累風庵閑日録

本と日常の徒然

第八回横溝正史読書会「貸しボート十三号」

横溝正史読書会を開催した。今回は久しぶりに、会場を借りてのリアル開催である。リアル会としては第八回に相当する。場所は埼玉県某所。参加者は司会者を含め九人。ありがたいことに初参加がお一人いらっしゃる。課題図書は『貸しボート十三号』およびその原形短編。さらに、元ネタとされるアンソニーアボット『世紀の犯罪』を副読本として使用する。これ以降、順番に長編、短編、アボットと称する。短編は昭和三十二年に雑誌『週刊朝日別冊』に掲載された。翌年、改稿されて長編になったものが発表された。アボットは一九三二年(昭和七年)に単行本が刊行された。

 語られた内容のうち、ネタバレ部分は非公開とする。また大幅に他の横溝作品に脱線していった部分もばっさり省略。アボットについてはいろいろ興味深い話題もあったのだが、横溝読書会の趣旨から外れるのでかなりの分量を省略した。ここで公開するのは、横溝作品と比較する文脈で語られた部分のみである。現場で話が盛り上がるのは大変結構だが、それは参加者だけのお楽しみ。

 なお文末にページ数等が付されている場合、以下の本の該当ページを指す。
・数字のみ:角川文庫復刻版『貸しボート十三号』
・光+数字:光文社文庫金田一耕助の帰還』
・ア+数字:論創社『世紀の犯罪』

 

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◆まずは参加者各位の感想を簡単に語っていただく
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「短編と長編とを読み比べて、ボート部員が増えてるとかあの結末とか、もろもろのことも考えて青春だなあと思った」
「事件の名前が生首半斬り偽装心中事件なのか偽装生首半切りなのかいつも順番が入れ替わりがちになってしまう。今回長編と短編とアボットまで全部読んで、そこまで遡るとなんで十三なのかっていう理由がはっきりするので非常に面白かった。(某人物)の行動動機が、アボットよりも正史が書き直した方がなんとなく納得できる」

「何年も前に読んで、今回再読してみると自分は歳を取ったんだなって改めて思わせてくれるような、キラキラした奴らがいっぱい出てる作品。こういう学生たちの友情は、自分が若い頃読んだときは素直にすうって入ったけど、今はちょっと俯瞰して読むようになっちゃった」
「最初読んだときの印象は、えっ?なんで?みたいな。今回読んでみて、青春群像劇みたいなのをやりたかったんだなと思った。アボットまで読んでみて、ここまで遡ってあたりたくなる人の気持ちを実感した。三作品でいろんなパターンを楽しめた」

「非常にウエットな作品。冒頭にドカンとものすごく不思議な状況の事件を起こしといて、その謎で引っ張っていって、最後にそれを解決する。やりたいことがちゃんとできている作品。短編やアボットを遡って読んでいくと、すごく段階を踏みながら熟成していった感じ」
「学生の時にほぼ揃えて読んだはずなんだけど、この作品は全く記憶がない。多分トリックらしいトリックがないのが、私にとっては残念で記憶に残らないのかなと思う。最初のところで事件名をどうしようかなんておふざけがある辺りがちょっと違うなと思った」

「短編の終わらせ方はまるで『週刊少年ジャンプ』の打ち切り漫画みたい」
「 長編、短編、アボットと読んで、私にとってはアボットが面白かった。ところが最後にもう一回長編を読んで、おっ、という感じで再発見があった」
「あのあっけない短編をよくぞここまで膨らませたなという。力技に感心した」

 

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◆若者群像
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「最初は、出てくる人達のやり取りとかで共感するポイントが全然なかった」
「体育会系男子のノリだよね」
「少年漫画の友情ってこんな感じ」
「だからついていけなかったのか(女性参加者)」

「この作品が書かれたとき、正史は五十五歳。その年齢で若者を書くとこうなるってことか」
「当時は正史の息子さんが数年前に大学卒業したくらいの年齢なので、息子さんの大学時代の生活をふんわりイメージしたのかな」
「でも文科系と体育会系とでは全然違うと思う」
「映像作品とか、男達の友情ものや学園ものなんかは観てたでしょう。そこからヒントみたいなものは得たと思う」
「短編に、狂った季節(光P192)って出てくる。石原慎太郎の『太陽の季節』が昭和三十年、『狂った果実』が昭和三十一年で、それをごっちゃにしてる」

