累風庵閑日録

本と日常の徒然

怪談閨の鴛鴦

●「横溝正史の「不知火捕物双紙」をちゃんと読む」プロジェクト、第四回目は「怪談閨の鴛鴦」を読む。

 題名通り、怪談仕立ての猟奇譚。なかなか緩急しっかり整っていて、読ませる作品であった。時は弘化二年、怪談流行のその頃、戯作者柳亭種員の書いた「怪談閨の鴛鴦」という草双紙が大評判。その中のこれぞという凄い場面を活人形に仕立てた見世物が、これまた大評判であった。

 そんな折、見世物で使われている花魁花扇の活人形に魅入られたという大工が、件の場面の前で意識を失って倒れていたのが発見されて、そりゃあもう大騒ぎ。さらに、大家の若旦那も花扇の人形に魅入られて、近日中に迫っている婚礼話に暗雲が立ち込める。

 肝心の事件が、ちょいと魅力的。殺人現場から逃げるのを目撃された怪しい女が足跡を残さず消え失せて、まさしく花扇の幽霊が殺しをやったのかとも思われる。という不可能犯罪ネタである。

 犯人の動機や遠因となる背景は、よくある話で特にどうということもないけれど、全体の構成は一捻りがあってなかなか面白い。不知火甚左は単なる狂言回しで、ただ物語を転がすためだけに作者によってあちこち出かけさせられている……と思いきや、実はちゃんと推理していたことが判明する。この点も読み所である。

 ところで今回は燕の伊之助が登場せず、「御府内太平記」云々という記述もなかった。連載四回目にしてだんだんと、創作姿勢について正史に迷いが出てきたのかもしれない。

●続いて改稿版人形佐七バージョンを読む。題名は変わらず、春陽文庫の『地獄の花嫁』に収録されている。

 基本的な骨格は甚左版と同じだが、改稿によって全体の構成がより洗練されている。比べて読むとこちらは短編小説であるのに対し、甚左版は短編小説のあらすじのようにも見えてくる。

 早い段階でネタの一部を割ると見せてまたひっくり返す展開は、甚佐版に見られない捻りである。甚左版ではそれぞれ独立した二つの出来事だったのを、ある人物を介して微妙に関連付けて、より複雑な展開に仕立てている。犯人の計画が深化しており、事件現場の絵柄としては佐七版の方が優れているように思う。怪談のようなそうでないようなもやもやとした結末は、甚左版にはない味わいで、ある種の凄みがある。

●さらに、佐七版のバリエーションを確認するため、昭和二十五年に春陽堂から出た『捕物小説全集 人形佐七捕物帖』に収録されているバージョンを、ざっと流し読みする。

 結論として、文庫版とほとんど同じ。違いはまず人物名で、甚左版と佐七の文庫版とは主要登場人物の多くが異なる名前になっているのだが、こちらの版では甚左版から変わっていない。また、結末で文庫版にあったある記述が欠けている。どのタイミングでこの部分を追加したのか分からないが、文庫版の方がなんとはなしの不気味さが漂って、断然良いと思う。もう一点、冒頭で辰と豆六とが事件を知るきっかけになった、鎌倉河岸の髪結床「海老床」が、以前「稚児地蔵」の事件で登場した店と同じであることが明記されている。文庫版にはそのような記述はない。