累風庵閑日録

本と日常の徒然

『老女の深情け』 R・ヴィカーズ ハヤカワ文庫

●『老女の深情け』 R・ヴィカーズ ハヤカワ文庫 読了。

 迷宮課の第三巻である。このシリーズのキモは、人物造形の興味にあるようだ。ロジックや伏線の面白さを、過度に期待してはいけない。それぞれの作品で、作者は丹念に筆を重ねてゆく。殺されるに至る被害者の人物像を描き、殺すに至る犯人の人物像を描く。ふとしたきっかけで抱いた感情が、次第に腐敗して本人をさいなみ、やがて殺人というカタストロフに至る過程を丁寧に描く。

 ところで個人的に、犯罪実話は全く興味の外である。このシリーズに漂う実話色は、私にとってミステリを読む喜びにつながらない。収録作中で最も面白く読めたのが、最も短い「夜の完全犯罪」であった。短いので相対的に、前半の実話色に対して後半の警察捜査のウェイトが高まっている。

 他に気に入った作品とそのポイントは以下のようなところ。「ある男とその姑」の最後の畳みかけ、「そんなつまらぬこと」の皮肉な結末、「老女の深情け」のやや多めに書かれた捜査の過程、「ヘアシャツ」の犯罪が露呈したきっかけ。

『ロンドン橋が落ちる』 J・D・カー ポケミス

●『ロンドン橋が落ちる』 J・D・カー ポケミス 読了。

 敵役がちゃんと憎たらしく描かれていると、面白さのランクは確実にアップする。それはいいのだが、実にあっけなく決着がついて、あらららと思う。ヒロインをスキャンダルから救おうとする取り組みと、ヒロインへの攻撃を執拗に企む悪女相手の闘争とが前面に出て、殺人の謎は背景に退いた感がある。そんなこんなで、読んでいる間はどうもいまいちであった。

 だが読了してみると、結局のところミステリに収束していて満足である。殺人手段がちょっと面白いし、大小様々な伏線が予想以上に多く散りばめられている。なにげない会話に含まれる、ちょっとしたほのめかしや暗示が手掛かりだということになっているのだが、そんなの気付くわけないだろ、と思う。ページを遡って該当箇所を探しても見つけられなかった手掛かりがある。そういった些細すぎる手掛かりこそがカーの持ち味で、嫌いではない。

『天城一の密室犯罪学教程』 日本評論社

●『天城一の密室犯罪学教程』 日本評論社 読了

 前半、題名に含まれている短編集は、申し訳ないがどうもいまひとつ。ページ数が少なく、事件の後に結論だけが投げ出すように提示されて、あまりにもあっけない。それはそれとして、「Part1」と「Part2」とを通読して天城作品に馴染めたようだ。「Part3」の摩耶正ものはなかなか面白く読めた。

 過去にアンソロジーで何編か読んだときには、ずいぶん分かり難い作品だと思ったものだ。ところが今回は意外なほど分かりやすかったのも、馴染んだおかげか。天城一の作風は夾雑物を排除して謎とロジックとに純化しているとのこと。私としては、摩耶が滔々と語る自由奔放な長広舌を、小説の装飾として楽しませてもらった。

 気に入った作品は以下のようなところ。(伏字)ネタとして秀逸な「鬼面の犯罪」。とある手品のネタを知らない読者を完全に置き去りにする潔さが凄い「奇蹟の犯罪」。真相が一番気に入った「ポツダム犯罪」。この作品は凶器の選択に関する謎も魅力的。個人的ベストは「高天原の犯罪」であった。同傾向のネタを扱った「Part1」の某作品は、そう上手いこと行くか? と思ってしまった。その対比もあって、こちらの真相はお見事。

●書店に出かけて本を買う。
『ロンドン幽霊譚傑作集』 夏来健次編 創元推理文庫
『恋文道中記』 野村胡堂 春陽文庫

●頼まれ原稿を一本仕上げて、依頼主殿に送付。頼まれ原稿はもう二本抱えている。それとは別に、近日開催予定のスペース企画の準備もやらないといけない。

一攫千金のウォリングフォード

天城一の個人短編集を半分まで。このまま通読するか、中断して別の本を手に取るか、それは明日の気分次第。

●注文していた本が届いた。
『一攫千金のウォリングフォード』 G・R・チェスター ヒラヤマ探偵文庫

●今月の総括。
買った本:八冊
読んだ本:十冊

『母親探し』 R・スタウト 論創社

●『母親探し』 R・スタウト 論創社 読了。

 ネロ・ウルフシリーズの長編である。読み味は安定のレックス・スタウト。登場人物の魅力と会話の面白さ、そして軽快な展開のおかげでサクサク読める。今回はアーチ―やソール・パンザー以下常連探偵まで捜査に投入してもなかなか進展しない難事件である。シリーズとしてはちょっとしたイレギュラーな展開もある。その辺りの、物語の起伏も嬉しい。巻末の訳者あとがきによれば、次回の翻訳もウルフものの長編が予定されているという。歓迎したい。

『ロニョン刑事とネズミ』 G・シムノン 論創社

●『ロニョン刑事とネズミ』 G・シムノン 論創社 読了。

 浮浪者ネズミことユゴーモーゼルバックが、大金の入った封筒を拾ったと警察に届け出た。その金は死体のそばで手に入れたのだが、ネズミは道端で拾ったと主張した。死体のことを知っているのはネズミと読者だけである。ロニョン刑事は、日頃から知っているネズミの態度に不審を抱き、裏に何かあると考えて個人的に調査を始めた。

