累風庵閑日録

本と日常の徒然

『クロームハウスの殺人』 G.D.H&M・コール 論創社

●『クロームハウスの殺人』 G.D.H&M・コール 論創社 読了。

 探偵役の主人公はミステリに興味はあるものの探偵活動の経験はなく、論理的な推理もあまりお得意ではないようだ。とある人物を、人相が悪いという理由で最重要容疑者に据えたりする。犯人設定にはさほど意外さを感じなかったのだが、ネガティブな意味で意外だったのが、真相は(伏字)ること。これはどうも、私の好みからすると少々がっかりである。そんなこんなで、ひとことでいうと軽量級ミステリといったところ。

 真相を追求するのは主人公一人ではない。物語が進むにつれて調査に携わる人数が増えてゆき、それゆけデコボコ探偵団、とでもいった味わいが出てくるのはちょっと楽しい。特に、探偵活動の仲間入りをして「散歩につれていってもらえる大型犬のように興奮」するアンスティー海軍大尉には助演男優賞を差し上げたい。

「改造社の『ドイル全集』を読む」プロジェクト第二十五回

●「改造社の『ドイル全集』を読む」プロジェクトの第二十五回として、第五巻から短編三作品を読んだ。訳者は全て和気律次郎である。「分解機」はチャレンジャー教授もので、教授の破天荒な造形が活かされている好編。十ページほどの分量を切れ味で読ませる。

「スペデイグのドロッパアの話」はクリケットが題材で、ルールを知らないから試合の描写がちんぷんかんぷんだったが、展開で楽しめる。無名の選手が特殊な投法を編み出し、国際試合のメンバーに大抜擢される話。彼は天才ではなく努力型の凡人で、人間味のある造形がストーリーの起伏にもつながっている。チーム選考を巡って熱烈なクリケットファン達が侃々諤々する様に、ユーモラスな味がある。

「世界が悲鳴を揚げた時」もチャレンジャー教授もの。なんとも壮大なホラ咄である。再読なので何が起こるかの興味はないが、馬鹿馬鹿しい面白さはある。

●わずかな読書時間以外は、昨日の読書会の録音データから文字起こしをやっていた。集中力が全然続かないので、休み休みで丸一日かかってしまった。これから内容を整理して推敲して、月曜にはアップできればいいのだが、もう少々遅くなるかもしれない。

第十回オンライン横溝正史読書会『支那扇の女』

●第十回オンライン横溝正史読書会を開催した。課題図書は『支那扇の女』。昭和三十五年に単行本として刊行された作品である。併せて原形となった同題短編と、さらにその祖型である短編『ペルシャ猫を抱く女』も対象とする。

 参加者は私を含めて十人。会ではネタバレ全開だったのだが、このレポートでは当然その辺りは非公開である。なお各項目末尾に数字が付されている場合、(光)が付いていれば光文社文庫金田一耕助の帰還』のページを示す。無印の数字は、今年の一月に刊行された復刊版角川文庫のページを示す。

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◆まずは参加者各位の感想を簡単に語っていただく
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「原形版のワンアイデアからよくここまで育てたと思う。読み比べると、改稿する際の執筆法がよく分かる」
「冬彦春彦秋彦夏彦ときて、息子の名前が気になる。冬彦の姑が泰子、朝井の亡妻が康子で、どんだけやすこなのか」
(「息子の名前は梅雨彦だったりして」というコメントが)

「なんでトイレだよっていつも思う」
「この機会にやっと『ペルシャ猫を抱く女』を読めたので、それだけでも有意義だった」
「場面のサスペンスを重視した作品に思えた」
「お誘いいただいてせっかくだからと参加した」
「中高生の頃読んで、カウンテスという言葉にビンビン来てた。今回再読してその言葉の位置づけが再確認出来ていい機会だった」

「正史が改稿で作品をどうやって膨らませていくのかが見えて楽しい」
「朝井昭三はクズだけど、仕事ができて金があって頭が切れる」
「サスペンス調の話だと思った」
「読み比べたからこその面白さがあった」

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◆最初のお題
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原形版と長編版と、どちらに軍配をあげるか? ただし評価基準はおまかせ。

