いやはや、どうにもこうにも。
「デパートを燃やせ」という副題が付いている。産業スパイを題材にした小説である……一応は。北銀座デパートの中枢には秘密の情報部があり、所属する機密情報部員の顔も名前も秘匿されてコードネームで呼ばれている。彼らは数々の秘密兵器を駆使して、ライバルデパートとの経済戦争に打ち勝つため日夜活動しているのだ!
という背景設定はギャグすれすれである。名称だけで実態は描かれないが、忍者部隊なんてのも編成されているらしい。
敵対するライバルデパート松島屋が仕掛けるスパイ戦に巻き込まれた主人公、一般社員の麻生マユミ。ところがこの人、妙に影が薄い。物語の半分は情報部長毒島英三率いる情報部員の活動が描かれる。情報を漏らした疑いのある専務秘書を捉えて自白剤を注射して尋問したり、敵のスパイの疑いをかけた一般社員を捉えて監禁して拷問したり。
彼らが使う秘密兵器はたとえばこんなの。詰め替えタイプで複数の特殊薬を吹き出す香水瓶型噴霧器。超小型超長距離無線機(マイクは直径三センチの小ささ!)。敵ビルの外壁にワイヤー付きの楔を喰い込ませ、そのワイヤーを伝って空中から忍び込む、そんな特殊任務に使う楔発射バズーカ。麻痺性の毒針を発射するペンシル・ガン。敵の衣類などの金属部品を狙って遠距離から電流を放つ瞬間放電器。などなど。これでは「ぼくのかんがえたさいきょうのスパイ」である。作者はどこまで本気で書いたのだろうか。
文章もまた、なかなか香ばしい。様々な情報が会話や独白の形で、せりふで説明されるのだ。上記の秘密兵器の機能も性能も、毒薬の効能も、物語の背景も、事件の展開も、みんな長々としたせりふで語られる。もちろん相手に聴かせるためではなく、読者に説明するためである。
刊行は今から五十年前、六十四年である。その前年にジェイムズ・ボンドの映画第一作「ドクター・ノオ」が日本で公開されている。大藪晴彦の「野獣死すべし」は五十八年の作品である。当時のスパイブームや、小説や映画のハードボイルド系アクションストーリーがこの作品にどれほど影響を及ぼしているのか知らないが、”非情な”という形容がやたらに出てくるのが今となっては微笑ましい。