●『花の通り魔』 横溝正史 徳間文庫 読了。
前回読んだのは九年前。論創社の『横溝正史探偵小説選IV』に収録されている、短い初出バージョンを読んだのは去年である。今回は、来週に予定されている横溝正史オンライン読書会に向けた準備である。読書会の課題図書は「壺中美人」で、関連する副読本として「花の通り魔」が挙げられているのだ。内容はすっかり忘れているので、どういう点で「壺中美人」の副読本になり得るのか、という視点で読んだ。
時系列的には、ちょいとややこしい。「壺中美人」の原型短編「壺の中の女」が書かれたのが昭和三十二年。改稿されて長編に仕立てられたのが昭和三十五年。一方「花の通り魔」が雑誌に連載されたのが昭和三十四年四月から七月。約二倍の分量に改稿されて単行本になったのが同年の十月である。つまり「壺の中の女」⇒「花の通り魔(初出版)」⇒「花の通り魔(単行本版)」⇒「壺中美人」という順番になるわけだ。
読んでみるとなるほど。詳しくは書けないけれども、人物設定のいくつかに「壺中美人」へと結実しそうな気配が感じられるではないか。横溝正史の発想の流れと発展とが垣間見えて、興味深いことである。もっと細かい比較論は、読書会の他の参加者に期待しておく。
そういう比較の視点ではなく、単純に物語を楽しむ読み方をしてもこの作品は十分読ませる。シリーズ中でもっともミステリ味が濃く、伏線もあるし意外性もしっかり用意されている。怪人千寿丸が跳梁する猟奇犯罪が、(伏字)ダイナミックさもひとつの読みどころ。基本骨格を保ったまま舞台を昭和三十年代の東京に移しても、十分通用しそう。ただし真相の性質からすると、金田一耕助のシリーズにするのはちょっと厳しいかもしれない。