の館」は、敵の襲撃が迫るにつれて高まってゆくサスペンス。「マレトロワ邸の扉」は、不可解な状況設定に追い詰められてゆく主人公の混乱。「神慮はギターとともに」と「宿なし女」は、人物造形。具体的には前者の、芸術に身を捧げて生きるレオンの快活さと、後者のオイドの、分かりやすい愚かさ浅はかさである。

 二十の掌編から成る「寓話」は、皮肉なオチのもの、にやりとするもの、想像をめぐらす余地のあるもの、さっぱり理解できないもの、とバラエティに富んでいて、収録作中では最も面白く読んだ。

『正木不如丘探偵小説選I』 論創社

●『正木不如丘探偵小説選I』 論創社 読了。

 伏線、ロジック、意外な真相、あるいは捻りや切れ味。そういった観点で評価してはいけない作家のようだ。巻末解題に曰く、マニア向けではないからこそ「枠にとらわれない面白さがある」だそうで。そういうことなら虚心に読んでみようとするが、どうも心細い。上記のような特徴のない、さして起伏のない、感心するような結末もない作品の、いったい何を面白がればいいのか。それぞれの作品が短くて、さっと読めるのが取り柄。と書いてしまうと、作家の原稿を紙の目方で買うような話になって、あまりに身もふたもないけれども。

 そんななか、ちょっとでも気持ちが引っ掛かった作品をいくつか挙げておく。怪談がかった味で悪くないのは、「椰子の葉ずれ」、「髑髏の思出」、「県立病院の幽霊」、「お白狐様」といったところ。「通り魔」は題名が効いている。

 収録作中のベストは、「手を下さざる殺人」である。ともかくも伏線があって推理があって殺人手段の趣向がある。ただもう、ある、というだけでベストの称号を差し上げたい。

 次点は「殺されに来る」である。薬売りの造形が不気味。喋る内容から異様な人間性がほの見えてくる。村の日常は、なにやら陰湿な闇が日常茶飯のようでいてこれも不気味。「青年会にはまったく無関係な貧乏人の家」なんて記述は、酷薄な社会的差別の存在をうかがわせる。そして物語の結末は、意外な方向に意外な広がりを見せて吉。

 ベストではなく最も気に入った作品として、ミステリ味が極めて薄いユーモアコント「本人の登場」を挙げておく。親が金持ちなのをいいことに、仕送りの金でのらくらしている道楽学生。最近、若年だからと軽く見られることに嫌気がさしている。いっぱしの紳士としてちやほやされたいという情けない動機で、有名人を騙ることを思い付いた。偽名で温泉宿に泊まった学生の前に、名前を騙られた本人が登場する。

 その本人の名前が山木如電なのだから、作者の分身を登場させたユーモア譚であることがはっきり示されているようなものだ。学生も如電も、どこか呑気でいい加減。学生が「犯罪計画」を練るにあたって全国の温泉をあれこれ物色する下りや、如電が学生の存在に気付く経緯には、どことなくとぼけた可笑しさが漂う。こういうのは好みである。

『妹尾アキ夫探偵小説選』 論創社

●『妹尾アキ夫探偵小説選』 論創社 読了。

 「十時」は型通りの展開だが、その型が私好み。どうやら妹尾アキ夫の持ち味とはちょっと違っているようだが。中盤のサスペンスが上々なのが「スヰートピー」、「人肉の腸詰」、「本牧のヴィナス」といったところ。

 「深夜の音楽葬」の後味の悪い結末は、それはそれで記憶に残る。「密室殺人」は、この作者には珍しく伏線が効いている。特異な真相も含め、ちょっとした良品。

 収録作中のベストは「赤い眼鏡の世界」で、幻想譚じみた話が一転して意外な着地を見せる。次点は結末が上手く決まった「壜から出た手紙」と「戦傷兵の密書」とで、特に後者は中盤の話の広がりもなかなか。

二松学舎大学オープンキャンパス

二松学舎大学オープンキャンパスイベントで、横溝正史を題材にした模擬授業があるという。イベントの目的は来春の入学生募集にあるようなので、私ごときはまるでお呼びでない。それでも、参加資格に特に制限がないので、教室の隅っこで遠慮しているつもりで聴講してきた。

 聴いたのは、山口直孝文学部教授による『横溝正史『鬼火』から近代文学を考える -谷崎潤一郎・探偵小説・ライバルの物語-』である。以下、ごく簡単に内容を整理しておく。

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 今年度から、複数の大学にまたがって近代日本探偵小説研究の基盤整備という取り組みが始まっている。純文学と比べれば探偵小説の研究は立ち遅れているので、まず基盤を整えることから始める。各大学が所蔵している資料のデジタル化、データベース化を進める。二松学舎大学でも、横溝正史の草稿・原稿をデジタルスキャンして整理に取り組んでいる。

 本日紹介する「鬼火」草稿関連の話は、その中間報告の意味もある。主な内容は二つ。草稿の研究によって「鬼火」の成立過程を推定し、作者の苦心の跡をたどる。先行する文学作品との比較から、「鬼火」の文学史における位置付けを考える。

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 二松学舎大学では、「鬼火」の原稿を八枚所蔵している。その中には、同じ場面を描いた異なる草稿が含まれている。それらと完成版とを比較して見えてくるもの。

改稿の進展に従って
・直接的な心理描写を減らし、しぐさや表情で心理を描くようになっている
・表現が洗練され、苦心の跡が見える
・探偵小説的な表現の工夫も見受けられる

