累風庵閑日録

本と日常の徒然

『迷宮の扉』 横溝正史 角川文庫

●『迷宮の扉』 横溝正史 角川文庫 読了。

 かつて一度読んだはずだが、内容はまるで覚えちゃいない。実質的に初読で、その内容にちと驚いた。たかがジュブナイル、と軽んじてはいけない作品であった。結末以外は実にストレートなミステリで、大人向け作品と比べても遜色がない。そう、結末以外は……

 悪の怪人は出てこないし、事件は宝物争奪戦なんかではなく遺産相続にからむ殺人だ。カーテンの紐や扉の鍵といったミステリ的ネタ振りがきちんとされている。しかも、一族内の確執だの奇怪な遺言状だの、さらにはシャム双生児ネタまでもが出てくる。金田一耕助の描き方も、変装してピストルをぶっ放すようなジュブナイルバージョンではない。ただし結末は(伏字)だけれども。スットンキョーな破壊力はある。

 同時収録の「片耳の男」と「動かぬ時計」の内容については、特にコメントはなし。

●この本に関する興味は、内容そのもの以外にもうひとつある。角川ジュブナイルではお馴染み、「編集構成・山村正夫」の影響は如何に、という興味である。先日初出誌のコピーを入手したので、試しにホンの数ページだけ見比べてみた。この作品の改変点は、古い単語や言い回しを新しいものに書き換える程度に留まっているようだ。以下、いくつか例を挙げておく。

◆初出誌 ⇒ 角川文庫
・五尺八寸 ⇒ 一メートル九十センチ
・女中 ⇒ お手伝い
・二重まわし ⇒ 二重マント
・物見遊山 ⇒ 遊び
・車軸をながすような ⇒ はげしくふりそそぐ
・外套 ⇒ コート
・中肉中背 ⇒ 標準なみの背たけ
など。

●同時収録の「片耳の男」についても、書誌的な興味がある。この作品には、両親を亡くして貧乏暮らしをしている兄妹が登場し、兄の方は明記されていない何らかの研究をしているという。こういう人物設定は同じくジュブナイルの「ビーナスの星」と共通であり、この部分が興味のポイントである。「ビーナスの星」では、兄の研究対象が戦前版と戦後版とで異なっているのだ。もしかして「片耳の男」も、昭和十四年の初出では研究対象が明記されているのかもしれない。いずれ、初出テキストのコピーを手に入れて確認してみるつもりである。