累風庵閑日録

本と日常の徒然

『鍵のない家』 E・D・ビガーズ 論創社

●『鍵のない家』 E・D・ビガーズ 論創社 読了。

 安心して読める秀作。起伏が少ないけれど高め安定で、次々と新情報が提示されて中だるみしない。結末もちゃんとミステリらしい趣向になっており、読んで満足。多くの手掛かりから推理を積み重ねて犯人を導くといった要素には乏しいが、それがビガーズの書き方である。チャーリー・チャンものを読むのは五冊目なので、その辺の味わいは読む前から分かっていた。

 この作品はまた、青年の成長物語でもある。すっかりおっさんになり果ててしまった今読んで、この要素にぐっときてしまった。主人公格の青年ジョン・クィンシー・ウィンタスリップは、ボストンの名家の御曹司。親族によってひかれたレールの上で、安定が保証された生活を送っている。ウィンタスリップ家の誇りだとか、男たるもの~しなければといった、自制的な価値観に凝り固まったカチカチの堅物である。そんな彼がふとしたことからハワイを訪れ、初めての異世界に戸惑い、価値観が大きく揺らぐ。やがて彼は事件を通して様々な経験を積み、様々な人間と接することで、次第に変わってゆく。

 たいがいでいい歳になって、集中力も想像力も衰え、視野が狭くなり、思考が硬直化してきているこちとらからすると、まだ若くて柔軟に変わる余地がある青年の姿は、何やら胸に迫るものがある。