累風庵閑日録

本と日常の徒然

水芸三姉妹

●今月から新プロジェクト「横溝正史の『左門捕物帳』をちゃんと読む」を発足させる。昭和二十四年八月から二十五年三月まで、雑誌『日光』に全七話連載された「左門捕物帳」シリーズを月イチで読んで、改稿版人形佐七バージョンと比較してみようという趣向である。

 さて今回は第一話「水芸三姉妹」を読む。事件が起きたのは文政五年の夏。当時江戸の街では、水芸を演目とする博多家三姉妹が大評判だった。ある日一番下の小梅が舞台で芸を披露している最中、どこからか投げられた小柄で刺殺されてしまう。ところがそんな折でも、芸人稼業の悲しさ、呼ばれた座敷は勤めなければならない。中の小竹を亡骸の通夜に残して一座が出かけている間に、今度は小竹が殺されてしまった。そんな大騒動に、下級武士同士の喧嘩騒ぎと殺しがからむ。

 主人公については後回しにして、まず感想を書く。先月まで読んでいた「鷺十郎捕物帳」と比べて、びっくりするくらい完成度が高い。派手なのは女芸人連続殺人事件だが、それはいわばお飾りで、本筋はむしろ武士殺しにある。現場の様子、死体発見の顛末、関係者の行動、といった情報を積み重ねて論理的に容疑者を絞り込んでゆくプロセスは、これぞまさしくミステリの面白さ、直球ど真ん中である。真相の多くが左門のあて推量でしかないのが残念だが、ページ数の関係もあるし、やむを得ないのだろう。昭和二十四年といえば、横溝正史は「夜歩く」や「八つ墓村」を連載中である。ミステリに対する旺盛な執筆意欲が、こちらにも反映されているのかもしれない。

●左門シリーズを初めて読むので、ここで物語の設定を整理しておく。

◆主人公:服部左門
八丁堀の同心。年齢は二十八。提灯懸け横町の同心長屋に住む。大柄で色白の、目鼻立ちの立派な偉丈夫。外見は立派だが、生来いたってのっそりしていて、今まで小盗人一人捕まえたことがない。いまだ独身で、長屋で手枕の昼寝ばかりしている。上役も同僚もあきれて、付いたあだ名がのっそり左門。先祖には右門とかいう、一世を風靡した人物がある。

◆子分:伝八
岡っ引き。先祖代々服部家のお出入り筋。「竹屋に火のついたような」気ぜわしい男で、またの名をせっかち伝八。主人が役立たずの昼行灯なのをはかなんで、何度も坊主になろうと思ったが、のっそりな左門がどこか可愛くて、ついいまだ縁を切らずにいる。先祖には、左門の先祖右門に付き従って勇名を天下にとどろかせた人物がいる。

◆これはつまり、佐々木味津三の「右門捕物帖」のパロディなのである。先祖に右門という人物がいたなどの記述から、明らかに意図的なネーミングだと分かる。せっかち伝八の元ネタは、右門の子分おしゃべり伝六である。ただ、味津三右門の姓は近藤なのに左門の姓は服部なので、ここで書いている右門は「あの右門」とは別人ですよ、ということに一応はなっているらしい。

●次に、改稿版人形佐七バージョンを読む。題名は同じで、春陽文庫第四巻『好色いもり酒』に収録されている。基本構成は左門版と同じ。なかなかしっかりした作品なので、改変の余地もなかったのだろう。佐七一家のホームコメディの要素が大幅に加筆されているのは、改稿版にはよくあること。この辺り、正史が佐七シリーズを楽しんで書いている様子がうかがえて微笑ましい。ついでに、金鈴社の『緋牡丹狂女』に収録されているバージョンをざっと流し読みしてみたが、目立った違いはなかった。