表題作は、乱歩が昭和八年に連載を始めて後に中絶した作品を書き継いで完成させたもの。小説としてではなく論文のようなスタイルを採った方が良かったんじゃなかろうか。あるいは、どうしても小説形式にこだわるなら、現代の作家が乱歩に想を得て書き継いだ形にするか。
なぜなら、書き継いだ部分が全然昭和一桁の文章らしくないのだ。頻出するある単語が、まぎれもなく現代なのである。この、本筋とは関係のないちぐはぐさが気になってひっかかって、どうにも。巻末のあとがきを読むと作者殿もその点には気付いているようだが、「ご了承ください」だそうで。
同じ情報の繰り返しの多さに、ちと冗長さを感じてしまった。「以前検討したように」で済む内容を何度も何度も、一から十まで書いてある。もう少し整理できんかったのか。こういうのを読むと、引き算ができるってのもひとつの技量なのだろうと思う。この傾向は同時収録の下記中編にも見受けられるので、作者殿の癖なのかもしれない。
真相は過去に某方面において提示されたものと同じだったので、なるほどその説を採用しましたか、以上の感想はない。もうひとつ、(私の好みから外れている点についてちょっと書いているのだが、あまりにネガティブな内容なので非公開)。
「鈴蘭荘事件」
同時収録の中編。全体、まずまずよく考えられていてる。あまりにも(伏字)が、そこら辺をツッコムのは野暮であろう。真相に結びつくある矛盾は、指摘されればなるほどあからさまで、ちょっと感心した。
全体としてしんどい読書であった。久しぶりに、まだあとこんだけ読まなきゃいかんのかと、残りページを数えながら読むような本に出くわした。