累風庵閑日録

本と日常の徒然

第六回オンライン横溝正史読書会『壺中美人』

●第六回オンライン横溝正史読書会を開催した。課題図書は『壺中美人』およびその原型短編『壺の中の女』である。原型版は昭和三十二年に雑誌『週刊東京』に連載された。それを改稿して長編化したものが『壺中美人』で、初刊は昭和三十五年の東京文藝社版である。参加者は私を含めて十名。募集を開始した早い段階で参加枠がほぼ埋まる盛況であった。

●会ではネタバレ全開だったのだが、このレポートでは当然その辺りは非公開である。なお各項目末尾に数字が付されている場合、角川文庫『壺中美人』旧版のページを示す。参照したのは昭和五十八年刊の十六版。異なる版ではページが前後する可能性がある。

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◆まずは参加者各位の感想を簡単に語っていただく
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「ヒロインは楊華嬢。前髪パッツン、スレンダーでチャイナドレス、全身タイツ属性もあり、スイーツ好き。要素たっぷりなのにいまいち地味なのは、角川文庫旧版の杉本カバーの影響なのかも」
「最初はいろいろな設定でわくわくしてたけど、読み直してみると案外深い。できあがってる」
「よく壺に入ったな、というのが最初の感想」
「植物や色彩に関する描写が上手い」
「いつものシリーズに比べて金田一耕助の元気がなくてちょっと物足りなかった。『あっはっは』が足りない」
「長編化した割りにはぼんやりしたふくらまし方」
「子供の頃、文庫カバーの壺中の『中』が『虫』に見えてしまって凄く怖かった。そして壺のサイズが気になってた」
「これはミステリなのだろうか。風俗エロ小説では」
「同性愛に関する感覚が時代的に古い。だけど幼児虐待なんかの話題があって、時代が一周して追いついてきた感じ」
「せっかく短編を長編にしたのに、完成度が上がっていない」
ネタバレが含まれる感想は省略。

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◆井川マリ子について
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「原型短編ではマリ子が勤めている店の名前が『山猫』なのに、長編では『赤い鳥』に変えられている。マリ子の楚々としたイメージを強調しようとすると、山猫では猛々しいと判断したのか。でも山猫というワードは正史先生気に入ってたらしく、作中で再利用している」
楊華嬢のあだ名が山猫である。

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◆楊祭典について
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「楊祭典はユル・ブリンナーみたいなくりくり頭(P111)なのに、どうやって辮髪を付けてたんだろう」
「顎紐で?」
「前から見た時だけブリンナーだったしして」
キョンシーみたいに帽子をかぶって、帽子の方に付いてたとか」

「大正三年に数え年で七歳で、今はもう五十歳を超えている勘定だと、地の文にはっきり書かれている(P113)。ところが事件が起きた昭和二十九年だと、計算上は四十五歳」
「作品が書かれたのが昭和三十五年なので、その年のつもりで計算しちゃったのか」
ユル・ブリンナーが知られるようになったのが昭和三十一年なので、事件が起きた年にはふさわしくない」
「設定がいろいろ昭和二十九年とはちぐはぐ」
「事件の年代設定をちゃんと考察しないといけない」

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◆梶原譲次について
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 参加者の評価は案外高い。
「登場人物の中で一番まっとう」
「乱暴者だけど、個人的には譲次への好感度は高い」
「実は気が弱い」
「スポンサーも付いてて人から好かれるのに、選手権が取れない」

「短編では被害者が譲治、長編ではマリ子の情人が譲次。そんなに『じょうじ』が好きなのか」

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◆宮武たけについて
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「何度も同じ話を繰り返したと不平を言っている(P34)のに、金田一耕助に話をする際には『そこでいったいあたしがなにを見たとお思いになりまして』なんて言ってる(P40)。この人結構楽しんでるよね」
トークをやりすぎて、場慣れしてきてる」

「原型短編では名前が橋本たけ。そして外見描写がいじわるな婆さん」
「長編化の際に肉付けされて人物像が変わった」
金田一耕助に対する態度が、短編版の方が当たりが強くてそっちの方が好き。うさんくさく扱われることこそ金田一耕助だと思う。短編版の方が、うさんくさい人物が実はキレ者だという金田一像がよく出ている」

「橋本たけをわざわざ改名して宮武たけにして、しかもずっとフルネームで書いてる」
「みやたけたけなんて、ゴロが良いのか悪いのか」

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◆壺と犯行とについて
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「壺に入ってどうするつもりだったのか」
「そもそもどうやって壺に入ったのか」
「アトリエの女は足から入ろうとしてた」
「初出誌の挿絵では尻から入ってる」
「動作の描写が曖昧」

「警察が犯罪と壺と楊華嬢とを結びつけたのは、二つの情報から。一つは金田一耕助と等々力警部とが壺入りの芸をテレビで観ていたこと。これは偶然。二つ目は犯行現場での壺入りを宮武が目撃したこと。でもそれも偶然としか読めない。結局どちらも偶然」

「川崎巡査を刺した人物が、五月で雨が降ってないのにレーンコートを着てフードをかぶり、顔は舌布で覆っているのはいかにも異様。当時のレインコートは普通のコートに防水処理を施したものが多かった。それなのにこの装束は、注目してくださいと言ってるようなもの」

