累風庵閑日録

本と日常の徒然

第五回オンライン横溝読書会『びっくり箱殺人事件』

●第五回オンライン横溝読書会を開催した。課題図書は『びっくり箱殺人事件』。雑誌『月刊読売』に、昭和二十三年に連載された作品である。参加者は私を含めて十名。

●会ではネタバレ全開だったのだが、このレポートでは当然その辺りは非公開である。なお各項目末尾に数字が付されている場合、角川文庫『びっくり箱殺人事件』旧版のページを示す。

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◆まずは参加者各位の感想を簡単に語っていただく
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「初読は二十代の頃で、そのときはファースについていけなかったけど、年を経て今読むと面白い」
「さっと読むと動きだけ追ってしまう。細かいユーモアをひとつひとつ調べてたらすごく時間がかかった。言及されてた映画を自分でも観てみた。こういうのを横溝正史も観てたんだと思うと嬉しくなった」
本格ミステリとしてはどストレート。ほどよくてくどくないコミカルな描写がいい味付け」
「読んで楽しい。音読しても楽しい。当時の時代背景がさりげなく書いてあって楽しい」

「以前読んで独特の擬音(ボエン、モギャー)だけが強く印象に残ってた。でも再読するとちゃんとしてる」
「正史の上手さ。ちょうど乗りに乗ってた時期の作品」
「前半が全然進まずに苦痛だった。途中から頭の中で等々力警部を市川映画の警部(加藤武)で置き換えるととても読みやすくなった。そのくらいのノリでいいんだと思ってたら、最後にきちんとまとまった。初読の記憶があいまいでみくびっていたけど、再読できてよかった」

「話の作りが非常に整理されている。いらないものを削ぎ落として練り込まれている。登場人物に深い行動原理を持たせてなくて、ひたすらテンポのいい文章に乗せて読みやすい」
「気軽に書いてる感じ。本格ミステリとしてのストーリーもある。でもこういう書き方じゃなくてただのミステリとして書かれたらいまいちかな」
「上辺のおふざけの下にしっかりしたミステリ趣味が含まれている。正史の文章の特徴として、軽い会話や軽いシーンを書くときに漢語をカタカナにする。その特徴がよく出ている作品」

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◆司会者から最初のお題
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 この作品は上辺のおちゃらけの下にしっかりしたミステリ趣味がある。まずはミステリとしての評価を考えたい。また関連して、正史の念頭にあったというディクスン・カーやクレイグ・ライスの作品と比較してのコメントもいただきたい。

 まずはミステリとして。
「正史って実は、トリックのためのトリックよりもこの作品のようなロジック重視の書き方が上手いんじゃないか。この方面をもっと書いてれば面白いものができたかも」
「『横溝正史研究5』で紹介されてる改稿版が完成していれば」

「人の動きが曖昧」
「そこら辺にこだわりなく気楽に書いてる感じがする」
「正史ってこだわりだすとゴリゴリに設定を盛っていく人だから、この作品ではそれが人物名に向けられている」

 次に関連作品について。
ディクスン・カー『盲目の理髪師』の注目要素として、酔ったらいろんな物を盗んで人にあげちゃう人物、船長が何度もひどい目に遭う、暗がりを上手く使う」
「その要素が『びっくり箱殺人事件』になると、酔ったらやたらに高いところに上りたがる人物、警部が何度もひどい目に遭う、暗がりを上手く使う」
「船長はその空間の秩序を代表する。警部の位置付けも同様で、その場の秩序を代表する存在」

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◆話は発展して、横溝正史にからむ中ネタ小ネタへ
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「気楽に書いている気がする」
「テンポがよくて勢いで読めるし、分かりやすい」
「コロラチュラという言葉(P46)で、どんな悲鳴だか想像できる」
「犯人と対決する場面の、電気が暗くて蒸し暑いジリジリ感が正史の上手さ」

「正史は好きな場面を好きなように書いてある」
「パンパン嬢達が警官を脅かす場面(P115)は、正史先生ノリノリ」
(参加者の好きなシーンは)
「モギャーのシーン(P137)が大好き」
「はっはっは、というノリからの南無三、しくじったりという急激な文章トーンの変化も好き」
電子書籍で検索したら、モギャーの擬音は三十二回出てくる」

「正史って、ロマンスが結構好き」
「しっちゃかめっちゃかな展開の裏で、いろんな恋愛物語が起きている」
「終盤にカップルがパカパカできあがるのはラブコメお芝居の王道」

「(結末部分なので非公開)ではものすごい省略をしている」
「連載時に結末で駆け足になるのは正史の癖」
「改稿版がもし完成してたら、この辺りももう少し詳しくなったかもしれない」
「でも、よくわかんない勢いで読ませるのもいい」
「これ以上書き込むとこの内容だとちょっときついかも」

「他の横溝作品に出てくる要素がこの作品でも見られる。ガールシャイとかチータッタとか。野崎六助は、『幽霊男』の建部健三と表裏一体。ぼんくら記者で劇場(『幽霊男』ではヌード写真クラブ)に入り浸っている」
「パンパンのお姉様達が義侠心で野崎六助に協力してくれる。これは『悪魔が来りて笛を吹く』で、金田一耕助が旅館の女将の義侠心にすがったシーンを思い出す」

 角川文庫では『蜃気楼島の情熱』が同時収録されている。
「『蜃気楼島の情熱』の方が短いけど重くて読みごたえがあった」
「『びっくり箱殺人事件』は膨らんでて軽い」
「体感時間が短い」

