●第十一回オンライン横溝正史読書会を開催した。参加者は司会者を含め七名。課題図書は『髑髏検校』で、昭和十四年に雑誌『奇譚』に連載された作品である。併せて参考文献として、雑誌『小説倶楽部』の昭和二十八年十月号に掲載されたダイジェスト版も参照する。さらに、元ネタとなったブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(これ以降「原典」とする)も、参加者各位自発的にお読みになっていたようである。
以下の文中ではほとんど説明なしに共通認識となっている背景事情について、まずちょっとだけ書いておく。都筑道夫との対談によれば、横溝正史は原典を三分の一くらい読んで、もう分かったと思って書き始めた。ベラ・ルゴシの映画の評判は聞いてたけど観てはいなかった。少なくとも二年は書くつもりだったけど雑誌が廃刊になって、七か月で尻すぼみの結末になった。
髑髏検校の正体と、中盤以降の展開に触れている発言はばっさり省略する。また、原典について『髑髏検校』から離れてあれこれ語られた部分もあって、それはそれで興味深い内容ではあったが横溝正史読書会の趣旨から外れるので省略する。文中に数字が付されている場合、角川文庫『髑髏検校』初版のページを示す。異なる版の場合、ページが前後する可能性がある。
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◆まずは参加者各位の感想を簡単に語っていただく
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「朱之助はイケメンみたいだけど美少年という記述はどこにもない。検校は二十五歳くらいに見える美少年と書かれてる。なぜ朱之助は美少年ではなく検校は美少年なのか」
「十数年ぶりに読み直したら、イメージよりも短かった。ぎゅっと凝縮した面白い冒険譚だった。作中に出てくる根岸備前守は、『耳嚢』を書いた根岸肥前守鎮衛がモデルだったんじゃないか。本当はもっと長い話にする予定だったそうで、彼にもいろいろさせたかったんじゃないかという想像もする。そのように、二次創作の意欲が出てくる作品だった」
「もやもやしてたのが、(髑髏検校の正体)がよみがえって眷属を増やして神に成り代わろうとしてなくて、徳川幕府にちょっと嫌がらせをする程度に終わってる。しかも幕府転覆までも行かず、将軍の三番目の姫をいてこますだけで話を広げきっていない。ところが正史自身が書いたダイジェスト版を読むと、後半が大分改稿されててめちゃくちゃ分かりやすくなってる」
「先に田村正和版のドラマを観てた。今回初めて小説を読んで、ドラマはだいぶ頑張って作ってたんだなと思う。そのあと原典を読んだら、横溝正史がこんなにちゃんといろんな要素を拾っていて逆にびっくりした」
「初めて読んだけど、角川文庫で同時収録の『神変稲妻車』の方が長くて驚いた。そして名前は不知火検校なのか髑髏検校なのか。原典よりもだいぶスケールが小さくなってる」
「雑誌の廃刊で尻切れトンボになってる。展開としてはやっと登場人物が揃って、これからストーリーが始まるよっていうところで終わっちゃった感じ。本当に書きたかったのはこの先だろうし、原典でもこっから先が面白くなるのに、もったいないし残念。ダイジェスト版できちんとオチを付けたけど、あれはもう本当に終わらせるためのオチであって、たぶんもっともっと広がると思う。誰かに続きを書いてほしい」
「読みやすいし、原典のエピソードを丁寧に拾ってるのが横溝正史の器用さだと思った。原典でドラキュラ眷属の女性には名前がなかったのに、検校の眷属に松虫、鈴虫と名付けるセンスがすごい」
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◆ダイジェスト版について
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「ラストはダイジェスト版の方がよかった」
「展開はダイジェスト版のほうがずっといいよね。通常版で全く浮いてる富五郎のエピソードも、最後にちょっとだけ拾うし」
「冒頭の鯨漁の話をちょこっとだけ回収するし」
