累風庵閑日録

本と日常の徒然

『チャーリー退場』 A・アトキンスン 創元推理文庫

●『チャーリー退場』 A・アトキンスン 創元推理文庫 読了。

 わりと早い段階で、事件の枠組みが明らかになる。被害者が死ぬ直前に(伏字)の内の誰かが犯人だ。結末に至って枠組みの中で意外性を演出してみせるのか、あるいは枠組みそのものをひっくり返してみせるのか。その辺りがひとつの読みどころ。もちろん実際にどうなるかは書けない。

 関係者の行動タイムテーブルが挿入されたり、探偵役のファーニス主任警部が事件についてぐるぐる考えたり関係者とディスカッションしたり。そういった、ミステリならではの趣向がきっちり盛り込まれているのが嬉しい。作品中で上演される劇の内容と事件とがきちんと結び付いているのも上々。情報の出し方や伏線の張り方、登場人物の造形、といった要素がそつなく書かれており、読んでいてしんどくなく、読み終えて気持ちのいい秀作であった。

●明日から、ちょいとしんどい本を読み始める。今度の連休には野暮用があるから、どのくらい読書時間を確保できるか分からない。月曜までに読了できるかどうか覚束ないので、次回の更新は火曜以降になるかもしれない。あしからず。

『怪獣男爵』 横溝正史 柏書房

●『怪獣男爵』 横溝正史 柏書房 読了。

 柏書房から出た一連の横溝本を、せっかく買ったのに積ん読のままにしておくのはもったいないので、せいぜい読んでいくことにする。今回は「少年小説コレクション」の第一巻である。

「怪獣男爵」
 四年前に開催したオンライン横溝正史読書会で、参加者の皆様によって様々な視点からの読み方が語られた。気になるお方は当ブログにて「第八回オンライン横溝正史読書会」で検索していただきたい。当時それなりに深掘りして読み込んだのだが、それでもなお読む度になにかしら気付く点はあるもので。

 古柳男爵の協力者であった北島博士は、一見正義の守護者で悲劇の犠牲者のようであるが、残された手記の文言(本書P53~P56)からするとこの人もたいがいである。生きていてもなんの役にも立たぬ云々とか、自分で実験をやってみたかったとか。

 五十嵐邸の祝賀会で披露されたロープマジックについて、物識りらしい紳士がネタを解説する台詞がある。そこで言及される「おもしろい話」(本書P86)とは、どうやら実在する短編小説がベースになっているようだ。その小説とは、横溝正史が翻訳して大正十四年に雑誌「新青年」に掲載された、バートン・ハーコート「マハトマの魔術」である。ディテイルは異なっているが、マジックの内容、そのネタ、そしてネタがばれてしまう経緯までもが同じである。

 ところで、ジョン・コリアも同じマジックを題材にした作品を書いている。河出書房新社から出た『ナツメグの味』に収録されている「頼みの綱」である。もしかして、インドのロープマジックといえばこれだという共通イメージのようなものがあるのかもしれない。

 そう思って調べてみると、元となった文献があるようだ。十四世紀のアラブの旅行家イブン=バットゥータの、『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』である。作者が訪れた先の中国で、インドの奇術師が実演していたのがこのロープマジックだそうな。この旅行記は、十九世紀にはヨーロッパで広く知られるようになったという。

「大迷宮」
 由利先生シリーズ「夜光虫」の、遠い谺が響いているような作品。詳しいことは今までイベントの資料やブログやなんかに何度も書いたので省略。そういった自作の趣向の再利用以外に、コリンズやビーストン、フリーマンといった海外作品の影響もうかがえる点が興味深い。こちらの件は、先日作った『ネタバレ全開! 溝正史が影響を受けた(かもしれない)海外ミステリ・リスト』で言及してあるので、よろしければ各自ご確認ください。

 ところで前作では何人もの部下を心服させていた男爵だが、今回は度々裏切られているようだ。どうしちゃったのか。

「黄金の指紋」
 身分を証明するアイテムの争奪戦や、複数の勢力が入り混じり敵味方が離合集散を繰り返す展開は、基本的な骨格をそのままに時代伝奇小説に作り直すこともできそうだ。ところで、作中でちょっとした記述のしかけ(本書P340、P344)がある。地の文で嘘は書いていないのだ。これは面白い。

●古本を買う。
『黄色の間』 M・R・ラインハート ポケミス
『霧の中の虎』 M・アリンガム ポケミス

 どちらの作品も、連載されたミステリマガジンが手元にあるので新刊当時買わなかった。読めればいい、というのが基本姿勢である。ところが今になって、本の形で欲しくなってしまった。