「横溝が念頭に置いていたのは乱歩の某作品。壺にクローズアップさせたかったんだけど、その仕掛けが上手くいかなかった」

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◆犯人に対する評価
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 当然詳しくは書けないが、犯人と犯行計画に対する参加者の評価はやけに低い。
「みんな脇が甘い」
「場当たり的」
「偶然」
「その場の思い付き」
「結果にコミットしてない」
「無駄な努力」
「浅知恵」
ぼろくそである。

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◆原型短編と周辺作品について
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「短編で被害者の甥に言及されるけど、一瞬で容疑の圏外に去っていった。物語中でなんの役割も果たしてないただのノイズでしかない」
「身内には犯人がいないことを示すためでは」
「名前を出さないただの脇役なのに、刑務所にいるなんて書いちゃうと事件性を帯びてしまう。なんでもうちょっと控えめな扱いにしなかったのか」
「情報が強くて読者の頭に残ってしまう」
「被害者の財産はこの甥にいくはず」
「端役なのに、坊主丸儲け」

「お役者文七捕物暦シリーズの、『花の通り魔』に通じるものがある」
「『花の通り魔』はミステリとしてしっかりしてるから、あっちを読んでると安心する」
「一方で『壺中美人』はもやっとしてる」
「あまりにもやもやでいろんな方向に発散してるから、エロいのかどうかもはっきりしなくなる」

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◆等々力警部と捜査陣と
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「後期作品にありがちだけど、刑事達がみんな金田一先生と呼んで尊敬してるのがいやだ。金田一耕助はもっとうさんくさい奴として扱われてほしい」
「『週刊東京』の連載からそうなった。それ以前は等々力警部も金田一さんと呼んでた。緑ヶ丘荘に越してきてから、いわゆる『シーズンII』になっている」

「『シーズンII』では、等々力警部が金田一耕助のお友達になっちゃってて、捜査をしなくなる。所轄の刑事が捜査した情報を警部の前に持ってくる」
「警察関係者の登場が凄く多い。一人ずつ合流する描写は必要? 現場に行ったらわあっといたでいいじゃん」
松本清張の『点と線』刊行が昭和三十三年。そろそろそういう視点の作品が出てきた時期」
「昭和二十九年に警察法が改正されて、所轄署ができたのを取り入れたのかも。それまでは等々力警部しか出てなかった」

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金田一耕助と食
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「ソバと天丼が章題になっている(P56)くらいだから大事なキーワードかと思ったら、ただ章の最後にソバを食っただけ」
「いやいや、金田一耕助の食の細さを描く重要なシーン」
金田一耕助は朝食の後だったからあまり食べない」
「その朝食も大したもの食ってないでしょ」

「朝食はいちごクリーム」
「正体は謎」
「無精者でサラダを作りたくないときの食事だから、手間がかかっちゃダメ」
「いちごジャムかと思ってた」
「管理人さんから貰った何か」
「ビジュアルが浮かばない」
「缶詰のアスパラにいちごクリームという謎の食事」
「いちごに缶詰のクリームをかけたものかも」

「この作品は五月の設定で、生のいちごが半額になってるくらいの時期」
「半額のいちごを、金田一耕助が買い物かごをぶら下げて買ってるとか」
「この時代は御用聞きがやってきてたんじゃないの」
「いちご安くなってますよ、て持ってきた」
「管理人さんが、行商のおばちゃんが来た時に適当に物色して買っておいてくれた」

「事件が起きたのが五月だからいちごだけど、もし秋だったらみかんを食べてたでしょう」
「もしくはりんご丸かじりか」
「柿は剥かないと思う」

横溝正史が料理について詳しく知ってるはずがない」
まことにごもっとも。

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◆その他小ネタいろいろ
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「あまり見ない形容詞『とっかわと』(P110)は、漢字で書くと倉皇で、慌てて急ぐ様、せかせかと、という意味」
「倉皇として(そうこうとして)、という表記は今でも見かける」
青空文庫で確認すると、尾崎紅葉の『金色夜叉』で倉皇と書いてとつかはというルビが付いている」

睡眠薬ハーモニンを熱燗のコップ酒で(P194)ってのは、ハードな飲み方してるな」
「アルコールで睡眠薬を飲むとよく効くよ」
「だめだよそんな飲み方しちゃ」
「村上マキは依存してたんでしょ」
横溝正史自身が常用してたんじゃないかな」

「楊祭典の家に車が二台あるって、冷静に考えたら凄いな」
「しかも家は錯雑たる雰囲気のちょっと分かりにくいような場所(P108)」

「前髪パッツンで額を出さないことに意味があるのか」
「昔の中国では幼児は前髪を揃えていたというから、幼児性の記号なのでは」

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◆ネタバレ非公開部分のキーワードだけ並べておく
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時代の先端、偶然と偶然、犯人が見せたかった絵柄、喋れば解決、蜻蛉のような、汗は出せる、仕掛けが不発、加害者の視点から被害者の視点へ、どちらにしても必然性はない、オトナの読書会、見向きもしない、どうやって運んだ、ひとつだけの本当、ってなところ。

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◆なんとなくのまとめ
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 『壺中美人』の真相や犯人像にはあまりにツッコミどころが多い。その辺りを語るだけで話題に事欠かない。ミステリとしては心細いけれども、語る題材が大量にあるという意味で、課題図書としてはとてもいい選択だったのでは。

●ネタバレ全開の完全版レポートは、読書会レポート同人誌の第二巻に収録の予定です。刊行の際にはぜひお買い求めください。