●『ワトスンの選択』 G・ミッチェル 長崎出版 読了。
読者の予想をはぐらかすようなずらしが奇妙な味わいを醸し出す。何かの伏線かと思える描写が結局なんでもなかったり。特に某人物の(伏字)なんて異色すぎる職業が、結局物語に関係なかったのはなんだったのか。こういうズッコケる味が、グラディス・ミッチェルの魅力だと思う。
主人公のブラッドリーを筆頭に、奇矯な人物達が活き活きと描かれていてページをめくらせる力になっている。特にチャントリー卿の人望のなさが活写されていて、本当にこの殿様はしょうがない。
●『水底の妖』 R・V・ヒューリック ポケミス 読了。
狄判事シリーズである。互いに関係があるような無いような複数の事件が、同時並行で語られる。最終的にそれらをきっちり解決してみせる構成力がお見事。密室からの人間消失や死体入れ替わりといった趣向は、真相は他愛ないけれども外連味が魅力的。
メインの事件は予想外にスケールの大きなものだし、首謀者の正体にちょっとした意外性が仕掛けてあって上々。件の人物の真の造形は最後まで隠されていて、明らかになったそれはさながら映画ダブルオーセブンシリーズの悪の首領のような。
●注文していた本が届いた。
『銀座不連続殺人事件』 大河内常平 湘南探偵倶楽部
『双頭の鬼』 栗田信 湘南探偵倶楽部
●『アーマデイル』 W・コリンズ 臨川書店 読了。
コリンズ傑作選の、第六巻から第八巻まで三巻に渡る長編である。主人公は同姓同名のふたりのアラン・アーマデイル。その昔アランAの父親がアランBの父親を殺したことは、アランAしか知らない。Aは固い友情と呪われた過去とによって分かち難く結ばれたBとの関係について、思い悩むのであった。
アランBが田舎の屋敷と広大な地所とを相続すると、狡猾な悪女グウィルト嬢が近づいてくる。彼女はアラン達の父親の殺人事件に間接的にかかわっており、今またアランBの財産を横領すべく暗躍し始める。
登場人物を含め全ての要素は物語を転がすためにある。彼らはストーリー上都合のいいように考え、都合のいいように動く。都合のいいように勘違いし、都合のいいようにすれ違う。ボートは都合のいいように流され、天候すら都合のいいように変わる。偶然に偶然を積み重ねその上から全体を偶然で覆う作者の筆先によって、人々の運命はちょっと予想できない方向へと運ばれてゆく。
どうも惜しいことである。あまりにも悠々としたテンポが、ちとしんどい。登場人物が感情過多で、回りくどい台詞で愛だの友情だの名誉だの誓いだのと仰々しい内容をまくしたてる。読みながらうんざりすることもあった。十九世紀の冗長な文章ではなく現代風に簡潔に書かれていたら、文字通り巻措く能わざる傑作になったかもしれない。そのままでもめったやたらに面白いのだが、それだけに惜しいと思う。
●今日から上中下三巻本の長編を読み始めた。私のペースだと読了までに一週間はかかるだろう。という訳で、読了日記は来週半ばまで更新しない。
●『ドイル全集 第五巻』 改造社 読了。
「改造社の『ドイル全集』を読む」プロジェクトの第二十六回として、第五巻で最後に残っていた「ラフルズ・ホー行状記」を読んだ。訳者は石田幸太郎である。
田舎に広大な地所を買い豪邸を建てて引っ越してきた大富豪ラフルズ・ホー。その金持ちぶりは極端に誇張され、落語の「宿屋の富」のようなナンセンスな味わいが楽しい。だが、楽しんでばかりもいられない。物語は次第にグロテスクな様相を呈してくる。
ラフルズは自らの無尽蔵の富を世のため人のために使おうと志している善意の人であったが、浅慮の人でもあった。困窮した人々を救おうとして湯水のごとく金を使うとき、彼がばらまいていたのは金と善意とではなく、金と害悪とだったのだ。人々はたやすく与えられる金を目の前にして、欲をつのらせ怠け者になってゆく。ラフルズは、人間に欲と怠惰な心とが備わっていることに思い至らなかったのである。
ラフルズの影響を最も大きく被ったのは、もとから近所に住んでいたマキンタイア家の人々である。貧しくとも前向きに生きているそれなりに善良な人達であったが、ラフルズとの交際を深めるにつれて次第に変貌してゆく。金の魔力に絡めとられる人々をちょいと意地悪な視点で描いた佳品である。ラフルズの富の源泉に焦点を当てるならば、(伏字)ネタの佳品でもある。
来月からは第六巻にとりかかる。
老人小説である。最近の若い者はけしからんという視点が、物語全体を取り巻いている。クリスティーはどこまで自覚的に、老人のありふれた愚痴を繰り返し書き込んだのだろうか。
ミステリとしては一風変わった展開で、どこかでなんらかの事件が起きているのかいないのかを探索する物語である。どうもぼんやりしたことで。途中で事件の片鱗と思える要素が見えてきて、いよいよ物語が加速するかと思いきや、なおもとりとめのないままページが進む。
ようやく事件の輪郭が表面に現れた頃には、いくらなんでも「そうじゃない」ことは予想がつく。その辺の意外性は感じなかったけれども、犯人の立ち位置にはちょっとした外連味があって、結論としてはまあ満足である。
容疑者の鉄壁のアリバイに、三原警部補が挑む。一点だけ、どうしても気になる設定がある。そもそものスタート地点に、合理的な根拠がないのだ。なんとなく引っ掛かるというだけで、警部補は執拗な追求を始める。なぜそこまでこだわるのかどうもぴんとこないし、なんとなく突っ走った方向が正しかっただなんて、作者が解決するように書いたから解決したんでしょ、と思ってしまう。
それはそれとして、全体は面白かった。私好みの足の探偵の味わいが、これでもかとばかりに満ち満ちている。犯人の計画はよく練られているし、アリバイのキモとなる趣向がとにかく手ごわくて読みごたえがある。ただ、その計画は(伏字)。これも気になると言えば気になる。もっともそんな視点は、アリバイ崩しミステリを楽しむためには念頭から取り去っておいた方がいいだろう。
以下、余談。福岡に生まれ育った私としては、馴染みの地名が出てくるのも楽しい。作中に出てくる武蔵温泉は、今は二日市温泉の名称の方が通りがいいだろう。「博多湯」という日帰り施設がいい感じである。都府楼にほど近く、作中にもちらりと名称だけ出てくる観世音寺は、その宝物館が素晴らしい。仏像に興味があるなら訪れて損はない。