●『墜落のある風景』 M・フレイン 創元推理文庫 読了。
まず余談から始める。本を手に取るとき、事前の情報を極力遮断するよう心がけている。粗筋も後書きも読まないのはもちろん、帯の文字すら目に入らないように気を付けている。
本書は、ある美術上の大発見が題材である。発見の内容は帯にはっきり書いてあるから、本を手に取れば一目で分かるはずである。だが私の場合は幸運にも、買ったときに書店で掛けてもらったカバーを外さないまま読み始めた。おかげで序盤の、いったいどんな発見なのかという興味をきちんと味わえた。題材が本文で明記されるのはしばらくページが進んだ後なので、この日記でははっきり書かないことにする。
さて内容は、すべてが不安定に揺れ動く物語である。主人公の語り手は、自らの発見の意味について確信が持てない。世紀の大発見なのか、それとも勘違いなのか。資料をいくら調べても、資料に基づく推理をいかに積み重ねても、頭の中で確信と迷いと安心と不安とがぐるぐる渦を巻く。主人公を取り巻く人間関係もまた、不安定に揺れ動く。妻と子供とを愛していながら、隣人の妻にふらふらとよろめきそうになる彼。発見のきっかけとなった隣人の、人物像と背景も、物語が進むにつれて新たな様相を呈し始める。
主人公の目的は、その発見を自分の物にすることである。ところがその計画を進めようとすると、状況が不安定に二転三転する。なんじゃかんじゃと邪魔が入る。次から次へとトラブルが降りかかる。こうやって何かやろうとする度にずっこけるのは、ほとんどドタバタコメディのノリである。それが本格的なコメディになる寸前で踏みとどまっているのは、(伏字)に関する情報がぎゅうぎゅうに詰まっているからだ。これがなかなかに悲惨で、かつ興味深い。
そして結末。発見物に対する解釈は、なるほどと膝を打つ。もともと発見そのものがフィクションだと言ってしまえば身も蓋もないけれど、このような着地はお見事。物語全体の結末も、ほほうそうなるかと、至極満足のいくものであった。
傑作である。