累風庵閑日録

本と日常の徒然

「清姫の帯」

●かつて取り組んでいた「横溝正史の「不知火捕物双紙」をちゃんと読む」プロジェクトは、全八話のうち七話目まで読んで無念の中断をしていた。最終第八話「清姫の帯」のテキストが、入手できていなかったのである。ところが今回ありがたいことに、某方面から全文を入手することができた。

 というわけで今月は、現在月イチで取り組んでいる「横溝正史が手掛けた翻訳を読む」プロジェクトを一回休みにして、「横溝正史の「不知火捕物双紙」をちゃんと読む」の第八回をやることにする。

清姫の帯」
 とある修験者が、締めていれば想う男に添えるという触れ込みの、清姫の帯と称する奇天烈なもの売り出した。年頃の娘を信者として相当流行ったが、いつしかこの帯を締めていれば身に災いが降りかかるという噂が立った。というのがオープニング。

 旗本山壁三之丞のもとに、下谷小町と謳われたお粂が輿入れした。ところがお粂は初夜の晩に寝所から姿を消してしまう。臥所には清姫の帯が残されているばかり。

 三之丞が見ている前で、屏風の陰から釣り竿でその帯を手繰り寄せる者がいる。曲者に斬りかかった三之丞だが、あべこべに手傷を負わされる。手元に残ったのは、曲者が逃げるときに慌てて半分に斬ってしまった帯だけ。お粂は、曲者が持って逃げた方の半分で、首をくくられた死体となって発見された。

 どうも、展開が荒っぽい作品である。殺しと真相とが、吊り合いが取れていないようだ。呪いの帯という趣向は派手だが、結末はあっけない。メインのネタはルブランからの借用らしいが、そのネタを活かすための伏線もなし。背後の事情もなし。不知火甚左が主体的に事件解決に取り組んでおり、シリーズのなかでは珍しい方か。

●続いて、改稿版人形佐七バージョン「清姫の帯」を読む。春陽文庫には未収録で、出版芸術社の『幽霊山伏』に収録されている。

 基本骨格は同じだから、事件の面白味はさほどではない。興味深いのは、改変部分である。まず人名の違い。下谷小町改め割下水小町の名前をお粂のままにしておくわけにはいかない。これはお糸になっている。輿入れ先の旗本は、青山主膳に変更。中盤以降に重要な役割を果たす色悪は、服部半次郎から小杉直次郎へ。その情婦は清元の師匠で、小満壽から延美津へ。

 人物造形も変更されている。最も興味深いのは、件の旗本である。好色で小心で武門の心得も覚束ない三枚目から、色好みではあるが粋で捌けて金離れがよく、度量も広い好人物になっている。さらに、佐七とは昵懇の間柄という設定もある。この変更はおそらく、主人公が旗本の甚左から一介の岡っ引きである佐七に変わっていることに関連するのだろう。

 終盤で、事件解決のために主人公が旗本に対してある無礼な態度をとる。相手が旗本ならいざ知らず、岡っ引きの無礼をあえて許すのは、佐七の人柄を知っていて何か仔細があるに違いないと判断できる人物だからこそである。

 主人公が事件に接するのは、子分と一緒に夜道を歩いているときである。歩いている理由は、甚左版では博打に負けてすっからかんになっての帰り道、佐七版では某所から捜査を依頼されて出向いてみるとすでに解決済みで無駄足になった帰り道、というと違いがある。佐七に博打をさせるわけにはいかないのだ。

 その夜道で出くわした怪漢に、甚佐は腰の小柄を投げつけ、佐七は小石を拾って投げつける。帯刀していない佐七が小柄を投げることはできない。

 以上は、主人公の変更に伴う改変である。それ以外にも、作品の出来栄えにかかわる改変がいくつもある。まず、お粂改めお糸の造形が変更されている。今日の日記はいい加減長くなっているので詳しくは書かないが、佐七版の方が深みがある。さらにこの改変は、旗本の造形変更と結びついて味のあるエピソードを成している。

 色悪の半次郎改め直次郎も同様に、佐七版の方が性格が深掘りされている。そればかりか出番が増えて、事件解決にも一役買っている。清姫の帯を売り出した修験者一心堂覚水のプロフィールは、佐七版の方が詳しくなっている。この違いが背後の事情にも関連して、事件の厚みを増している。

 佐七版では、メインのネタに関する伏線がきっちり張ってある。よくあることだがちょっとしたお色気と、お粂との一幕も追加されている。わずかに書かれている関係者のその後についても、佐七版の方が詳しい。

 以上、佐七版の方がぐっと完成度が高まっている。こういうのが、比べ読みの面白さなのである。

●最後に、金鈴社の新編人形佐七捕物文庫第三巻『松竹梅三人娘』に収録されている「清姫の帯」を、ざっと眺めておく。ぱらぱらとページをめくった限りでは、出版芸術社版と異同はなさそう。

●「横溝正史の「不知火捕物双紙」をちゃんと読む」プロジェクトは、約二年間のブランクを経てここに完結した。めでたいことである。