「原形版は解決があっけなくて物足りない。物語としてしっくりくるのは長編版の方」
「長編版は、金田一耕助の推理がある。原形版はワンアイデア。推理で解決するか知識で解決するかの違いで、長編版の方が好き」
「長編版は、整っていた原形版にさらに足していっているのでいびつなところがあるけど、読み応えはある」
「先に読んだすりこみもあって、長編版の方がしっくりくる」
金田一耕助が現場に行って『明治大正犯罪史』を手に取る。長編版ではそのとき等々力警部にひとことことわってる(P34)けど、原形版ではそうじゃない(光P217)。そういった描写が足されているところもいいと思う」

 回答が少なめなのは、参加者のお答えのうち結末に触れたものをばっさり省略したから。

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◆改稿に関して
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「冬彦の姑の名前は泰子と加根子とが混在してるし、妹の名前は鶴子と田鶴子とが混在」
「この人達は最初と最後にしか出てこないから、うっかりしちゃったんだろうね」
「そのあたりおざなりな感じがして残念」

「この作品を長編化してまで残したいと思ったのは、冒頭の描写の素晴らしさも理由なんじゃないか」
「自殺するために走る女と必死に追いかける警官、その途中途中の目に見えるような描写がいい」
「細やかな背景描写もいい」
「車の梶棒をおろす牛乳配達(P18)」
「それはなんぼなんでもちょっと古いだろうと思った」
「正史は衣食住の食にあまり明るくなかった様子がうかがえる」

「長編化で警察サイドの人間が増えた」
「この時期以降、正史は所轄署を出したがる」
「『病院坂の首縊りの家』なんか、あちこちの巡査だとか警部補だとかが出てきて、警察の方が人数多いんじゃないかと思うくらい」
「等々力警部が金田一耕助のお守になっちゃってて、実質的な捜査をしていない。で、実働部隊が所轄署の人達なので、そりゃあ登場人物が増えるわな」
「都内とはいえどこでも等々力警部が出張ってくるんじゃなくて、ちゃんとその地域の警察が動くというのは、丁寧といえば丁寧」

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◆金と動機と
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「夏彦が朝井をかばうとき、年利の話を始める(P146)。犯罪で手に入る金の運用利回りよりも稼いでいる男が犯人のはずがない、という理屈の持っていき方がすごい」
「元本の金の魅力を考えないのか。二千万円は十分動機になるだろうに」
「正史さん、この頃に何か投資案件をお勧めされたのかな」
「この擁護の仕方は、夏彦の銀行家らしさの表れ」
「美奈子の資産をよく知ってるな」
「その一部を運用してたりして」
「朝井はマウントとるのが好きだから、夏彦の銀行に何口か預けてたんじゃないかな。恩着せがましく、預けてやるからお前の成績にすればいいよくらいのことは言った」
「うん、あいつはそのくらいのことは言う」

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◆『壺中美人』との相似
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『壺中美人』と同じモチーフ、同じ題材がいくつか指摘された。だがこれはデリケートな話題である。真相に関連して××が同じ、なんてうかつに書くと、片方だけ読んでいる者にとっては未読作品のネタバレになる。したがって差し障りのない項目だけを公開しておく。

「どちらも原形版短編を改稿して長編版にしている」
「成城が舞台」
「パトロール中の警官が女性にでくわすシーンから始まる」
「どちらも『女王蜂』のエピソードが挟まれる」
金田一耕助のご飯描写がある」
「『支那扇の女』の場合はトーストにミルク、半熟玉子に果物というシンプルな献立(P129)」
「普通だ」

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◆水洗便所
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 この作品では、水洗便所が重要な意味を持つ。同時に大きな疑問点にも関係している。詳細は公開できないが、作品のキモのひとつなので項目だけ立てておく。

「この家には風呂場ないのか?」
「凶器のまき割りは風呂のたき口にあった(P79)から、風呂はあった」

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横溝正史の書き方について
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「美奈子は、継子の小夜子に対して一度はよい母になろうとしたけど、結局周囲の者がやめさせた(P78)。継子の面倒を見ろと言われるよりは、そっちを放置して二階で生活している現状の方が楽といえば楽」
「その辺、正史の生い立ちにつながるものがある。義理の母と血のつながらない姑がいる世界」

