●『暗い廊下/グレイ・ファントム』 S・オーモニア/H・ランドン 春陽堂 読了。
探偵小説全集第十四巻の後半、H・ランドンの「グレイ・ファントム」をようやく読んだ。怪盗グレイ・ファントムの活躍譚である。怪盗は既に引退しており、前非を悔いて善人になろうと志している。そんなとき世間を騒がしているのが、シェー氏と名乗る謎の悪漢。手口がかつての自分とそっくりなところから、怪盗は一時引退を撤回し、懲らしめてやろうと立ち上がった。というのが基本ストーリー。かつての怪盗対現役の怪人の闘いである。なお扉の表記は「グレイ・ファントム」で、目次と本文頭の題名は「灰色の幻」の表記にグレイ・ファントムの振り仮名が付いている。
ところどころでこちらの勝手な想像を微妙に外してくるのが味わい深い。怪盗は本名が明らかになっているばかりか、ライヴァルの警部を含む多くの人間に顔も知られている。闘うためにニューヨークに潜入した怪盗だが、何人もの人間にたやすく正体を見破られてしまう。何だこれ。
ひとつの場面を長々と書く作風のようで、展開にあまりスピード感がない。正体を隠しているシェー氏が表に出るわけにはいかないので、怪盗対怪人の正面切った対決がほとんど描かれず、シェー氏ってばやや精彩に欠けるようだ。一般の医者には解毒方法が分からない特殊な毒薬が登場して、死ぬまでに解毒剤を入手できるかというタイムリミット・サスペンスの要素は、ちょっと読ませる。クライマックスで怪盗に降りかかるピンチの畳み掛けも盛り上がった。ピンチを切り抜ける手段が(伏字)だったのにはカックンときたけど。
全体を通して妙な既視感が付きまとっていたのだが、読了後に考えていて気付いた。『ミッション:インポッシブル』だの『ボーン・アイデンティティー』だの、新しめのスパイ・アクション映画を連想するのだ。そのエッセンスは、裏社会の異能者が同じく裏社会の巨悪と対決してその野望を打ち砕く娯楽アクションである。欧米の大衆娯楽に、ある物語の定石が脈々と流れていて、グレイ・ファントムもイーサン・ハントもジェイソン・ボーンも、さらにはジェイムズ・ボンドもその同じ潮流に乗っているのではなかろうか。いや、適当なこと書いてるけれども。
さて、これでシリーズ第一作を読んだ。次はタイミングをみて、横溝正史が訳した「灰色の魔術師」を読んでやろうと思う。