累風庵閑日録

本と日常の徒然

「改造社の『ドイル全集』を読む」第一回

●今月から、新規プロジェクト「改造社の『ドイル全集』を読む」を始める。昭和六年から八年にかけて刊行された改造社の「世界文学大全集」のうち、全八巻を占める「ドイル全集」を、月に二日くらいずつの時間配分で読んでゆくことにする。一冊を数か月かけて読むわけだ。どうかすると完了までに二年以上かかりそうな、のんびりとしたプロジェクトになる。

 今まで取り組んできた「横溝正史が手掛けた翻訳を読む」プロジェクトは、先月で一区切りとした。その時点でまだ読んでいない翻訳が、ドイル全集に収録されている。つまり今回のプロジェクトは、「横溝正史が手掛けた翻訳を読む」からの派生という位置付けになる。実際の翻訳は横溝が手掛けたわけではなくてどうやら名義貸しらしいが、それはそれ。

 横溝名義訳の作品を読むついで、と言ってはいけない。せっかく買った全集なんだから、独立したプロジェクトを設けて通読したい。というのが本プロジェクトの趣旨である。

●今回は第一回として、第一巻の収録作から「緋色の研究」を読む。訳者は延原謙である。十三年ぶりの再読で、感想は前回とあまり変わらなかった。十三年前の文章をちょいと編集して再掲しておく。

 事件そのものも解決に至る展開も、実に単純素朴である。こういう素朴さは、前々世紀のまだ若いミステリの味わいで好ましい。展開がスペクタクルに乏しい分、ホームズの奇人ぶりとワトソンの普通人ぶりとが際立つ。傲岸で偏屈、ちょっとおだてられると手もなく喜ぶホームズと、同居人の正体を突き止めようとあれこれ詮索する大きなお世話のワトソン、という。

 さらにもう一人特徴のある人物を挙げるならば、スコットランド・ヤードのグレグスンである。ライバルのレストレードが間違った方面を捜査していると言ってあざ笑い、あろうことか「息が詰まってきうきう苦しがるまで」爆笑してのける。なんと人間臭いことか。

 以下、余談。古い翻訳には古いなりの、今読んでこその味わいがあって捨て難い。延原訳によると、ホームズが修得しているのは木刀術だそうで。