累風庵閑日録

本と日常の徒然

『温泉と日本人 増補版』 八岩まどか 青弓社

●『温泉と日本人 増補版』 八岩まどか 青弓社 読了。

 ふとノンフィクションを読みたくなったので、図書館から借りてきた。遺跡から分かる縄文人の温泉利用の話から、バブル崩壊後の温泉を取り巻く状況まで、時代に応じた温泉享受のあり方についての本。扱っている範囲が広いので、個別の話題が深堀されていないのはやむを得ないだろう。個人的には、以前読んだ中公文庫の鈴木一夫『江戸の温泉三昧』の方がピンポイントで好みに合っていた。

 印象に残った記述をいくつか箇条書きにしておく。

・沐浴という言葉でひとくくりにされる「沐」と「浴」とは、本来別の意味だった。前者は髪を洗うという意味で、後者は湯水で体を洗うという意味。

・江戸後期、箱根湯元温泉が「一夜湯治」と称して行楽客を泊めるようになり、その影響で小田原の宿泊客が減ってしまった。小田原は宿場、湯元は湯治という旧来の住み分けが崩れてしまったのである。このことで双方の街から幕府に訴えを出すという紛争に発展した。

 一泊二日の行楽で温泉を利用するってのが、すでに江戸時代から珍しくなかったのが意外だった。なんとなく、江戸時代は湯治のための長逗留が当然で、一泊でどんちゃん騒ぎってのはもっと時代が下ってからというイメージがあった。

・各地の温泉にはよく温泉神社があるが、祭られているのは薬師如来が圧倒的に多い。温泉そのものを神格化した温泉神といったものは見当たらない。温泉の効力は湯そのものに由来するのではなく、薬師如来などなんらかのカミの力を介在して初めて発揮されると考えられていた。

・中世の寺院では、施行としての入浴が行われていた。その行為は、入浴によって穢れが聖に転ずるという思想に基づいている。前提として、社会的に穢れているとされた集団の存在が不可欠であった。穢れのないところに、浄化の宗教儀礼は生まれない。

●久しぶりに、横溝正史関連でちょっとしたデータをまとめ、某所にアップ。