累風庵閑日録

本と日常の徒然

『ライチェスタ事件/大破滅』 春陽堂

●『ライチェスタ事件/大破滅』 春陽堂 読了。

 昭和五年に刊行された、探偵小説全集第十九巻である。収録作の内、ウエルシーニンの「大破滅」は先日読んだ。今回はフレツチヤア(表記ママ)の「ライチェスタ事件」を読む。

 探偵役の造形が素晴らしい。あからさまに嫌な人間として描かれている。まず、探偵活動をする動機が私怨と私欲なのである。憎いアイツが何やら胡散臭いことをやっているから、ひとつ探ってこましたろ。あわよくばアイツの弱みを握って、アイツが保護者面している可愛いあの娘を強請がましくモノにしたろ。という具合で。そしてこの男、陰湿な策謀を弄したり所かまわず嘘を吐き散らしたりと、なんとも香ばしいキャラクターである。

 毎晩遅くまで本を読む習慣があって、愛読書は古今東西の政治家や外交官の伝記。しかもお好みは謀略策略で名を遺した部類で、読んでいてこれはという策略にでくわすと、手元のノートに抜き書きしておくというのだから念の入ったことである。こういう、良くも悪くも個性的な人物に出会えると、ページをめくる手にも力がこもる。

 不満点は、探偵活動が彼の野望に直結しているため、読んでいて真相解明に対する興味を持ちにくいこと。吃驚するくらい不愉快な人物なので、いっそ捜査に失敗した方がいい気味だ、とすら思う。

 もうひとつ不満がある。フレッチャーの作風は、地道な「足の探偵」を描くことに特徴があるようだ。その種のミステリの面白さは、調査と発見、仮説と検証、といった地味な作業を愚直に積み重ねる過程にこそあるのだが、この作品にはそういった堅実さが少々物足りない。手に入れた情報から一足飛びに結論に結び付ける場面がちょいちょい見受けられる。裏面の事情を知っている人物が向こうの方から近づいてきて、べらべら喋ることで多くの事柄が判明する。全くの偶然によって大事な情報が得られる場面もいくつかある。データ提示の手法がちと安直なんでないかい。

 そして肝心の、事件の真相は。
は?
なんだこりゃ。
なかなか意外ではあったが、それは騙される快感といったミステリの意外さではない。おいおいそりゃあないだろうという、膝の裏をカックンとされるような意外さである。どうやらフレッチャーという作家は、本格黄金時代前夜の人、ということか。そもそも全体の構図が、育ての親の危難に胸を痛めるヒロインと、邪恋を抱いてヒロインに迫る悪漢、といった古風さである。

 もちろん、一作読んだだけで判断するのは早過ぎる。手元には他に、「チャリングクロス事件」と「ダイヤモンド/カートライト事件」があるし、つい最近出た論創海外の「ミドル・テンプルの殺人」もある。これからだんだんと読み進めていきたい。