「この部員さんたちが、私にはちょっと薄っぺらく見えた。でも、彼らは若いからこの描写でいいんだ。人生経験がないから薄っぺらい人物でいいんだってのを気づいた時に、あ、やられたなって思った」
「後先考えないで行動に突っ走る頃だし、まあ馬鹿とは言わないけど、やっちゃうってのは若さかなって思える」

「正史はボート部員のことを楽しく書いてる」
「ノリノリだよね」
「友情もそうなんだけど、凄惨な事件がこの書き方でちょっと緩和されてる感じもする」
「この結末のために、部員の仲の良さみたいなのを書いておいた」

 

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◆首斬り談義
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「気になったのが、警察がボートを回収するときに死体に何も覆いをかけないってこと」
「みんなが見てる」
金田一耕助が全身総毛立つって、実際どのくらい気持ち悪いんだろう」
「首を斬り離してなくてちょっとつながってるのがポイントだよね」

「鋭利な刃物とノコギリってどっちが斬りやすいんだろうね」
「斬り残しが七割と三割の話があったけど、男性と女性とで筋肉量が違うのがその辺の差なのかな」
「斬りにくさの原因って脂分なので」
「じゃあ骨の太さかな」
「骨はやっぱり一番の障害でしょ」
「頸椎の間を狙わないとだめだよね」

「横溝作品には生首ってけっこう登場するから、金田一耕助も割と慣れてるはず。半斬りは今回が初めての事例」
「でも腐乱死体とかの方がよっぽど気持ち悪くない?」
「匂いとか虫とか」
金田一耕助ニューギニアでさんざん腐乱死体を見てきたはず」

 

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◆関連する地理について
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「戸田から浜離宮ってすごい距離があるし、しかも『トランプ台上の首』なんかを読むと当時は水上生活者がいたはず。よくあんなとこまで流れていったと思う」
吾妻橋のそばで盗んだボートを戸田まで漕ぎ上ってくるのは凄く大変だと書かれてある(P157)ので、正史も距離が長いことは分かってた」

「なんで短編でT町ってイニシャルだったのを長編では戸田って明記しちゃったのか」
「貸しボートで遡ったって描写を書きたかったんでしょう。そうすると距離感が欲しくなる」
「それと多分、正史は戸田を知らないと思う」
「これ、当時はTだけで戸田だって思えたものなのかな?」
「川沿いにある市でボートとなったらやっぱり戸田じゃないのかな」
「でもこれのお陰で埼玉県で事件が起きて、さいたま文学館の企画展でメインイベントになってる」

「メインの事件現場は戸田だけど、東京のあちこちが舞台になってる。矢沢の下宿が池袋、神門家は麻布広尾、川崎家は小日向台」
「等々力警部の住まいも小日向台だし、怪獣男爵もこの辺じゃなかったっけ」
犯罪都市か?」
「警部はいるわゴリラはいるわ」

 

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◆年齢設定と身長設定
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「大木健造は年齢四十五、六の設定なのに、一人称がぼく」
「この人、割とボンボンだよね」
「『悪魔の手毬唄』のおりんさんなんか五十八歳で老婆だし、年齢の感覚が分からない」
「神門貫太郎って川崎重人の兄でそんなに高齢ではなさそうなのに、『知っておりませんのじゃ(P225)』なんて喋り方をする。年齢設定がよく分からない」

「健造は身長五尺五寸で中肉中背、金田一耕助は五尺三寸で小柄と書かれてる」
「一寸は約三センチだから、六センチ違えば見た目は全然違うよ」
「でも全体的な見た目は身幅とか厚みも関係するでしょう」
金田一耕助は下駄を履くしね」
「文字通り下駄を履かせてる」
「それで帽子をかぶってるから背は高くなる」

 

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◆平出警部補について
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「平出警部補と吉沢医師とのやりとりがもう完全に捕物帳の名調子」
「読んでいて、急になんか始まったと思った」
「平出警部補は、語尾が~ですい、なんて言ってるし」
「ここも正史がノって書いたたんだろうな」

