累風庵閑日録

本と日常の徒然

『松風の記憶』 戸板康二 創元推理文庫

●『松風の記憶』 戸板康二 創元推理文庫 読了。

「松風の記憶」
 舞台や視点人物を様々に変えながら、長い年月に渡る人間関係の変化と深化とをじっくりとたどってゆく。歌舞伎や踊りの世界を舞台にしており、登場人物達は一般サラリーマンとは異なっているけれども、人間としてさほど異なるわけもない。彼らの感情の描写を丁寧に積み重ねることで、当たり前の弱さや醜さを備えた人間としてそれぞれがぞれぞれに厚みを増してゆく。だからこそ、終盤の(伏字)シーンがひりひりするほどスリリングで凄まじい。

 他にも、人物造形が確かだからこそ迫って来る場面がある。言ってはいけなかったひと言。それまでの積み重ねがあるからこそ、軽い気持ちで口から出た言葉は、聞いた者にとっては重大な意味を持ってしまう。それまでの積み重ねがあるからこそ、あの日あの時あの場面で、ある一人だけは周囲の者の何気ないふるまいに意味を感じてしまう。

「第三の演出者」
 強烈な個性の持ち主である演出家の死後、ある事件が起きる。その事件と演出家の人となりについて、周辺人物が順番に語ってゆく。そこでは語り手本人の生い立ちといった関連情報も併せて語られるばかりか、真相につながる手掛かりがひっそりと仕込まれている。ノートに記された彼らの談話を読んだ中村雅楽が、関係者に一度も会わずに真相を見抜くというのが、ひとつのミソである。雅楽の探偵法は、物証に基づくロジックを駆使するのではない。人間性に対する深い洞察によって真相を浮かび上がらせるのである。

 どちらの作品も人の心の機微が大きなウェイトを占めているので、どのくらいの精神年齢の時に読むかによって、受け止める面白さがだいぶ変わってきそう。ところでこれで、創元推理文庫の「中村雅楽探偵全集」全五巻を読み終えた。来年からまた別の個人集成を読み始める予定である。

『狼の一族』 若島正編 早川書房

●某所で開催された某イベント(これじゃあ何がなんだか)に参加するため、月曜に有給休暇を取って土曜から二泊三日で北海道に行ってきた。詳細は、主催者殿が発行する同人誌に収録されるはずである。

●『狼の一族』 若島正編 早川書房 読了。

 異色作家短編集の第十八巻、「アンソロジーアメリカ編」である。巻末の編者あとがきに曰く、誰が読んでも少なくとも一、二編は気に入ってもらえる短編があるという。なるほど確かに。

 ジーン・シェパード「スカット・ファーカスと魔性のマライア」は、子供の世界の残酷さと彼らの領域で繰り広げられる決闘の緊迫感とがよく伝わってくる。R・A・ラファティ「浜辺にて」とジョン・スラデック「他の惑星にも死は存在するのか?」とは、よくわからない内容であることがぼんやりとした面白さを発揮しているような作品。

 個人的ベストはジャック・リッチー「貯金箱の殺人」であった。二転三転する物語が、先を読みたい気にさせる。

羽田空港から帰宅する途中に、書店に寄って本を買う。
『夜の挽歌』 鮎川哲也 光文社文庫

『バーニーよ銃をとれ』 T・ケンリック 角川文庫

●『バーニーよ銃をとれ』 T・ケンリック 角川文庫 読了。

 主人公は平凡な小市民。インフレと不景気とで家計は火の車である。似たような境遇にある二人の仲間を語らって、ちょっとした詐欺を目論んだ。それが予想を超える展開となり、強大な敵から命を狙われる羽目になる。相手は中南米の独裁者で、クーデターを逃れて現在はニューヨークに潜伏している。

 襲ってくるのは独裁者が抱える私設軍隊。二十四人のプロ中のプロである。主人公側の三人は軍事教練のプロを雇い、森林地帯の小屋に立てこもる。周辺に数々のトラップを仕掛け、敵がやってくるまでのわずかな期間に、必死で付け焼刃の戦闘訓練を積み重ねる。