●注文していた冊子が届いた。
『探偵作家・大阪圭吉展 図録』 盛林堂書房
 いろいろ野暮用があって、大阪圭吉展に行けるかどうか覚束ない。まずは図録を確保しておいた。

『白の怪』 志村有弘編 勉誠出版

●『白の怪』 志村有弘編 勉誠出版 読了。

「ミステリーセレクション」のシリーズで、題名に「白」が付く作品を集めたアンソロジーである。残念ながら感銘を受けた作品は少なかった。人の情念をねっとりと描いたりだとか、陳腐なメロドラマだとか、そういうのは読んでいて疲れる。

 個人的ベストは古銭信二「白い死面」。探偵役が犯人をじわじわと追い詰めてゆく場面がかなりの分量を占めており、ちょっとしたサスペンスがある。別枠として牧逸馬「白仙境」も挙げておく。都内で発生した奇怪な殺人事件にまつわるミステリかと思いきや、織田信長の時代の南蛮国に話がカッ飛んでいく破天荒さ。馬鹿馬鹿しくも勢いのある、ハチャメチャな面白さがある。

『イザベルの不在証明』 M・R・ラインハート 論創社

●『イザベルの不在証明』 M・R・ラインハート 論創社 読了。

 一番好みに合っていたのは、収録作中で最もミステリ風味が強い「口紅」であった。警察も含め周囲の誰もが自殺だと考えている女性の転落死。だが彼女の従妹だけは、強硬に殺人だと主張して譲らない。なんとチェスタトンの「(伏字)」ネタが使われている。表題作「イザベルの不在証明」も、状況がどうなっているのか分からずに読み手の想像が刺激される展開がちょいといい感じ。だが、好みに合っていた作品と出来がいいと思えた作品とは少々違う。

 収録作の多くは普通小説に近く、それがまた実に面白いのであった。ラインハートがこんなものを書いていたのかと驚く。特に気に入ったのは以下のようなところ。読み進むにつれて、登場人物達それぞれがそれぞれに深みを増してゆく「無類の釣り好き」。作中の出来事を通じて主人公が新たな生き方を見出す再生の物語「灯火管制」と「ミセス・エアーズの一時的な死」。長い人生を二十ページ程度に凝縮させて描く「肖像画」と「執事のクリスマス・イブ」。いいものを読んだ。

●直販でお願いしていた本が届いた。
『マダムはディナーに出られません』 H・ウォー 論創社

●古本を買う。
『時計は十三を打つ』 H・ブリーン ポケミス
 先日読んだ「ワイルダー一家の失踪」が悪くなかったので、持っていなかったこいつを買ってみた。

『ワイルダー一家の失踪』 H・ブリーン ポケミス

●『ワイルダー一家の失踪』 H・ブリーン ポケミス 読了。

 冒頭の謎が実に魅力的。十八世紀から現在に至るまで、ワイルダー家の者が何人も不可解な状況で失踪している。半ば伝説と化した一家の歴史は、俗謡にまで歌われている。いわく、他の人達は病気で死んで行くが、ワイルダー家の人達は消えて行く。

(伏字)からすると、真犯人はこの人物しかいないだろう。作品半ばでそう思ってしまったので、意外性には乏しい。上記の謎の真相にはいくつものネタが使われているが、それぞれがどうも他愛ない。その辺の評価を考えると、申し訳ないが傑作とは言い難い。

 だが、様々な要素がきちんと収まるべきところに収まる結末は、型通りの面白さがある。読者が事前に推し測る術はないが、動機にはちょっとした意外さがある。期待し過ぎなければ、一冊のミステリを読み終えた満足感は味わえるだろう。

『塗りつぶした顔』 戸板康二 河出文庫

●『塗りつぶした顔』 戸板康二 河出文庫 読了。

 全九編のうち、殺人を扱ったものは少数である。描かれるのは家族への想い、人としての意地、胸の奥深く刺さった記憶の棘、といったもの。心の機微をしっとりと描いて、滋味横溢の短編集であった。裏表紙のあらすじには「文芸ミステリー」としてある。

 気に入ったのは以下のようなところ。深く胸に刻み込まれた昏い情念のようなものが際立つ、「箱庭の雨」と表題作「塗りつぶした顔」。緊密な構成で主人公の心の揺らぎを浮き彫りにする「明治村の時計」。