終盤の展開に関する踏み込んだ発言は省略する。
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◆髑髏検校について
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「検校が陽炎姫にだけ執着するのがどうも。幕府転覆とかもうちょっと何かなかったんか、と思う」
「そこは原典の流れをそのままなぞった」
「髑髏検校は強すぎる。浜御殿にすっと入り込めちゃうし、死なないし、蝙蝠になるし、狼をあやつるし。せいぜいニンニクで苦しむくらい。最後まで原典を読んでなかった横溝正史は、どうやって退治するつもりだったのか」
「(髑髏検校の正体)って本来はかなり若いはずなのに、なんで検校は二十五歳くらいなんだろう? 吸血鬼って死んだ後も歳をとるんだろうか」
「若くなる途中だったりして。初登場の時はそんなに若いって描写がなかったよね。それが陽炎姫をいてこましてから二十五歳くらいになった。あとは琴絵の血を完全に吸ってれば本来の年齢の姿に戻れたのかもしれない」
「初登場の時点ではまだ血が足りてなかったんで、年寄りのようにも見えた(P288)」
「まだ乾燥してたんだね」
「干物かよ」
「検校は自分が髑髏検校と呼ばれていることを認識してるんだろうか」
「自称は不知火検校だよね」
「地の文でいつのまにか髑髏検校になってる」
「横溝正史が最初に作品の題名を求められて、おどろおどろしい名前をと思って髑髏検校にしちゃったとか」
「不知火島の住人は検校と松虫鈴虫だけらしい(P288)のに、その二人が出てこなくなってから何日も、朱之介は饗応を受けてる(P292)。誰が料理をしてお膳の準備をしたのか」
「検校が自分でやったっぽい」
「江戸川乱歩の二十面相だったら、どんなときでもコックに食事を作らせてそう。でも横溝正史の書くものにはそういう気配が見えない。そこに作家性が出ているのかも知れない」
「原典のドラキュラもあの三人の美女がご飯を作っていると思えないから、やっぱり自分でやったのかな」
「ベラ・ルゴシの映画で、ワインは絶対に飲まないっていう台詞がある。血しか飲まないんだという暗示で。だから検校もかなり好き嫌いがあったんじゃないかな。ニンニクの入ってる中華料理なんかはダメ」
「なぜ検校なのか。本来検校って、江戸時代の盲人の最高位のはずなのに」
「高位の名前が欲しかったけど、江戸時代なのでドラキュラみたいに伯爵にできない。で、武士じゃない者が名乗るそれっぽいやつは検校しかなかったと」
「検校になるためには、例えば鍼灸なんかができないといけなかったらしい」
「髑髏検校は鍼じゃなくて牙を刺す」
「こじつけるなら、ドラキュラに語感を合わせたってこともあるかも。ドラキュラ、ドラクラ、ドラ……どくろけんぎょう」
「わははは」
「ルーマニア語のドラクルなら語感が近いかもしれない」
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◆吸血にまつわる設定について
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「原典だとドラキュラはアーサーには手を出さないで、眷属の美女達に向かってこの男を好きにしていいぞと言ってる。で、自分はルーシーを狙う。でも検校は男でも女でも血を吸ってる」
「富五郎の血は松虫鈴虫が吸ったんじゃないかな」
「もう我慢できなくなってちゅうちゅうちゅうちゅうやっちゃった」
「吸血の対象は両性どちらでもいんだろうけど、ダイジェスト版では富五郎が女の血を吸いたいって言ってるから、やっぱり主たる対象は異性なのかな」
「そこら辺はあまり頓着してない感じ」
「血を吸われたら吸血鬼になるって設定も細部が曖昧。陽炎姫は一度完全に死んでから吸血鬼になる。琴絵は仮死状態になって吸血嗜好を示すけど、いずれ元に戻るようなことを言われてる」
「なんか血がまだ残ってるみたいとか」
「お小夜は明らかに血を吸われた描写がある(P332)のに、そこら辺あまり掘り下げられてない」
「連載が終わるから、慌てて店じまいするようなバタバタ感がある」