 今となっては三十年の昔、ちょいちょい冒険小説を読んでいた頃を思い出す。設定からしてワクワクするし、アクションは熱いし、サスペンスも上々。展開の捻りもあるし、結末もお見事。上出来の娯楽小説であった。こいつは面白い。

『そして医師も死す』 D・M・ディヴァイン 創元推理文庫

●『そして医師も死す』 D・M・ディヴァイン 創元推理文庫 読了。

 人間誰しも、多かれ少なかれ負の要素を持っているだろう。すなわち、卑しさ、愚かさ、臆病さ、幼さ、軽率さ、だらしなさ。登場人物達はそれぞれに様々な負の要素を背負わされて、生々しく描かれている。憎たらしい者、哀れな者、危なっかしい者。憎しみに執着する者。無定見に噂に流される者。地方都市のコミュニティの中で、殺人事件に伴って彼らが右往左往しながら相互の関係を発酵させてゆく様が、すこぶる面白い。明日までかかる予定だったのだが、ぐいぐいとページが進んでしまった。

 ミステリとしても悪くない。些細でいながら明確な手掛かりが、かなり早い段階でさらりと仕込まれている。些細な手掛かりにも種類があって、カーなんかによくあるのが、そんなの気付くわけないだろ、と思ってしまうタイプ。本書の手がかりは、十分に注意して臨めば気付いたかもしれないと思えるタイプで、秀逸である。私は気付かなかったけれども。

『蜃気楼博士』 都筑道夫 本の雑誌社

●『蜃気楼博士』 都筑道夫 本の雑誌社 読了。

 都筑道夫少年小説コレクションの第三巻である。表題作は中編一と短編二とで構成されるシリーズ。なかでも第一話「蜃気楼博士」が面白かった。不可能興味が横溢しているし、犯人設定はなるほどと思う。二十二年前にソノラマ文庫で読んだときの日記を確認すると、ネガティブな感想を書いていたのだが。二十年も経つと、そりゃあ好みも変わろうというものだ。主人公の少年が事件に関する様々な情報を抜き出して一覧にし、検討を加える。その作業ののち、読者への挑戦が挿入される。この辺も本格ミステリど真ん中の味わいで嬉しい。

 後半は「フォト・ミステリー」シリーズの十二編。写真にも手掛かりが含まれているというのがミソである。もちろん本書にも当時の写真が収録されており、その辺に抜かりはない。解決編では、「手がかりの写真はこれだ!!」としてキーとなる写真が再掲されている。写真が不鮮明で、これじゃあ分からんだろう、というのもあったけれども、それもまた味わいである。

 こういうのはデニス・ホイートリーの捜査ファイル・ミステリーに通じる味わいがあって、なかなかに楽しい。しかも写真には芸能人がゲスト出演しており、約半世紀前の人気芸能人の顔ぶれが垣間見えるのも興味深い。その人選はたとえば、あおい輝彦コント55号今陽子岡崎友紀などなど。

 作品として面白かったのは以下のようなところ。凶器の隠し方にちょっとした盲点を使った「消えた凶器」、男が女もののコートを着ていた理由が面白い「消えた文字の秘密」、マスクの使い方がポイントの「ゴムの仮面」。

『夢遊病者の姪』 E・S・ガードナー ハヤカワ文庫

●『夢遊病者の姪』 E・S・ガードナー ハヤカワ文庫 読了。

 ペリイ・メイスンシリーズを読むのは数十年ぶり二冊目。前回がいつで何を読んだかは、とうに忘却の彼方である。法廷ものってのはなじみが薄いので、なかなかに新鮮であった。メイスンが駆使するロジックは、真相に到達するためのものばかりではない。検察側を出し抜くためにもロジックを駆使し、罠を仕掛け策略を練る。主人公の造形がよくある奇矯な名探偵型ではなく、徹底した実務家肌だってのも新鮮であった。多くの人間を雇ってそれぞれに適切な指示を出し、てきぱきと物事を処理してゆく様は、読んでいて爽快である。