「山川警部補はふとっている(P58)、服部警部補は金太郎みたいにまるまるとふとっている(P133)」
「円満なキャラはこうやってふとっている」
「戦後十年ちょっとでこんなふとったひとが何人も出てくるのか」
「夏彦も肉付きがよくて円満なひとがら(P96)」
「体形が性格を表している」

「原形版では、不動橋から線路まで数十メートル(光P202)だけど、長編版だと十メートルほどに修正されている(P16)」
「こういうところから飛び降りたら、電車にはねられる前に死んじゃうよね」
「数十メートルなら死ぬけど、十メートルでうっかり死に損なうと最悪」

「冒頭のシーンで、美奈子はパジャマの上にレーンコートを着てる。正史はレーンコートが大好き、あるいは信頼感をもってる」
「『八つ墓村』でも、美也子が辰弥と一緒に三宮を発つときにレーンコートを着てる。たぶん普通のオーバーコートのつもりだったんだろう。『壺中美人』のときも、車に乗ってるのにレーンコートを着てる」
「外出着のことをレーンコートと書きがち」

「AI横溝ができたら、そいつが書いた新作ではみんな外出の時にはレーンコートを着て長い睫毛をふっさりさせる」
「店の名前はモナミ」
「胡散臭いホテルは聚楽荘」
「麗人劇場にストリップを観に行く」
(この辺りはみなさん悪ノリである)

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◆『ペルシャ猫を抱く女』について
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「三作品のなかではこれが一番すっきりしてると思う」
「あのネタを殺人と結びつけるのは弱い」
「一発ネタだけの話」

「了仙は悪行者の基礎形ともいえる。ただしこの人は権力もないし道場も持ってないので、墓の前でなんとかするしかない」
「ネチネチしてる」
「もとが了仙というネチネチキャラだから、朝井がこんな嫌な奴なんだ、と納得した」
「嫌なところが煮詰まって改稿版に活きている」
人間性がより嫌らしくなって仕事ができる感じにしたら、それが朝井になった」

ペルシャ猫って明治の頃に日本にいたんだろうか」
「小道具としては豪華だけど、モチーフ的には支那扇の方が楽なはず」
「貴族感を出したかったとか」
「克子がモデルになるときにどこからか借りてきたのかな」
「それはたぶん、人は人、猫は猫で描いたと思う。ペルシャ猫サイズのなにか静物を持っててもらうか、もしくは克子が猫を飼っていたならそれを抱いてもらうとか」
「これはやっぱり三毛猫じゃだめなんだろうね」
「三毛猫や狆では和のテイストになってしまう」

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◆省略
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現実の成城の地理についていろいろ四方山話があったが、省略。
角川文庫のカバー絵についていろいろ四方山話があったが、省略。

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◆ネタバレ非公開部分のキーワードだけならべておく
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ドタバタ感とお前かよ感、牛乳配達は毎朝同じ時刻に来る、引き金は『悪い種』、改稿に伴う人物造形の変化、強引な動機と効率の悪い犯罪

作品上の小夜子の役割、長編化に際しての正史の気配り、偽装らしい偽装、クズにしては扱いが優しい、唐突な色合いの変化、脳内片岡千恵蔵、急にハードボイルド、金田一耕助は有名人、画家の名前の暗喩

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◆その他小ネタいろいろ
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「原形版では牛乳屋が美奈子の胸をつかんでた(光P206)けど、長編版では腕になっている(P21)」
講談社の『新版横溝正史全集第十巻』に収録されている原形版では腕になってるから、たぶん胸が誤植」

「美奈子が病院で睡眠薬をひと箱飲んで自殺を図った。そんな薬どこで手に入れたのか」
「その点はたぶん正史自身も気づいていて、長編版ではセルフツッコミをやってる(P43)」
「我々の手落ちです、ってとりあえず先手を打ってあやまってる」

「泥棒が横行してるのにパトロール中に不審人物にぶつかった警官はいないと書いてある(P13)けど、後の記述(P86)では垣根を越えて往来している泥棒を取り逃がしたことがあると書いてある」
「往来しているのを見かけたってのは、住民の目撃証言だったのかもしれない」
「『スペードの女王』でも同じような泥棒が出没する。もしかして実際に成城でこういう事件があったのかも」
「成城の高台エリアにはアパートやマンションがなく戸建てばかりなので、泥棒にとってはやりやすい環境」

