累風庵閑日録

本と日常の徒然

「湖泥」

●今月末に、横溝正史読書会が開催される。課題図書が表題作になっている角川文庫『貸しボート十三号』を、せっかくだから一通り再読しようと思う。収録されている「堕ちたる天女」は先月読んだ。今日は残る「湖泥」を読むことにする。まずは、九年前に読んだ時の日記を一部分再録する。

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 初出誌では読者への挑戦が挿入されているくらい、犯人当てを視野に入れて書かれた作品。表面的にはグロだが、いろいろミステリネタが散りばめられている。犯人が殺人の容疑を他へ逸らそうとする企みが強烈。ここには詳しく書けないが、手掛かりの出し方もいい感じ。タイムテーブルを書いて整理したくなるほど、様々な人間が現場付近をうろうろしているのがいかにもミステリっぽくて嬉しい。

 他の作品でも見られる、オープニングの上手さはこの作品にも表れている。わずか数ページで、舞台の背景から当時の村の情勢、主要登場人物の人となりまで、一通りさらりと描いてみせる。
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 今回再読して感じた点がいくつかある。まず箇条書き的に並べると、情景描写、人物の濃さ、犯人設定の妙味、金田一耕助の人となりである。以下、順番にもう少しコメントを付ける。

 冒頭で、湖水と周囲の山とが次第に黄昏てゆく様が描かれ、晩秋の寒々とした空気と水の冷たさとが伝わってくる。いい雰囲気である。登場人物が、ぼんやりとした記憶以上に濃い造形であった。犯人が特濃なのはさすがに覚えていたが、それ以外にもなかなかに個性の強い人物がいる。

 犯人が(伏字)だったという設定と、それに伴う情報の扱いとが上手いと思う。真相解明の過程で、金田一耕助の狡猾さがよく表れている。

 ついでに、九年前の日記から初出テキストに関する部分も再録しておく。

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「湖泥」については以前、初出誌である「オール読物」昭和二十八年一月号のコピーを入手しておいた。そのとき同時に、「挑戦に答ふ!」として花森安治横山隆一、飯澤匡の三人が書いた回答編もコピーした。せっかくだからこれらも読んでみる。

 三人の回答は、あくまでもそれまでに語られた物語の枠内で真相を考えている。横溝正史の回答編はそういう枠を飛び越えて意外な結末に至っており、ちょっとこれは勝負にならんなあ、と思う。

 初出誌をぱらぱらやってみると、意外なほど文章の異動が多い。今回読んだ角川文庫版の方が、概ね描写が丁寧になっている。初出にはない記述として、最終章で金田一耕助が語る、農村と都会の交錯に関する台詞と、犯人の属性に関する解説めいた台詞はインパクトが強い。

 コピーの方はざっと眺めただけなので読み落としかもしれんが、どうやら文庫版の方が解決に一日余計にかかっているようだ。また、犯人周辺の描写が異なっており、文庫版ではその描写に関連した手掛かりがなくなっている。描写は同じでも、そこに持たせる意味が変わってしまっている個所もあった。これら二個所の改変のため、金田一耕助の推理の過程が違ってしまっているのには驚いた。
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