 内容としては、ある証言の意味合いがぐるっとひっくり返るのがひとつの読みどころ。また、ある要素がぎりぎり終盤まで隠されていて、ぱっと明らかになることで(伏字)が否定され、メイスンが見抜いた解決につながってゆく展開が鮮やかである。この要素が作品のキモであろう。

 さて、本書を手に取った目的は、横溝正史との関連にある。正史自身がとあるエッセイで、この作品が自作「夜歩く」になったと記しているのだ。そこでまず「夜歩く」を読んで記憶を新たにしたうえで、本書を手に取った。結論として、夢遊病者の殺人および鍵のかかる場所に保管された凶器の刃物、という要素が「夜歩く」に活かされているようだ。

『夜歩く』 横溝正史 角川文庫

●『夜歩く』 横溝正史 角川文庫 読了。

 必要があって、二十年ぶりの再読である。メインの大ネタ以外ほとんど忘れていたのだが、こんなに面白かったか、と驚く。いろいろ書きたいことはあるけれども、なにしろデリケートな扱いが必要な作品だ。真相および中盤以降の展開に関しては、キーワードのみ公開しておく。すなわち、ロジックと直感、探偵の正しさ、自分で喰う、日本刀の血、性質の変化、世相の利用。

 記憶の新しいうちに、ネタバレでいろいろ語りたい。

『霧と雪』 M・イネス 原書房

●『霧と雪』 M・イネス 原書房 読了。

 中盤過ぎまでは、なんとも地味な作品である。まず、事件が地味である。被害者が銃で撃たれるが、死にはしない。つまり殺人事件ではなく傷害事件である。現場が不可解な状況になっていたりはしない。題名が示すように季節は冬だが、足跡のない雪の密室だったりもしない。そして全体の記述もまた、とことん地味である。登場人物達の会話、表情、しぐさといったものがじっくりと描かれる。それらに対する語り手の考察や論評、解釈といったものも、丁寧につづられる。

 ところが中盤すぎると、物語は異様な展開を見せる。地味な書きっぷりを保ったまま派手な疾走を始め、蛇行し始めるのだ。堅実な領域からスットンキョーな領域まで右往左往したあげく、たどり着いた真相はなんとも。時折、真顔で冗談を言うような雰囲気も漂わせる。こういう奇妙さや人を食った展開には、マイケル・イネスのある種の持ち味が強く表れているのであろう。

『妖説地獄谷』 高木彬光 春陽文庫

●『妖説地獄谷』 高木彬光 春陽文庫 読了。

 ゴキゲンな伝奇小説であった。内容は分かりやすく展開が速くて、サクサク読める。おまけに文字が大きいこともあって、予定より早い読了となった。大勢の人々がかつ出会いかつ別れ、あるいは敵対しあるいは手を結び、荒れ狂う運命の波濤に翻弄される。江戸の街に、大名屋敷に、奉行所に、陰謀奸計が渦巻く。怪剣士が暗躍し、怪盗が闇夜を走る。

 物語が進むにつれて、次第に明らかになってゆく大陰謀。その鍵となる品物を巡って、複数の陣営が闘争を重ねる。そこに偶然巻き込まれたのが主人公早乙女主計である。ところがこの主計殿、あまり精彩がない。むしろ脇役の遠山金四郎だとか怪盗まぼろし小僧だとか、敵役の鳥居耀蔵なんかの方が活き活きしている。結局のところ、作品の主役は波乱万丈なストーリーそのものなのであろう。

●今月の総括。
買った本:十二冊
読んだ本:十三冊
 文フリがあった影響で購入数が膨らんだが、一方で読む方も快調であった。

更新一時停止

創元推理文庫戸板康二を半分まで読んで中断。感想は通読してから。明日からは上下巻トータル七百ページ以上ある本を読み始める。私のペースだと読了まで早くとも五日かかるので、日記の更新はそれまで一時停止します。あしからず。