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◆なんとなくのまとめ
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 この作品の犯人はとても計算高い。『壺中美人』の犯人もちょっとは見習ってほしい(とんだトバッチリ)

『支那扇の女』 横溝正史 角川文庫

●『支那扇の女』 横溝正史 角川文庫 読了。

 明日開催される、オンライン横溝正史読書会の課題図書である。対象は表題作だけなのだが、一冊の本として通読するために同時収録の「女の決闘」も読んだ。どうもこれはあっけなくて、あまり高い点数は差し上げられない。具体的には書かないが、被害者の中長期的な行動原理がよく分からないし。

 表題作「支那扇の女」についての感想あれこれは、来週月曜か火曜に公開予定の読書会レポートの中で語ることになる。

●注文していた本が届いた。
『振袖小姓捕物控 第三巻』 島本晴雄 捕物出版

『シャーロック・ホームズの挨拶』 長沼弘毅 文藝春秋

●『シャーロック・ホームズの挨拶』 長沼弘毅 文藝春秋 読了。

 残念ながら、今回はあまり興味を惹かれない題材が多かった。読んだと称するのが申し訳ないほど、目が活字の上を滑ってゆくばかりであった。第四章「ベイカー・ストリートの部屋を覗く」で提示された、ホームズとワトスンの住まいの見取り図は、作品の理解を深めるうえで助かる。とまあ、コメントしたいと思える箇所はここくらい。

『相良一平捕物帳』 森達二郎 春陽文庫

●『相良一平捕物帳』 森達二郎 春陽文庫 読了。

 事前情報一切なしに手に取ったので、この作家がどういう人物なのかは知らん。読んだ感じでは、なかなか手慣れていてそつのない書きっぷりである。刊行は昭和四十八年。

 主人公相良一平はきりりとした男前の同心で、目明かしの太鼓松とその手下合点庄次とが子分格。馴染みの川魚料理屋菊水の、看板娘お利江がすっかりホの字にレの字という案配で。この娘がただのお飾りではなく、怪しい出来事を目撃してストーリーが動き出すきっかけとなったり、さらには事件解決に一役買ったりもする。

 形式は短編集だが完全読み切りではくて、各作品毎のつながりが意外なほど強い。ちょいちょい前回までのエピソードに言及され、全体が特定の一年間の出来事になっている。前作の登場人物が再登板して準レギュラーになるなんてこともある。そういったメンバーがじわじわ増えて、やがては相良ファミリーとでもいうべき様相を呈してくる。

 起きる事件は特に捻りもなくミステリらしい趣向もなく。それどころか後半になるとヒーロー小説の色が濃くなって、遠山の金さんか暴れん坊将軍かというノリになってくる。特に異色なのが第四話「切ったのはだれ」で、相良がなんと(伏せ字)まがいの活動をしてのける。これにはちと驚いた。

『心地よく秘密めいた場所』 E・クイーン ポケミス

●『心地よく秘密めいた場所』 E・クイーン ポケミス 読了。

 クイーンは最後までクイーンであった。数字の九への執拗なこだわりも、人間関係を制限する奇妙な条件も、動かされた机という題材も、探偵クイーンと手掛かりとの関係も、どれもこれもどこかで読んだような。本の内容は読んだそばから忘れてしまうから具体的な作品名は出てこないけれども、犯人設定ですら以前読んだクイーン作品で似たような立ち位置があった気がする。

 材料の再利用だなどと野暮な否定はしない。クイーン作品を読むために手に取った本にクイーンの味わいがあるのだから、満足である。

『犯罪都市』 川本三郎編 平凡社

●『犯罪都市』 川本三郎編 平凡社 読了。

「モダン都市文学」の第七巻である。近代になって成立した、従来の村落共同体とは異なる都市空間における犯罪をテーマにしたアンソロジーである。本書の大きな意味は、横溝正史が参加したリレー小説「諏訪未亡人」および「越中島運転手殺し」が収録されていることにある。