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◆朱之助について
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「朱之助の読みはアケノスケなのかシュノスケなのか」
「角川文庫ではアケノスケ、雑誌に掲載されたダイジェスト版ではシュノスケになっている」
「桃源社版ではアケノスケ、同光社『不知火奉行』に収録されたダイジェスト版ではシュノスケ」
「後年あんな作品(※)を書いた横溝正史としては、アケノスケと読ませたかったんじゃないかな」
※「朱」を「アケ」と読むことが事件の真相に結びついている作品があるが、具体名は伏せる
「朱之助の描写を読むとまるで美少年なのに、なぜか美少年の表記がない」
「検校が最終的にめちゃくちゃ若返る構想があったから、他の若者に美少年の表記を控えたのかも」
「で、検校は殺人美少年になるわけだ」
「着物だって草色に変えちゃうよ」
「朱之助は、あの絶海の孤島からどうやって生還したのか全く分からない」
「ぼさぼさになってるあの描写(P376)だと、江戸に直接帰ってきてるっぽい。長崎に戻ったのならそこで服を着替えてるはず」
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◆お角について
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「正史先生、歌舞伎好きだよね。『神霊矢口渡』の渡し守頓兵衛(P270)とか『妹背山婦女庭訓』のお三輪(P337)とか」
「髑髏検校の台詞回しがとにかく芝居がかっている。たぶん歌舞伎の声真似でやった方が全然入ってくる感じで。だから、変幻もののお芝居を書いてるような感じだったんじゃないかと思う」
「『牡丹灯籠』なんかでもそうだけど、お角という人間の悪人が活躍するのもその辺を意識したのかな」
「『牡丹灯籠』でお札をはがすお礼は百両なのに、お角が牢をやぶるお礼に五両しか与えない(P326)のはせちがらい」
「お角って『南総里見八犬伝』に出てくる船虫みたいな悪女なのかなと思ったら、酒が欲しいとかその程度でもっと小っちゃかった」
「たとえば『丹下左膳』とかにも出てくるけど、物語を引っ掻き回す女性って伝奇小説とかお芝居とかには多い。わざと見ちゃいけないところを見て暴きたてるとか。だから後半の横溝正史オリジナルのところで、やっぱりいかにも伝奇小説らしい人物を出してきたんでしょう」
「『怪獣男爵』のケン子夫人を連想した」
「最初は割と年増でなんかくたびれてたのが、検校の手下になってからちょっと若返ってぴちぴちしてなんかいい感じになってきてる」
「使い捨てにもしようと思えばできるし、活躍させられるいいところもあったのに、なんかバタバタっと終わっちゃう」
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◆横溝正史の書き方について
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「原典を丁寧になぞってるけど、ネーミングも小道具も状況も横溝ワールド。琴絵にお小夜に数馬がいる。黒猫が出てくる。狂人が出てきて牢を脱走する」
「お角のエピソードで大きな蝙蝠が飛び立つ(P405)。それはいいんだけど、その前後で思わせぶりにうろうろしている猫(P398、P406)はなんなんだ」
「猫はうろうろしがちだし、犬は口から引き裂かれがち(P298)(※)」
※他の作例として『怪獣男爵』、『幽霊鉄仮面』
「国枝史郎の『神州纐纈城』と似たような感じ」
「国枝四郎とか吉川英治とか角田喜久雄とか、あの辺りから影響を受けている。『髑髏検校』の前年に『神変稲妻車』を書いてるので、横溝正史もこういう書き方に慣れてきたのかなと思う」
「伝奇小説の筆法を取り入れて書けるのは、やっぱり横溝正史は器用」
「論創社の『横溝正史探偵小説選IV』に収録された『しらぬ火秘帖』も同じ味わい」
「横溝正史は、柳亭種員らの手になる『不知火物語』(『白縫譚』)なんかを引っ張ってきている気もする(※)」
※作品の内容は髑髏検校の正体に通じるものがあるので、うかつに検索しないように
