累風庵閑日録

本と日常の徒然

『オップンハイム集』 博文館

●『オップンハイム集』 博文館 読了。

昭和四年に刊行された、世界探偵小説全集第十六巻である。収録作「日東のプリンス」は、こんな話。大西洋を航海中、船室に閉じこもって人交わりをしなかった謎の紳士。上陸したリヴァプールで特別列車を仕立てて一人きりで乗り込んだが、列車がロンドンに着いた時には既に殺害されていた。その後一日経たぬうちに、再び不可解な殺人が。

事件を担当するのはヂヤックス警視。捜査線上に浮かんでくるのが社交界でも度々噂に上る日本人、プリンス麻伊世(まいよ)。日米英三国間の緊張状態を背景に、上流階級の能天気な社交の裏で行われる政治的暗闘と、ヂヤックス警視の執念の捜査を描く。

被害者しか乗っていないはずの、走行中の列車内での殺人というネタはいかにもミステリじみて、どういう解決を見せてくれるのか期待が高まる。だがこの作品はそもそも、殺人の謎とその解明の面白さを主眼としたものではないらしい。派手なアクションもなく、奇天烈な捻りもなく、驚きのトリックもない。お上品で平坦な展開のスパイ小説……と言っていいものか。

まるでつまらない訳ではない。某所で凶器が発見されるシーンのサスペンスなんか、そつなく描けていると思う。だが、ページをめくる手が止まらないほど面白くもない。冷静な平熱で、ふうん、よくできていますね、と思う。オップンハイムは当時人気作家で大変な多作だったというから、たぶん他のどの作品を読んでも、きちんと同水準の面白さに仕立てられているのだろう。

このプリンスが陰影のあるスーパーマンとして描かれているのがちょっと面白い。女性受けするプリンスに嫉妬して、ぐだぐだ悪口を言う若き英国紳士が、いかにも人間臭くてそれも面白い。読んでいる間中、脳内映像でのプリンスの配役はジョン・ローンだった。

おまけとして収録されているのがル・キューの「密偵の告白」である。むしろこっちの方が面白かった。短編集から四編を抜粋して統一題名を付けたもの。新青年なんかに横溝正史が別名義で書いていそうな綺譚「近代的犯罪」と、幼児を助けたことからおぞましい犯罪に巻き込まれる「女の中指」が秀逸。

今となっては忘れられた作家であるオップンハイムとル・キュー、特に前者は初めて読んで、その味わいが分かったのが収穫である。