累風庵閑日録

本と日常の徒然

二つの「神の矢」

●朝のドトールで「むつび」版の「神の矢」を読んだ。中央線のC駅から二里ばかり、高原の温泉場で巻き起こる「一種不可思議な、得体の知れぬ妙に薄気味悪い事件」……のオープニングである。なにしろ連載一回だけなのだから、物語が動き出す間もない。登場人物は三津木俊助を含む三人だけ、場所は山間の湧水の前に限定されている。まだ直接登場しないが、俊助をこの温泉地に招待した小説家が、それなりに重要な役割を果たすようだ。中傷の手紙という趣向は登場しない。

●帰宅してから、「ロック」に二回だけ連載された「神の矢」を読む。これもC駅から二里ばかりの温泉場が舞台だが、いきなり「むつび」版とは展開が違ってくる。俊助をはじめ五人の人物が、八剣子爵の馬車で温泉場へ向かうことになるのだ。やがてバンガローに落ち着く俊助。彼を招待した小説家が、現在この温泉場で神の矢と署名のある中傷の手紙が横行していることを語って聞かせる。「むつび」版に比べて登場人物が増え、過去の変死のエピソードがあり、矢の根の盗難事件が発生する。

●どちらも由利先生の戦後初めての事件として構想されたものである。もし完成していたら、「蝶々殺人事件」に匹敵する本格ミステリの傑作になっていたかもしれない、などと妄想が膨らむ。

●明日は佐七シリーズの「当り矢」を読む。