●早朝の電車で金沢を発ち、高岡に移動する。ちょいとしたマニアックな用事で、二時間ほど滞在する。ついでに、偶然見つけた高岡大仏とやらを見学する。日本三大大仏のひとつだそうな。が、その呼称は自称だってえのが微笑ましいではないか。
知らなかったが、高岡には国宝の寺院があるそうな。時間がなくて行けなかったのが残念。高岡の街もいつかゆっくり味わってみたい場所である。
●あとはもう帰るだけ。特急料金を節約するため、越後湯沢からは延々在来線に乗り続けて疲れた。清水トンネルを抜けた辺りの紅葉がちょうどいいタイミングで、見事であった。
●今回金沢に泊まったことで、全国都道府県の全てで宿泊したことになる。だからどうってこともないが、よくもあちこち行ったものである。
「渦の中の女」と比較して、事件の骨格すら改変が加えられているし、展開も格段に複雑になっている。そのおかげで、改稿前後の読み比べにつきまとう”作業感”がなかったのが嬉しい。登場人物それぞれの造形がしっかり書き込まれているのは、正史が意識したことらしい。あとがきにはその辺りの事が書いてある。また同じくあとがきによると、書き始めの頃は童謡殺人の趣向も想定されていたという。ということは、開巻早々に見つかるタール漬けの死体も、何かの童謡の見立てだったと思われる。その歌が何か、気になるではないか。
他に気付いた点。金田一耕助の一人称で、「わたし」と「あたし」が混在している(P355、356)。これはそのまま角川文庫版に踏襲されている(緑三○四版 P469、470)。
東都版と角川版とを詳細比較すればまだまだネタは出てくると思うが、それは誰か他の人にお任せする。「渦~」との比較よりもこっちの比較の方が、いろいろ面白いかもしれない。