累風庵閑日録

本と日常の徒然

出世競べ三人旅

●「横溝正史の『鷺十郎捕物帳』をちゃんと読む」プロジェクト。今回は最終回第五話の「出世競べ三人旅」である。一度死んで生まれ変わることで厄を落とす儀式として、生きたまま葬儀を行う生葬礼が催された。主催者である木場の大尽が、死ぬ真似をして仮に葬られるはずのところ、なんと本当に毒殺されてしまった。

 相変わらず、鷺十郎はぱっとしない。事件の背景は複数の関係者が相次いで喋ることで判明する。鷺十郎の役割は、レコーダーの再生ボタンをちょいと押すだけのようなものである。このシリーズでは前からそんな傾向があったが、今回はさらにエスカレートして、周辺情報は生葬礼を見物に来た野次馬同士の噂話という形で読者に提示される。捜査で様々な情報が判明するという、捕物帳の常道をかっ飛ばしているのである。

 どうやって毒を盛ったかのハウダニットがミステリ的な興味だが、なんと(伏字)。これではミステリの体を成していないようだ。鷺十郎が下手人を見抜いた根拠もよく分からないし、結末はあっけないというよりは唖然とするようなもの。なんじゃこりゃ。

●続いて改稿版佐七バージョンを読む。題名は同じで、春陽文庫の『鼓狂言』に収録されている。登場人物の名前が変わった以外、大筋は鷺十郎版と同じ。なぜ(伏字)のかという二点について説明が加えられ、話がもっともらしくなっている。毒殺の手段も、佐七が下手人を見抜いた根拠もきっちり示され、これでようやくミステリの形になったようだ。事件にはさらに奥があることが暗示され、関係者の後日譚も示され、物語の深みが増している。

 ただ、こうやって読み比べてこそ改善が見えるが、基本的な骨格が心細いのは変わらない。佐七もの単独で読むと、なかなか高い評価はできないだろう。

●さて今度は、佐七のバージョン違いを確認する。金鈴社『松竹梅三人娘』に収録されているテキストをざっと流し読みした限りでは、春陽文庫版と同じであった。

●これで鷺十郎捕物帳全五話を読み終え、プロジェクトが完結した。ざっと振り返ってみると、全般的に鷺十郎に精彩がなく、居眠りが癖だという特徴もあまり活かせていないようだ。関係者が喋って真相が明らかになるパターンが多く、第一話「鳥追人形」を除いて捕物帳らしさが希薄。作者横溝正史の、シリーズに対する熱意の乏しさがうかがえる。

 佐七版への改稿に関しては、概ね人物の名前を変えただけで、事件の骨格は変えられていない。それでも多少は話に膨らみをもたせ、情報の量を増やし、ミステリとしての質が向上している。朝顔金太で見られたような、事件そのものが別の話になってしまう例はない。

●来月からは新たに、「横溝正史の『左門捕物帳』をちゃんと読む」プロジェクトを発足させる。