「諏訪未亡人」は、延原謙の手になる発端で未亡人の息子が失踪する。後に続く作家達がなんとも自由に意外な方向に広げてしまった風呂敷を、トリを務める横溝正史がどうにかたたんで見せる。事前にどのくらい内容のすり合わせをしていたのか知らないが、こういうのは緊密な構成を期待するものではないだろう。まず読めることが重要である。

越中島運転手殺し」は、正史には珍しい犯罪実話。と思っていたら、二番目の正史担当分「足の裏」は意外にも怪奇小説仕立てであった。

 これもリレー作品「六万円拐帯事件」は、冒頭に掲げられた新聞報道から受ける事件の印象と、あとに続く三人の担当者が語る事件の内実とが大きく食い違っている。その違いが読みどころ。今も昔もマスコミは……なんて思ってしまう。

 他に面白かった作品は、グロテスクな展開が血液多めのホラー映画のような小舟勝二「昇降機」、結末はやや腰砕け気味だけども途中の展開が奇怪な正木不如丘「法医学教室」といったところ。すでに何度か読んだ谷崎潤一郎「途上」や江戸川乱歩「目羅博士」は、何度読んでも面白い。

●書店に寄って本を買う。
横溝正史が選ぶ日本の名探偵 戦前ミステリー篇』 河出文庫
横溝正史が選ぶ日本の名探偵 戦後ミステリー篇』 河出文庫

『デイヴィッドスン事件』 J・ロード 論創社

●『デイヴィッドスン事件』 J・ロード 論創社 読了。

 犯人の真の目的が(伏字)だということは、割と早い段階で想像できた。それに気づくと、全体のおおまかな構造が浮かんでくる。したがって興味の焦点は真相の意外性にではなく、具体的な犯行の段取りにあった。

 被害者が、殺されるまでの過程でところどころ奇妙なふるまいをする。あるいは、物語中の位置づけが分からない奇妙な出来事が起きる。こういった記述にいかにも何か仕掛けがありそうでいながら、実際の意味が分からない。どういう形で真相に結びつくのか。

 結末に至って犯罪計画の全貌が判明すると、よく練り込まれているミステリを読んだ満足感がある。ほほう、あの手を使ったか、というのがいかにもミステリらしくて嬉しい。伏線については、特に(伏字)の扱いが面白い。あの描写にはそんな意味があったか。

『マッド・サイエンティスト』 S・D・シフ編 創元推理文庫

●『マッド・サイエンティスト』 S・D・シフ編 創元推理文庫 読了。

 題名の通り、サイエンスにのめり込んで一線を踏み越えた者達をテーマにしたアンソロジーである。三十年以上昔に読んで以来の再読で、よほど印象に残った作品以外はきれいさっぱり忘れていた。だが、読んでみると案外思い出すものである。

 ラムジー・キャンベル「自分を探して」は、序盤は読者に分からせないように書いてある状況が徐々に見えてくると、その状況の絵柄がグロテスクでいい感じ。グロテスクさでいえば、ジョゼフ・P・ブレナン「スティルクロフト街の家」、リチャード・C・マシスン「あるインタビュー」、H・P・ラヴクラフト「冷気」といった辺りも捨てがたい。どれもこれも、映像で観てみたい逸品である。

 カール・H・トンプスン「粘土」は、不穏な描写を積み重ねながらじわじわと話を盛り上げてゆくストレートな怪奇小説で、結末のインパクトもまたストレートな味わいの秀作である。

 怪奇小説流の説得力を発揮する結末で深く記憶に残る名編、レイ・ラッセル「サルドニクス」を巻頭に配し、叙情味の勝った名作、レイ・ブラッドベリサルサパリラのにおい」を末尾に置いて、その間を粒揃いの秀作で埋める傑作アンソロジーであった。

●書店に寄って本を買う。
『吸血鬼ラスヴァン』 G・G・バイロンほか 東京創元社

●定期でお願いしている本が届いた。
『デイヴィッドスン事件』 J・ロード 論創社
『クロームハウスの殺人』 G・D・H&M・コール 論創社

●注文していた本が届いた。
『『新青年』趣味XXII』 『新青年』研究会

●いろいろ届いて買って、また積ん読が増えてしまった。