●「横溝正史の『鷺十郎捕物帳』をちゃんと読む」プロジェクト。今回は第三話「敵討走馬灯」を読む。
風流旗本賀川大橘(かがわだいきつ)、ある秋の晩に向島百花園で催された虫聴きの会で、座興にまかせてつい喋ってしまったのが、昔の懺悔話である。名刀欲しさに人を殺して奪ってしまったというのだ。陰惨な話に座が白け、そのまま会はお開きに。賀川の御前も帰ろうとするが、駕籠が見当たらない。誰かが間違って乗って行ったらしい。
しょうがないので、同じく会に招かれていた鷺十郎と同道でぶらぶら歩いて帰る途中、打ち捨てられた駕籠に出くわした。中には脇腹を抉られた札差遠州屋が。どうやら間違って駕籠に乗った遠州屋が、賀川家の提灯を目当てに人違いで襲撃されたらしい。先ほどの話で賀川の御前が敵と知った、何者かの仕業か。やがて第二の事件が勃発する。
鷺十郎がちっとも活躍しない話である。彼の行動は関係者の告白を引き出すきっかけでしかなく、事件の真相はみんな関係者が喋ることで明らかになる。ライバルの藤井勘左衛門も子分の茂平次も登場せず、つまり事件を捜査する側がまるで希薄で、精彩がない。正史先生ってば、考えたストーリーを捕物帳の形式に練り上げる熱意が乏しかったのかもしれない。
終盤で描かれる敵討の場面が、なんとも破天荒。この展開はなんたることか。
●続いて改稿版佐七バージョンを読む。題名は変わらず、春陽文庫第四巻『好色いもり酒』に収録されている。
事件の基本構造は変わっていない。主人公とその周辺を入れ替えただけで、概ね同じ話である。些細な変更点として、冒頭の虫聴きの会の場所は向島花屋敷になっている。
基本構造は同じだが、いくつか展開に改変が施されている。
(改変その一)
遠州屋の襲撃は、逃げ出したお駕籠の衆が花屋敷に急を知らせることで発覚する。
(改変その二)
ある登場人物二人の関係と出自とが、辰と豆六の調査によって中盤には読者に提示される。鷺十郎版では最後まで伏せられている。
(改変その三)
終盤の敵討ちの場面が、不思議な茶番劇に書き換えられている。いかにも苦しい。鷺十郎版では、ここで実際に「やっちまう」のである。このシーンは物語の基本構成要素なので、丸ごと省くわけにはいかなかったということか。
(改変その四)
第二の事件で主人公が真相を見抜く手がかりとして、鷺十郎版で提示された二つ以外に、証言の矛盾が追加されている。
特に第二、第四の改変のおかげで、ミステリとしての質が向上したと言える。
●お次は佐七版のバリエーションを確認する。昭和二十五年に春陽堂から出た『人形佐七捕物帖』に収録されているものを読んでみる。春陽文庫版とほとんど同じだが、虫聴きの会の場所は向島百花園である。上記の第四の改変は、このバージョンでは見られない。
●事のついでに、春陽文庫旧版、全二巻本のうち『雪女郎』に収録されているバージョンを確認すると、ここでも証言の矛盾は書かれていない。この本の刊行は昭和四十三年である。証言の手掛かりは、比較的新しい追加情報ということになる。