「連載開始の昭和二十三年ってのは『獄門島』が連載中だし、『夜歩く』は二月から始まるし、前後して『黒猫亭事件』、『殺人鬼』、『黒蘭姫』と立て続けに作品が発表されている。やがて二十五年に大喀血に至る、大量執筆時代の始まりの時期」
「同時期に、ご子息が大学に合格して一家で帰京した。プライベートでも忙しい」

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◆司会者からふたつ目のお題
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 作品中には、戦前からの大衆文芸や寄席演芸に関するネタ、そして流行や時事ネタなどが大量にちりばめられている。今となっては調べるのが難しい項目も多いだろうが、ひとつひとつ挙げていただきたい。

「章題は基本的に映画の題名のもじり」
野崎六助は一六新聞に勤めているが、二六新報という新聞社が実在した。八八新聞はよく分からない」
「昭和十八年の本に、すでに『タハッ』の表記がある」
「『分からなければ鐘ですぞ』というのは、当時そういうラジオのクイズ番組があった」
「『チャーリー・マッカーシー(P108)』は腹話術の人形」
「等々力警部が配給の大豆粉で腹を壊した(P142)が、実際に昭和二十二年に大豆粉による中毒事件があった」

「日本映画に女形なるシロモノが存在していたころ(P26)という記述の背景は、大正七年から起きた純映画劇運動。それまで映画で活躍していた女形が起用されなくなった」
「ということは葦原小群はかなりの歳なんだね」
深山幽谷よりはるかに先輩だし」
「ボエンとやられたショックでよく死ななかった」
「意外とこの劇団って平均年齢が高い。花子だって、自称二十八歳だけど三十超えてるだろうと書いてある」

「作品中に帝銀事件が出てくる。現実の事件発生は、連載と同年の昭和二十三年一月。作中に登場したのは五月号の第五回。そのとき実際の捜査はまだ継続中だった。正史は現在進行中の時事ネタを素早く取り込んだ」

 結局よく分からなかった項目。
無声映画の『赤き赤きこころ』
・江戸の昔から鮮度の落ちたまぐろに当たることはあったようだが、なぜここでまぐろ中毒が出てくるのか(P89)
・アミダくじと食い意地がなぜ結びつくのか(P119)
・もく星号で墜死した大辻司郎がモデルになっているという説もある
・葦原小群のモデルは葦原将軍だろうが、それ以外にモデルに相当する実在の女形がいたのかもしれない

終戦直後の社会風俗を知らないとよく分からない部分がある」
「細かく調べようとすると時間がいくらあっても足りない」
「同時代の読者なら、もっといろいろ分かっただろう」
「現代で言うと映画『金田一耕助の冒険』みたいなものか」

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◆題材になったレビューについて
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「神話に準拠するならパンドーラの匣を開けるのは女性じゃないといけないのに、なぜ男性の石丸が開けても通用すると思ったのか」
「そこはいかにも、テキトーなレビューって感じがする」
「レビューのあらすじ(P17)を読んでも面白いと思えないんだけど」
「足を上げてりゃいいんじゃないの」
「足を上げるのってそんなに重要なのか」
「当時はそれがレビューの目玉だったのでは」
「昭和五年のレビューでも、悩ましい曲線美を見せる演出がはやった」
「花子は足のあげかたが抜群だから主役になれた」

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◆現実の芸能史を踏まえて
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「当時は映画とレビューの二本立て興行があった。もともとレビューは映画の添え物で、映画の料金で両方を観れた。その後レビューにだんだん金がかかるようになってきて、入場料を値上げせざるを得なくなってきた。そうなるとレビューの質も問われるようになる。大手の劇団なんかはレビューに力を入れることができたが、作中の梟座は金がなく設備も乏しい貧乏組織で、間に合わせのレビューを仕立てるしかなかった」

「梟座に金がなかったのは重要な要素。なぜなら設備が貧弱で場内が暗いからこそ、この物語が成立する」
「同じ空間にいるのに互いに気付かないとか」

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◆ネーミングに関する考察
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「登場人物の多くは、本名の他に役名も持っている。深山幽谷に至ってはさらに「昭和の蜀山人」なるあだ名まで付いている。被害者、探偵役、犯人など、作中の重要さに比例するように名前の数でグラデーションが形成されている。同種の傾向として、登場人物が屋号のふたつ名を持つ『悪魔の手毬唄』」

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◆その他小ネタいろいろ
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「マネージャーの恭子は幽谷のことを必ずパパと言い間違える。その回数があまりに多すぎて、もういいぜ、と思った」
「それは繰り返しのギャグなんじゃないの」
「今は娘ではなくマネージャーなんだよってのを読者に伝える意味もあったりして」

「文庫では分からないけど、初出を確認すると第十六章で連載の区切りがあった」
「この書き方(P194)だったらそこで区切るよね」
「続きは次号のお楽しみ」
「読者への挑戦もできる書き方」
(どういう内容なのか、各自で確認してごらんなさい)

野崎六助が酒場で警官の追及を逃れたとき、物置の壁から手を突っ込んでお面を取り外す(P108)には、向こう側に落とすしかない。酒場の床にお面が落ちていたはず」
「酒場は薄暗いから警官には気付かれなかったんだよ」
「ここでも暗がりが物語の進行上で活用されている」
「こうなると、薄暗さもロマン」

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◆ネタバレ非公開部分のキーワードだけ並べておく
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 あの推理が可能だったのは偶然、どのタイミングで強請ったのか、凶暴にならないって言ったじゃん、ずいぶん都合のいい仕掛け、なぜ三本なのか、なぜそこに隠した、ラストシーンは神話、あれは希望のキスだ(綺麗!)、お互いに勘違いってのはちょっと無理がある、暗転するお芝居、犯人との軽妙な会話。

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◆なんとなくのまとめ
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『「びっくり箱殺人事件」語辞典』が欲しい。