累風庵閑日録

本と日常の徒然

『紫甚左捕物帳』 横溝正史 今日の問題社

●『紫甚左捕物帳』 横溝正史 今日の問題社 読了。

 十一月に捕物出版から刊行予定の『不知火捕物双紙』に、紫甚左も収録されるという。そっちで読んでもいいのだが、せっかく買ったのだからこっちで読む。収録作は紫甚佐シリーズの二編「富籤五人男」、「妻恋太夫」、人形佐七シリーズの二編「金色の猫」、「二人佐七」、そして非シリーズもの二編「妖説孔雀の樹」、「白狼浪人」である。

「富籤五人男」は、後に改稿されて左門捕物帳の「朧月千両異聞」となり、さらに改稿が重ねられて人形佐七の「悪魔の富籤」になっている。これら三作の読み比べは、三年前にすでにやっている。その他の五作品は、春陽文庫および、出版芸術社論創社の単行本に収録されている。結局、本書収録の全作品は既読ということになる。それでも、せっかく買ったのだからこっちでも読む。

◆「富籤五人男」
 読み比べの時の感想を以下に再録する。

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 宴席の座興として富籤を買ったお大尽。もし当たったら当選金はその場にいる五人で山分けと決めた。さらに、途中で誰か死んだらその取り分を生き残りで分けるという決め事までしてしまう。さて富突きの日がやってきて、買った籤がなんと千両に当たったのはいいが、当選金を山分けにするはずの五人組のうち、三人までもが続けざまに殺されてしまった。

 現実の事件と狂言の内容とがシンクロする趣向は面白いが、せっかくの富籤の設定があまり活かされていないのがちと心細い。推理の要素に乏しく、主人公の同心紫甚左は当て推量で真相に到達する。捕物の主人公というよりは、読者に真相を提示するナレーターの役割を果たしているのである。
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 左門版は、登場人物の名前が違うくらいで実質的には同じ作品。佐七版はかなり違うようだがまるで覚えていないので、今回再読してみた。出版芸術社の『江戸名所図絵』に収録されている。これも六年前の感想を再録しておく。

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 情報提示の段取りが整理されて格段にすっきりしている。富籤の趣向がちゃんと活かされている。犯人が変更されて、ミステリ的な意外性も用意されている。ここまで改変されるとこれはもう、「富籤五人男」を原案として新たに想を練り直した新作と言っていいだろう。
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◆「妻恋太夫
 出版芸術社の『奇傑左一平』で既読だが、内容はすっかり忘れているので、初読同然である。茶屋で密会を重ねる男女。男は猿回しの銀之助、女は金座役人の囲い者でお駒。ある日お駒が殺され、銀之助は行方不明になる。事件が起きた晩、密かに銀之助を想っていた茶屋の娘お島のところへ、羽子板を手にした銀之助の猿が血まみれになって現れた。殺されたお駒は、羽子板を蒐めていたという。

 ありふれた情痴犯罪だと思われた殺しが、公儀が大騒ぎするような大事件へと発展する。終盤のツイストが面白い。

 改稿版人形佐七バージョンは、「お俊ざんげ」の題名で春陽文庫『三人色若衆』に収録されている。比べてみると、基本的な骨格は同じ。最も大きな改変は、お島に相当するお俊の役割である。改心した元掏摸で、題名にもなっているように準主役級の扱い。それに伴って冒頭部分も変わり、人の動きがより自然になっている。関係者が減り、殺人の件数も減っている。そればかりか枝葉が整理され、全体がスマートになっている。個人的には佐七バージョンのほうが上出来だと思う。

◆「金色の猫」
 冒頭で描かれる佐七一家の一幕は、とんとホームコメディである。手慣れた書きっぷりで、正史が佐七ものに愛着を持っていたというのが伝わってくる。

 この作品での立役者は辰五郎で。意図的でないとはいえ、やったことは随分罪作りである。その因果応報なのかどうか、殺しの下手人としてしょっ引かれるなんてな酷い目に遭っている。

 念のため、春陽文庫『ほおずき大尽』に「音羽の猫」の題で収録されているバージョンを確認してみた。変更点としては、佐七の探索手順、伏線、死体の処理といったところ。春陽文庫版の方が多少は洗練されていると思う。

◆「二人佐七」
 佐七が離魂病にかかり、本人の知らないうちにあちこちで勝手なことをやらかしているらしい。ある日とうとう身に覚えのない殺人の疑いで捕らえられてしまった。

 これはどうも、あまり上出来とは言い難い。設定は安直だし、解決は(伏字)ってしまうし。この作品の注目ポイントは、「金色の猫」の続編になっている点。他にこんな関係の作品はあるのだろうか。一応シリーズ全部読んだはずだが、読んだそばから内容を忘れてしまうので、どうも判断できない。

 ついでに、春陽文庫『坊主斬り貞宗』に「離魂病」の題名で収録されているバージョンを確認してみた。「二人佐七」では子分が辰一人だったのが、こちらでは豆六も加わっている。結末の描写がわずかに増えた以外は、ほとんど変更点は無し。

◆「妖説孔雀の樹」
 出版芸術社の『菊水兵談』に収録されている。極彩色の樹木怪談。というより、この凄まじさは怪獣小説と言った方が相応しいか。将軍の御連枝たる孔雀姫、我儘三昧で御乱行甚だしく、町人共も眉をひそめている。両国の川開きの晩、見物に出た孔雀姫を種子島で狙撃した者がいる。危うく狙いが逸れて姫は無事だったが、川の上は大捕物の大騒動。

 川開きの夜、怪漢が追っ手を逃れて舟から舟へ、ひらりひらりと飛び移りつつ逃走するというモチーフは、「夜光虫」その他いくつもの作品に取り入れられている。横溝先生ってば、よほどこの情景がお気に召したと見える。歌舞伎かそれともルブランのルパンか、発想の元となった題材があるのだろうか。

◆「白狼浪人」
 論創社の『横溝正史探偵小説選III』に収録されている。わずか四十ページで終わらせてしまうには惜しい伝奇小説。千羽に一羽の紅鶴を巡り、雲に乗る白狼を操る妖術師犬神典膳と、典膳を父の仇と狙う若武者吹雪源三郎との闘い。終盤の急展開とあまりのあっけなさ、省略の甚だしさに驚く。