累風庵閑日録

本と日常の徒然

二松学舎大学オープンキャンパス

二松学舎大学オープンキャンパスイベントで、横溝正史を題材にした模擬授業があるという。イベントの目的は来春の入学生募集にあるようなので、私ごときはまるでお呼びでない。それでも、参加資格に特に制限がないので、教室の隅っこで遠慮しているつもりで聴講してきた。

 聴いたのは、山口直孝文学部教授による『横溝正史『鬼火』から近代文学を考える -谷崎潤一郎・探偵小説・ライバルの物語-』である。以下、ごく簡単に内容を整理しておく。

========================

 今年度から、複数の大学にまたがって近代日本探偵小説研究の基盤整備という取り組みが始まっている。純文学と比べれば探偵小説の研究は立ち遅れているので、まず基盤を整えることから始める。各大学が所蔵している資料のデジタル化、データベース化を進める。二松学舎大学でも、横溝正史の草稿・原稿をデジタルスキャンして整理に取り組んでいる。

 本日紹介する「鬼火」草稿関連の話は、その中間報告の意味もある。主な内容は二つ。草稿の研究によって「鬼火」の成立過程を推定し、作者の苦心の跡をたどる。先行する文学作品との比較から、「鬼火」の文学史における位置付けを考える。

========================

 二松学舎大学では、「鬼火」の原稿を八枚所蔵している。その中には、同じ場面を描いた異なる草稿が含まれている。それらと完成版とを比較して見えてくるもの。

改稿の進展に従って
・直接的な心理描写を減らし、しぐさや表情で心理を描くようになっている
・表現が洗練され、苦心の跡が見える
・探偵小説的な表現の工夫も見受けられる

「続・途切れ途切れの記(二)」によれば、「鬼火」の原稿は事前に頭の中で隅々まで決めておいて、一日二枚ずつ書き進めていったものだという。ところが実際は、最低でも二回書き直されている。しかも小手先の改変ではなくて、内容にかかわる部分にまで念入りに手を入れている。

========================

 二人の似た者同士が才能や女性の愛情を巡って争う枠組みの物語は「教養小説」と呼ばれ、代表的な作品に谷崎潤一郎の「金と銀」がある。このようなモチーフの作品は千九百十年代以降に多く書かれている。「鬼火」も教養小説の系譜に位置付けることができるが、それらの作品より十五年から二十年後に書かれている。

「鬼火」は、従来の教養小説の枠組みをそのまま踏襲してはいない。谷崎潤一郎の作品では家族関係が希薄だが、正史の場合は家、家族、出身地の土俗的な要素を背負わせている。これが遅れて書かれた横溝作品の独自性。教養小説というジャンルのすそ野を広げ、より広く大衆向けに提供している。

 このように見てゆくと、純文学と大衆文学の一ジャンルとしての探偵小説とはつながっていて、両方を視野に入れながら文学史を考えていかなければならないのではないだろうか。