 ネズミの思惑は、大金を手にして故郷に引退し悠々自適に過ごすこと。ロニョン刑事の思惑は、表沙汰になっていない事件を解決して出世すること。ふたり以外にも様々な人間達が、それぞれの欲と思惑とで動き回る。

 題名になっているロニョン刑事とネズミとの造形が光る。決してヒーローではなく鋭敏でもなく、ちょいちょい失敗するがそれでも地道に追及を続けるロニョン。警察のやり方を熟知してのらりくらりと追及をかわすネズミ。その他の登場人物達もそれぞれに個性的である。そんな彼らがどうも掴みどころのない事件の周辺を動き回る様子が、じわじわと面白い。また、ある手掛かりの意味が終盤で判明し、なるほどと感心する。

●朝のうちにシムノンを読み終え、街に出る。今日は東京で横溝関連のイベントがあるのだ。運営スタッフとして参加し、イベント中から夜のスタッフ打ち上げまで楽しい時間を過ごす。

●注文していた本が届いた。
『蒼社廉三 軍隊ミステリ集』 大陸書館

『議会に死体』 H・ウェイド 原書房

●『議会に死体』 H・ウェイド 原書房 読了

 地方で起きた殺人事件を解決すべく、スコットランド・ヤードから派遣されたロット警部。彼が地道に堅実に捜査を進める姿には、いわゆる足の探偵の面白さがある。その上更に、一筋縄ではいかない趣向が仕込まれている。他にも、ぼかして書くしかないのだが、犯行計画も真相の全体像も展開の畳みかけもお見事。また、ある手掛かりの意味がぱっと分かる瞬間にちょっとした切れ味がある。なかなかの秀作であった。

『新吉捕物帳』 大倉燁子 捕物出版

●『新吉捕物帳』 大倉燁子 捕物出版 読了。

 全体に人情噺の色が強いのは、作者の資質や志向なのであろう。ミステリの趣向よりも、人の世の哀歓を描くことの方に重点が置かれているようだ。男女の愛憎だとか親子の情愛、あるいは貧困の哀しさ、うっかり欲に迷った心の弱さなどなど。そういうのはどうも、私の好みから外れている。

 コメントを付けたい作品は多くない。「彼岸花」は、犯行の手段がちょっと面白い。(伏字)なんて、いっそ現代ミステリのようだ。「藪の中の空屋敷」も別の方向の面白さがある。大家の主人が何人も、大金を持ったまま失踪する。新吉が田舎者の金持ちに扮して、怪しい人物の誘いにわざと乗って潜入捜査をする。事件の規模の大きさやサスペンス主体で物語が展開するところなぞ、まるで昔の捕物映画のようだ。

 巻末に付録のように二編だけ、大倉燁子が担当した伝七捕物帳が収録されている。結局、本書ではこの二編が最も面白かった。「身代わり供養」は、油断して読んでいたら思いがけない捻りにやられた。(伏字)ネタだったとは。「美女と耳」は、形だけでもいくつか伏線が仕込まれている点を買う。伝七の推理の根拠の半分くらいは、真相が明らかになった後で持ち出されるけれども。そこら辺は捕物帳にありがちなので、ツッコむのは野暮である。

『前後不覚殺人事件』 都筑道夫 光文社文庫

●『前後不覚殺人事件』 都筑道夫 光文社文庫 読了。

 必要があって、三年前に読んだ本を再読。自分でも驚くほど内容を忘れている。真相を全く覚えていなかったのは、おそらくあまりに複雑だったからで。◇◇の手がかりから推理すると犯人は××だ! ってなシンプルさではない。これがこうしてこうなって、お次はこっちがああなって……と、真相だけでひとつの物語になる。

 都筑ミステリのある種の特徴が際立った作品。海外の映画やミステリなんかの雑学、豆知識がこれでもかとばかりにてんこ盛りである。巻末解説を読むと、どうやら文体にも大いに凝っているらしい。申し訳ないが私はさらりと読み進めてしまった。

 シリーズの主人公紅子は、冒頭から行方不明である。友人知人がやきもきするが、いつまで経っても姿を現さない。結局紅子は何をしていたのか。これがどうも、ちょいと腰が抜けるような事情であった。シリーズであることを逆手に取ったお遊びのようなものである。私は基本的にシリーズ作品を読む順番を気にしないのだが、これは発表順に読んだ方がよかったかもしれない。今更すぎるけれども。

●頼まれ原稿を二本書き上げて、それぞれの依頼主殿に送付した。近日のイベントに持って行く工作を仕上げた。アウトプットが順調である。今回都筑道夫を再読したのは、三本目の頼まれ原稿の題材にするためである。これはインプット。多分明日から原稿に取り掛かることにする。

●定期でお願いしている本が届いた。
『母親探し』 R・スタウト 論創社
『ロニョン刑事とネズミ』 G・シムノン 論創社

『料理長殿、ご用心』 N&I・ライアンズ 角川文庫

●『料理長殿、ご用心』 N&I・ライアンズ 角川文庫 読了。

 ヨーロッパ各国の一流シェフ達が、それぞれの得意料理になぞらえて殺される。犯人はかなり早い段階で読者に示されてしまうので、ミステリとしての謎はほぼない。犯行手段に特異な工夫があるわけでもない。見立て殺人とはいうもののそういう解釈もできるという程度で、外連味には乏しい。殺人事件の周辺で右往左往する、きわめて個性的でアクの強い人々を眺めて楽しむ作品であった。つまらないわけではない。全体に深刻ぶったところがなく、軽妙でサクサク読める。

●注文していた本が届いた。
『ソーラー・ポンズ、還る』 A・ダーレス 綺想社