『幽霊の死』 M・アリンガム ポケミス

●『幽霊の死』 M・アリンガム ポケミス 読了。

 高名な画家が、生前密かに十二枚の絵を描き遺していた。遺言に従って、死後十一年目から毎年一枚ずつ、残された絵を公開する展示会が開催されている。今年、八枚目の展示会の場で、殺人が発生した。

 サスペンス主体で、犯人や事件の真相についての意外性は重視されていないようだ。目次を見ると分かるが、全二十五章の内第十五章が「真相」である。ページにして六割弱の段階で、探偵アルバート・キャンピオンは犯人を覚り、読者にも誰が犯人か分かるように書かれてある。

 読みどころは、一切証拠を残さない狡猾な犯人とキャンピオンとの対決が醸し出すサスペンスである。犯人の造形の異様さとその末路も記憶に残る。繰り返しになるがサスペンス主体である。この結末の付け方だと、なんとこんな証拠が、という意外性も(伏字)。

●依頼していた複写文献が届いた。江戸川乱歩名義の「犯罪を猟る男」である。先日読んだ柏書房の『恐ろしき四月馬鹿』巻末解説によれば、現行版では何カ所か加筆されているという。その実際を自分で確かめるのが、今回の目的である。

 以下、初出版と異なる個所を挙げておく。添付の数字は上記『恐ろしき四月馬鹿』のページを示す。

P162 「戸田はビルの四階に、~デザイナーなのである。」が追加されている。
P165 「男はその徳利を持って立ちあがり」が初出では「青年はそのまゝ、それを彼の卓子の方へ持って来て」である。
P168 「一服吸っていると、ちょうど十二時半ごろのことだった」が初出では「一仕事をした時分に時計が十二時を打った」である。

 他にも相違点の見落としはあるかもしれんが、気付いたのはこのくらい。

今月の総括

ジュブナイル長編を三編収録したオムニバス本から、最初の長編を読んで中断。初老のオヤジ(私)にとって、ジュブナイル長編を立て続けに読むのはしんどい。感想は通読してから。

●本を買う。
『英国幽霊屋敷譚傑作集』 夏来健次編 創元推理文庫

●依頼していた複写文献が届いた。雑誌「探偵趣味」に掲載された横溝正史「災難」、すなわち初出版である。柏書房『恐ろしき四月馬鹿』巻末解説によれば、この初出版は関西弁の表記が全面的に違うのだという。そういうことならこの目で確かめてみたくなるではないか。で、さっそくぱらぱら眺めてみたら、ぱっと気付いたのは初出で「何しろ」が柏書房では「なんせえ」、「名前なんて」が「名前やこし」になっているくらいであった。念入りに比較したらもっと見つかるかもしれない。

 なお複写依頼は二点出したのだが、片方は欠落ということで複写謝絶の回答が来た。そちらは別の施設に改めて依頼したので、遠からず届くだろう。

●今月の総括。
買った本:十冊
読んだ本:十二冊

「『翻訳道楽』を読む」プロジェクト第三回

●「『翻訳道楽』を読む」プロジェクトの第三回。「#011」から「#015」までと、おまけの「SP02」を読む。コメントを付けるのは気が向いた作品だけにしておく。

ジャック・フットレル「廃屋の謎」
 思考機械シリーズである。ヴァン・ドゥーゼン教授が状況に流されているようでいて、実際はきちんと論理に基づいて行動しているのがいい感じ。今回教授は意外なほどアクティブだし、ふとした瞬間に人間味を見せるしで、造形が深掘りされているのも好ましい。ちょっとした佳作。

バロネス・オルツィ「茶褐色のチュニックの謎」
 題名になっているチュニックの扱いが気が利いている。だが残念ながら犯人設定にはあまり感銘を受けなかった。(伏字)が犯人だった方が、その悪辣さが際立つように思うのだが。

バロネス・オルツィ「アングルの名画の謎」
バロネス・オルツィ真珠の首飾りの謎」
バロネス・オルツィ「ロシア公爵の謎」
 今回読んだ中でのベスト。オルソフ公爵を(伏字)た理由がちょっと面白い。

エドマンド・クリスピン「ペンキ缶を持って」
 五ページ分の文章の中にいくつも手掛かりが散りばめられている良作。短いからこその切れ味のよさも嬉しい。

●次回のプロジェクト第四回は、順番通りならば「#016」から「#020」を読むことになる。だが、「#017」以降のクレイ大佐シリーズは既に論創社の全訳で読んでいる。したがって次回実際に読むのは「#016」、「#022」から「#025」およびおまけの「SP03」と「SP04」ということにする。