累風庵閑日録

本と日常の徒然

『チャリングクロス事件』 フレッチャー 平凡社

●『チャリングクロス事件』 フレッチャー 平凡社 読了。

 昭和四年に刊行された、世界探偵小説全集の第十巻である。冒頭四ページで、主人公の目の前で殺人が起きる。彼は被害者の孫娘に一目惚れしたこともあって、事件の真相解明に奮闘することになる。中盤までの、状況がじわじわと明らかになってゆく地道な展開は私好み。殺人の謎を探る本格ミステリかと思っていた物語は、次第にスリラー色を強めてゆく。

 フレッチャーの作風としてしばしば見受けられるのが、偶然を多用する安直さである。ところが本書ではそういう傾向が薄い。偶然といえばせいぜい、関係者のもとに電話なり訪問者なりの形で重要な情報がもたらされるときに、主人公が決まってその場に居合わせるくらいで。どうやらお得意ではないらしいロジックや構成の緻密さに重きを置かず、展開の早さと紆余曲折とを重視する内容は、予想外に面白くてすいすい読める。フレッチャーは、ストーリーテラーとしての技量はしっかりしているということか。そうでなければ、百冊以上ものミステリを書くような人気は得られないだろう。

 作品の内容とは関係ない部分でひとつ。本書は円本ブームの頃に急いで作ったのか、校正がなんともゆるゆるで微笑ましい。「聖メリイ館」と「セント・メリイス・マンション」の表記が混在している。甚だしいのは、「リレカアンス・イン・フイイルド」が三ページ後には「リンカーン・インス・フィイルド」になっている。おまけに後の方で「リンコルンス・イン・フィイルズ」って表記まで出てくる。