「あのギョッ、ギョッ、ギョウッだ、ってのは当時の流行語なんだろうか」
「単発のギョッってのは流行り言葉だったらしいけど、三連続ってのはよく分からない」
アボットに比べて正史は、あっちこっちでそういう会話の軽妙さがあって楽しい」

 

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横溝正史の書き方について
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アボットの翻訳の後に正史を読むと、文章が俗っぽく感じてしまってきつかった」
「私はむしろ正史は読みやすい。あんまりアボットの主人公に魅力を感じなかったせいもあるんだけど、あっちは半分近くまで読みにくくて。真ん中辺になってやっと、これはどこまで正史と同じオチになるのかなっていう楽しみで読めるようになった。正史作品はアボットの内容をもっと膨らませて、もやっとしたところを少しは解消してる感がある」

「正史のレーンコート大好き問題。女性の被害者はレーンコート姿だし、ボートを盗んだ男がバーバリーのレーンコートを着ていたことになってる(P131)。正史の中では男性向けコートは全部バーバリーだったりして」
「絆創膏は全部バンドエイドみたいな」
「事件が起きたのは入梅前の時期なのに、ボート部員でセーター着てる子がいるよね」
「他にも浴衣にアロハにアンダーシャツ」
「正史は服装の描写には無頓着」

「『ボートハウスこそもっとも屈強のかくし場所(P152)』って書いてあるけど、屈強って力強いって意味で、それを言うなら格好では?」
「誤植かな」
「誤植に誤植が重なってもとの文からどんどん離れてしまうことがある」
「正史独自の用法なのか誤植なのか」
「正史って割とひらがなで書いたりするから、それを漢字に直すときに間違ったとか」

ここで発見があった。

「『くっきょう』には別の字があって、『究竟』には極めて都合の良いこと、という意味がある」
「じゃあやっぱりひらがなの原稿を意図とは違う漢字に直されたのか」

「神門貫太郎が金田一耕助パトロンという設定は短編にはなくて、長編での後付けだったのはあれっと思った」
「神門一族の冤罪事件は最初から語られざる事件のつもりで書いたんだろうか」
「正史は語られざる事件を、筆を端折るために使う。たとえば金田一耕助がなぜこんな人物と知り合いなのかなんてのを説明するため。ところが今回は長編でページをたっぷり使えるから、つい筆がノっちゃった」
「ここまで詳しく書かれると、あとで作品化するのかと思ってしまう」
「でもこれは最後のネタまで書いてるから作品化はできないよ」

「昭和三十二年の段階で政府の疑獄事件なんかを持ちだしている。松本清張の『点と線』の連載が始まったのが同年二月なので、かならずしも社会派推理小説の流行に正史が乗っかったわけでもなさそう。なぜこんな疑獄事件なんかを取り入れたのか」
「もしかして当時実社会でそんな事件があったのかもしれない」

 

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◆短編とその改稿について
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「短編の最後でバッサリ切って終わるのは、『金田一耕助の冒険』の、特に原型にありがち。クライマックスのところで、もう長くなっちゃって切って解決を書くのがこの時期のお得意のパターン。後で改稿して長くすればいいやって」
「この時期はもう、どんなに短い枚数であっても金田一耕助ものじゃないと書かせてもらえないから、そこのジレンマがあったんじゃないかなと思う」

「初出が昭和三十二年八月で、まさにこの三十二年、三十三年は『週刊東京』で『金田一耕助の冒険』が連載されている時期。短編ラッシュだった。で、三十三年になるとネタ切れになってきたという、ちょっと大変な時期だった」
「それで外国ネタからのインスピレーションだったのかな?」
「生首半斬り死体を二つ出したのは、正史の創意工夫だよね。アボットの方はもっと状況は単純」

「井川一家の名前が、改稿されてがらりと変わっている。たとえば娘は由紀子からひとみに。でも被害者の譲治は長編でも変わってない。そして『壺中美人』の原形版『壺の中の女』で殺されるのが井川譲治。『じょうじ』は横溝あるあるネームだけど、何かその名前に意図があったのか。じょうじはなぜ殺される」