「続・途切れ途切れの記(二)」によれば、「鬼火」の原稿は事前に頭の中で隅々まで決めておいて、一日二枚ずつ書き進めていったものだという。ところが実際は、最低でも二回書き直されている。しかも小手先の改変ではなくて、内容にかかわる部分にまで念入りに手を入れている。

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 二人の似た者同士が才能や女性の愛情を巡って争う枠組みの物語は「教養小説」と呼ばれ、代表的な作品に谷崎潤一郎の「金と銀」がある。このようなモチーフの作品は千九百十年代以降に多く書かれている。「鬼火」も教養小説の系譜に位置付けることができるが、それらの作品より十五年から二十年後に書かれている。

「鬼火」は、従来の教養小説の枠組みをそのまま踏襲してはいない。谷崎潤一郎の作品では家族関係が希薄だが、正史の場合は家、家族、出身地の土俗的な要素を背負わせている。これが遅れて書かれた横溝作品の独自性。教養小説というジャンルのすそ野を広げ、より広く大衆向けに提供している。

 このように見てゆくと、純文学と大衆文学の一ジャンルとしての探偵小説とはつながっていて、両方を視野に入れながら文学史を考えていかなければならないのではないだろうか。

『古書ミステリー倶楽部II』 ミステリー文学資料館編 光文社文庫

●『古書ミステリー倶楽部II』 ミステリー文学資料館編 光文社文庫 読了。

 今回はどうも、やや低調であった。そのなかで気に入ったのは、以下のような作品。

 横田順彌「姿なき怪盗」は、謎の設定は強烈だったが結末がちと不満。その不満点に関しては、巻末解説の記述になるほどと思った。北原尚彦「愛書家倶楽部」で扱われている題材はグロテスクなものであるが、一方で確実にある種の魅力を感じる。結末の切れ味もお見事。

 土屋隆夫「異説・軽井沢心中」は、作中の仕掛けが丁寧で感心する。逢坂剛「五本松の当惑」は、謎の解釈が二転三転する展開に魅力がある。

クリスピン本

●お願いしていたクリスピン本が届いた。
『Murder, She Drew Vol.1 Beware of Fen
 素晴らしい。ぜひとも既訳作品を全て読まなければ。そうしないと、特に後半がネタバレ前提のこの本を十分に味わえない。

●今日から読み始めた論創社の妹尾アキ夫が、都市・夜・綺譚といった作品が多くてだんだん飽きてきた。なにしろスティーヴンスンの都市綺譚から続けざまだから、そりゃあ飽きもする。こいつは中断して、明日からはたぶん別の本を手に取るだろう。

『新アラビア夜話』 スティーヴンスン 光文社古典新訳文庫

●『新アラビア夜話』 スティーヴンスン 光文社古典新訳文庫 読了。

 論創海外の新刊、スティーヴンソン【ママ】『眺海の館』は、「新アラビア夜話」第二巻をベースに編集されているそうな。この本は今月中に読みたいと思うが、まずは準備として、積ん読だった第一巻を先に読むことにする。

「自殺クラブ」と「ラージャのダイヤモンド」との二つの大枠の中に、相互に関連のある短編が、前者には三編、後者には四編含まれている。主人公を変えながら全体の大きな流れが語られてゆく構成はちょっと面白い。

 内容は都市綺譚、というやつである。冒険を求めて彷徨う者にきちんと題材を提供する、夢幻都市としてのロンドンが魅力的。実際のところ、今の目で見ると扱われているネタはどこかで読んだようなものが多いのだが、それは今の目で見る方が悪いのであって。虚心に読めばなかなかのものである。

「クリームタルトを持った若者の話」のカードを配る場面と、「医者とサラトガトランクの話」の死体を詰めたトランクのエピソードと、そこに漂うサスペンスは上々。「二輪馬車の冒険」の、空き家を一時的に飾り立てて開催されるパーティーの謎なんて、ちょいと魅力的ではないか。「丸箱の話」でひどい目に遭うハリー君は、哀れではあるが自業自得の面もあって、微妙に可笑しい。

●いい機会だから、TOMOコミックス名作ミステリー、劇画/石森プロの『自殺クラブ』も読んでみた。「死のトランプ」と「王のダイヤモンド」の二編が収録されている。

 原典第一話の結末を変え、その内容だけで「死のトランプ」と題している。つまり、第二話第三話はばっさり削られているわけだ。「ラージャのダイヤモンド」の四編を合成して一編に仕立てた、「王のダイヤモンド」の方も大胆なアレンジで。原典第四話第七話はわずかに痕跡を残すのみ。第五話第六話のエピソードを大幅に簡略化して改変を加え、全体を再構成している。

 味わいも変わっており、都市綺譚というよりは怪奇アクション寄りに。鎧を身にまとった怪人物の襲撃や格闘シーンが追加されている。

●だんだん調子が出てきた。

 いい機会だから、あかね書房の少年少女世界推理文学全集第十八巻『ジキル博士とハイド氏』から、同時収録の「自殺クラブ」をちらりと覗いてみた。こちらは原典の三話をそのまま採用している。省略があるのかどうかは分からないけれども。

●ついでだから書いておく。「自殺クラブ」の冒頭で青年が配っているのは、光文社版ではクリームタルト、TOMOコミックス版ではクッキー、あかね書房版ではシュークリームとなっている。手元にあるけど読まなかった福武文庫『自殺クラブ』では、クリーム・パイである。

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『ドルの向こう側』 R・マクドナルド ハヤカワ文庫

●『ドルの向こう側』 R・マクドナルド ハヤカワ文庫 読了。

 いろいろあって読書時間を確保できず、ついさっきまで読んでいた。今から感想を文章に仕立てる時間はないので、読んだという記録だけ。真相は複雑で悲劇的な、いつものロスマク流。