「探偵小僧」
松野一夫の挿絵が凄い。毎回毎回わずが四、五行の本文から、文字通り絵になる瞬間を抽出して挿絵に仕立てている。描かれている人々の表情も動きも、なんと活き活きしていることか。
内容は探偵小僧と三津木俊助とが、悪の怪人びゃくろう仮面との闘争を繰り広げる。「びゃくろう」の表記は平仮名である。びゃくろう仮面は変装の名人なので、当然展開は変装、変装、また変装。負けじと三津木も変装し、探偵小僧も妙な被り物をまとってみせる。
闘いの舞台は地上のみならず、空中から海中まで縦横無尽。いかにもジュブナイルらしく、動きが多いというより動きしかない。沈思黙考して推理を巡らすなんて場面は、ジュブナイルにはお呼びでないだろう。
余談だが、この作品には正史お気に入りのシチュエーションが使われている。悪漢が、警官や野次馬を映画の撮影だとだまして逃走するエピソードである。このエピソードは他にも、「変幻幽霊盗賊」、「黒衣の道化師」、「まぼろしの怪人」といった作品に流用されている。
「仮面の怪賊」
たかがジュブナイルと侮ってはいけない佳作。短いページに複雑なストーリーが詰め込まれているし、意外な真相もきっちり用意されている。てっきりジュブナイルの定法通りだと思ってたら、してやられてしまった。
ところで、ここに登場する名探偵保科鉄光のネーミングがちょっと興味深い。押川春浪の手になるホームズの翻案はホシナ大探偵という名前だし、三津木春影の手になるルパンの翻案は隼白鉄光という名前である。深読みのしすぎかもしれんが、ドイルやルブランの遠い谺が聞こえてくる気がするではないか。
「不死蝶(雑誌連載版)」
ひとまず読んだ。このあともう一度、改稿バージョンである角川文庫と照らし合わせながらざっと目を通す予定である。今の段階で、すでに両者の大きな違いが見えている。
「女怪」
中絶作品である。登場人物がやけに魅力的。デカダン趣味が高じて半ば世捨て人となった山名耕作、山名のデカダン趣味の師匠で劇団座付作者の那柯八郎、浅草通の新聞記者岩野潤吉、後家専門の色事師かつ近代的浮浪者の町田考平、その他ひと癖もふた癖もある面々が、花形女優河合百合子を中心にして様々に思惑を巡らしてゆく。
実際のところ、連載開始の時点で正史がどこまで全体構を固めていたのかは分からない。だが、発表されている部分だけでもちょいちょい結末を暗示する文章が残されているのが気になる。
「神の矢」
冒頭の短い分量で舞台背景を説明する手際がお見事。「獄門島」や「八つ墓村」に見られた書きっぷりが、ここでも発揮されている。信玄の隠し湯から語り起こし、戦前の別荘地としての発展、そして戦後の衰退と退廃へと筆を運ぶ。話が現在へ移ったところで、汽車から降りた三津木俊助登場。そこからたちまち、主要登場人物の顔ぶれを揃えてみせる。
煽り文句がいい感じ。「一種不可解な、妙な薄気味悪い事件であった」だなんて、「妙にネチネチとした、えたいの知れぬ殺人」と書いてた「八つ墓村」を彷彿とさせるではないか。
平穏な日常を脅かす中傷の手紙の跳梁が語られるものの、本格的な事件はまだ起きていない。これからどう発展してゆくのか、今となっては想像するしかない。完結すれば由利先生ものの戦後第二長編になったはずの作品である。これはどうも、中絶がまことに残念である。
登場人物のネーミングもちと興味深い。宇賀神通泰という心霊研究家と阿知波薬子という霊媒が登場する。後年の横溝作品「迷路の花嫁」には、キーパーソンとして宇賀神薬子なる霊媒が登場する。
「失われた影」
打って変わってこちらはB級ハードボイルドの味わい。犯人消失という不可能犯罪の興味はあるが、作者の力点がどこまでそっちにあったのか定かではない。犯人に擬せられて逃亡した、影を失った男の復讐譚。中絶が残念は残念だが、「神の矢」ほどではない。
●ところでこれで、論創社の論創ミステリ叢書を第百巻まで読み終えたことになる。残りは二十四冊。今後の読破ペースと論創社さんの刊行ペース次第だが、新刊に追いつくのは早くて来年、遅くとも再来年になりそうである。