「川崎家の令嬢が美禰子から美穂子になってる。個人的にはみねこという名前は『悪魔が来りて笛を吹く』の椿美禰子の印象が強かったので、美禰子の方がお嬢様っぽいイメージがあったんだけど、なぜ美穂子になったんだろうか」
「短編と長編とで時代がすごい離れててて、時代背景に合わせて名前をちょっと軽くしてんのかなと思ったら一年しか違わない」

「名前以外に設定も微妙に変わってるよね。大木の娘が、大学受験だったのが高校受験になったり」
「改稿で女性の年齢が若くなるのは横溝あるある」
「名前を変えるのは分かる気がする。たぶん雑誌掲載の時はあり合わせのあるあるネームで書いちゃって、改稿の時に別の名前にする」
「短編は筆のノリというか、書きやすいようにバーって書いてる感じがする」

 

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◆『貸しボート十三号』と『世紀の犯罪』
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サッチャー・コルト(※ニューヨーク市警察本部長で『世紀の犯罪』の探偵役)は閃きながら組織を動かしてるけど、閃いた理由は説明しない。警察組織の偉い人なんで、混乱を起こさないためにもそうやって黙ってるのはまあ正しいかなと思う。一方で金田一耕助がずっと黙ってるのは理由として微妙かなという気もする」
「ただ、魅力的なのは圧倒的に金田一耕助。コルトは偉すぎる。みんなを動かして、しかも予想したことが全部ズバズバ当たる。ここに証拠がありそうって言ったら出てくる。ちょっと上手く運びすぎ」
「天才型名探偵が組織の長だったらどうなるかっていう実例だね」
「あと、あの造形はシャーロック・ホームズ
「コルトが真相に近づいていくと、落胆した目をする(アP198)。そこになんとなく金田一耕助と似ているものを感じた」

「コルトは、自分で見つけた証拠に異なる解釈を出して潰していく。どうしたら裁判で有罪にできるかっていうのを一番考えてて、堅実」
「ドアティ検事長なんてすぐに起訴だ起訴だって言ってるのに」
「正史作品は、状況証拠しかないのにほとんど告白で終わらせてる」
「自白第一みたいな状況と、裁判が大事っていうのとの差があるよね」

「コルトとドアティとの関係性も好き。金田一耕助と等々力警部みたいな」
「コルトは敏腕だけど、等々力警部は全然捜査しない」
「『あのひととおれとは頭脳のできがちがってる(P216)』なんて呑気なこと言ってるし」
「長編で、等々力警部の運転手がちょっと活躍する(P213)。アボットのシリーズだと運転手もシリーズキャラクターなので、それを踏まえてるのかも」

「事件発生の時期も、六月初旬(アP10)と入梅まぢか(P153)でほぼ同じ」
「どちらもまず死体発見の導入部から始まる」

 

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◆ネタバレ非公開部分のキーワードだけ並べておく
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生首慣れしすぎ、完遂していたらどうなってたのか、海に近い人間は死体を山に、脇が甘すぎる、ひとみちゃん頑張れ、凄い義侠心と女の情念、手掛かりの扱いが同じ、とっさに掴んだ、運賃を持たずに手ぶらで帰宅、初出誌の挿絵がひどい、綿密な捜査をしない、何度書き換えられても上手くいかない、天才はぱっと思いつく

 

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◆その他小ネタいろいろ
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「譲治はボートのチャンピオン(P138)だけど、あれってチーム競技だと思ってたので、譲治だけがチャンピオンと言われているのは不思議な扱い」
「チームのリーダーだったんじゃないかな」
「みんなチャンピオンなんだよ」
「スワンボートだったりして」

「電話が東京からかかってきたとか戸田からとか、なぜ分かるのか(P173)」
「あの時代はまだ電話交換手がいたから、まず相手の電話を受けて先方につなげるときにどこからかってことを言ったんじゃないかな」

「ボートの合宿所ではなくて合宿と書いてあるのが気になった。意味は通じるんだけど」
「私も、この時代そう言ったのかなとか、ふんわり思ってた」

「事件が日曜に起きて日曜の夕刊に間に合わなかった(P134)って書いてあるけど、日曜に夕刊があったのか」
(この時代はあったらしい)

 

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◆なんとなくのまとめ
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 短編はほぼ翻案だったが、大幅に改稿して青春群像劇に力点を置くことで正史自身の作品になった。