「原典のドラキュラはあんまり強くない。死ねないってだけで、殴られた傷がずっと残ってたりする」
「あまりかっこよくない。ひょろひょろしててお爺ちゃんで息が臭い」
「映画の影響でイメージが変わっていく」
「映画を観てない横溝正史が、原典の息が臭いお爺ちゃんをなぜ貴人の姿に寄せたんだろうか」
「悪のヒーローは美少年じゃなきゃならないって正史好みもあったかも」
「松虫鈴虫を無理やり骨寄せに絡めたってのはなかなかいいアイデアだと思う」
「夜歩きする陽炎姫の行方をたどるために、芝居や昔話にある、着物に糸を付けておくネタを盛り込む横溝正史のセンスよ」
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◆原典との関係
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「横溝正史は原典を具体的にどこまで読んだだろう? ルーシーやレンフィールドに対応する人物が出てくるから、その辺までは確実に読んでるよね」
「たぶん富五郎のエピソードの前まででは」
「検校が化けた富五郎の劇場の場面は、全体からいまいち浮いてることも含めて乱歩の通俗ミステリを連想する。バラバラになった手足が舞台の上で勝手にひょこひょこ踊るとか(P370)」
「二十面相の手品みたいだ」
「もし読んでたら取り入れただろうって思うのが、ドラキュラがミナ・ハーカーを気に入って自分の血を与えるエピソード。それがないってことはそこまでは読んでないんじゃないかな」
「原典は書簡小説だったよね。なんで横溝正史はその体裁を採らなかったんだろう」
「たるいなあと思ったんじゃないかな」
「原典の文章は、これ手紙なの? 日記かよって感じでだらだら続いて、読んでも読んでも終わらない」
「『髑髏検校』では書簡体は朱之助の手記だけで、全体が読みやすい」
「『髑髏検校』が書かれた時代は、原典は翻訳されてない」
「翻訳は戦後になってからね」
「だから横溝正史は書きたい放題だったと思う」
「ベラ・ルゴシの映画は既に作られていて、日本に入ってきたのが昭和六年くらいだったらしい」
「それなら一般大衆的にも吸血鬼って認識はあっただろうし、ニンニクが弱点ってのもすんなり受け入れられたかも」
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◆横溝正史の地理感覚
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「不知火島の描写で、南国特有の美しい月(P282)ってあるけど、九州って南国のイメージだったのか」
「今春陽堂書店から合作小説集が出始めたけど、昔の文庫シリーズに入っていた作品で『南方の秘宝』ってのは舞台が紀伊半島だった」
「直木三十五の『南国太平記』は鹿児島が舞台ね」
「鹿児島も紀伊半島も南国ってイメージはあるし、『南国土佐を後にして』って歌があるから高知も南国。でも長崎はなあ」
「横溝正史はあまり地理に詳しくなくて、九州全体がぼんやりと鹿児島みたいなイメージだったとか」
「中世の世界地図みたいだ」
「原典ではヘルシングがロンドンとアムステルダムとを何度も行ったり来たりするけど、どちらも港町だし結構近い。それに対してルーマニアってのは凄く遠くて、ロンドンから見ると何が起きてもおかしくない東の果てとして設定されてる」
「ドラキュラにかしずく三人の美女のうち二人までもが色黒だから、つまりはいろんな文化が混じり合う場所」
「そうすると『髑髏検校』の長崎ってのはなんとなく理解できる」
「横溝正史にとって、とりあえず遠い場所と言えば長崎」
「遠い場所として、同じ九州でも大分なんてのは出てこない」
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◆広がる二次創作の夢
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「まさにここから独自の色を出そうとというときに終わってしまった」
「もったいない」
「文化文政の頃って江戸の大衆文化が花開いていた時代だから、本当は芝居ネタ以外にもいろんなことをやりたかったのかも」
「読本が流行り、『南総里見八犬伝』も文化年間に刊行が始まってる。そういうネタを使ってもっと膨らませることもできただろう。異国船がやって来るようになった時代だから、そっちの方のネタもあると思う」
「作品全体の感想としては、本当に序盤でしかなかったんだろうなと思う。陽炎姫も決してヒロインではなくて前座のはずだったのに、そこまでしか書けなかったのが残念」
「今百七十ページぐらいなんで、二年続けたら五百ページ超えるんじゃないの」
「『雪割草』みたいだ」
「でも、書いたのが昭和十四年でそのあと戦争が始まっちゃうんで、雑誌がつぶれなかったとしてもどっちみち完結されない運命だったんじゃないかな」
「結末が変わって戦意高揚バージョンに」
「『雪割草』みたいだ」
「髑髏検校が日本を占領するつもりだったのに日本を背負っちゃって、神国うんたらかんたらって言い始める」
「最終的には大陸に渡って、眷属とともに開拓にいそしむ」
「それで餃子を食ってニンニクで苦しむ」
「陽炎姫様は餃子がお好きだったのに、最近はちっともお召上がりになりませんねえ、って」
「ぎょうざの満州の看板の女の子みたい」
「三割うまいんじゃなくて三割の確率でニンニクにやられて死んじゃう」
「作品の年代設定は文化八年で、人形佐七はもう生まれている。話がもっと続いていたら、佐七の親の伝次とか後見人格のこのしろの吉兵衛とかと絡むことがあったかもしれない。佐七の母親が吸血鬼に狙われたり」
「佐七の初期バージョンで、いったん連載を終わらせるときに外国に行っちゃうよね。その間に江戸はすっかり吸血鬼に占領されてて、やがて帰国してきた佐七一家と一大決戦が始まるという」
「ちょっと時代がずれてるけど、シーボルトに吸血鬼退治の知恵を持ってきてもらうのもいい」
「髑髏検校は、きっと滅んでないよね。また復活したら、今度はもう鼠小僧だろうが由井正雪だろうがどんとこい。時代のずれ関係なしにいろんな人物と絡めて打倒幕府みたいなことをすればいい」
「千葉周作もこの頃の人だから、一騎打ちができるかもしれない」
「鳥居大膳をもっと剣豪に設定してね」
「人形佐七も作品の中で将軍家斉に会ったりしてるし、このあたりの伝奇小説では実在の人物を絡めるのがお約束になってるからどんどん会わせてオッケー」
「ここで一回滅んだんだけど、明治大正の頃によみがえって田治見要蔵と闘ったりね」
「明治になればちゃんと伯爵を自称できるし」
「やっと不知火伯爵になる」
「真珠郎も実は、ってのもできる」
「『白蝋変化』の白郎三郎なんか見つめただけで女性を篭絡するってんだからまるっきりドラキュラだよね」
「変な血筋を引いてるのかもしれない」
「オール横溝総進撃」
「スーパー横溝大戦」
「戦後になってまた復活して、獄門島の隣の男爵島で髑髏男爵になるかもしれない」
「瀬戸内だと吸血鬼が出そうってイメージがないのはなぜなんだろう」
「瀬戸内は海賊のイメージで、南蛮渡来のあれこれってんじゃなさそう」
「あるい平家の落人と切支丹の違い」
「ちゃんとしたパスティシュにしなくても、あらすじを妄想してコラムにするだけでもいいと思う」
「『髑髏検校』からの発展の可能性をずらずら並べるとかね」
「それを読んだ誰かが実際書いてみようと思うかもしれないし、特定のワンシーンを漫画にしてくれるかもしれない」
「ぜひ妄想はしていきましょう」
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◆ネタバレ非公開部分のキーワードだけ並べておく
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イタリアンレストランみたいな香り、正体は最初から考えてあった、石は自分で担いで行ったのか、魔人になった理由、もう一回籠城して一戦交える
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◆なんとなくのまとめ
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読めば一言語りたくなる作品。でも二言語らなくてもいいかな。