累風庵閑日録

本と日常の徒然

『シーザーの埋葬』 R・スタウト 光文社文庫

●『シーザーの埋葬』 R・スタウト 光文社文庫 読了。

 このシリーズに期待するのは、軽快な会話、魅力的なキャラクター、スピーディーな展開、である。本書はその期待に十分応えてくれて、満足。出先で出くわした事件なので、ウルフとしては珍しく活動的であるところも異色の面白さがある。

 ウルフはなんと(伏字)瞬間に犯人が分かったと断言する。こういう外連味も嬉しい。読者が同じタイミングで真相に辿り着くには、類稀な想像力と隠された裏の物語を構築する創造力とが必要になるだろう。私には到底無理な話だ。

●書店に寄って本を買う。
『短編ミステリの二百年3』 小森収編 創元推理文庫
『事件の予兆』 中央公論新社編 中公文庫

『平林初之輔 佐左木俊郎 ミステリー・レガシー』 山前譲編 光文社文庫

●『平林初之輔 佐左木俊郎 ミステリー・レガシー』 山前譲編 光文社文庫 読了。

 メインの長編、平林初之輔「悪魔の戯れ」は、雑誌連載後約九十年にして初の書籍化という大変な珍品である。読めるということ自体に、本書の大きな意義がある。

 で、肝心なのは実際読んでみて面白いかどうかだけれども。登場人物達の心情を丁寧に、と言いたいところだが、だらだらと書き連ねる作風はどうにもじれったいまどろっこしい。私の好みではなかった。物語の起伏はそれなりにあるので、冗長な心理描写が無ければもう少し楽しめたのではと思うのだが。

 佐左木俊郎で面白かったのは、いわゆる日常の謎の範疇に入りそうな「猟犬物語」であった。ただし、その日常は開墾者の過酷な日常である。狐罠にかかって爆殺(!)されたはずの愛犬が、実は生きていたという謎。もう一編挙げるなら「秘密の錯覚幻想」を選ぶ。ありがちな真相ではあるが、すっきりまとまっている。

 ところでこれで、ミステリー文学資料館編のアンソロジーから派生した、後継の短編集もすべて読み終えた。本書の巻末に気になる記述がある。「ミステリー・レガシーのシリーズは、」云々とあるのだ。今後も山前譲編として続刊が出るということだろうか。期待したい。

『ヘル・ホローの惨劇』 P・A・テイラー 論創社

●『ヘル・ホローの惨劇』 P・A・テイラー 論創社 読了。

 次々とエピソードが積み重ねられて中だるみしない展開はお見事。章の終わりにちょいちょい引きが仕掛けられているのも、ページをめくらせる力になっている。終盤で明かされる、とある小道具の使い方も良い感じ。

 魅力的なキャラクターもいる。気はいいがあまり役に立たないお坊ちゃんのゼブ、特ダネにがつがつせず事件解決に協力して活躍する新聞記者のケイ、飲んだくれの半廃人のようでいながら実は意外としっかり者のウィン、ってな人々である。

 ひとつの観点に注目してメモでも取っていけば、それなりに犯人の当たりはつく。したがって意外さは感じなかった。結末の解決部分は、ちと心細い。具体的な事は、もちろん公開では書けないけれども。ひとつだけ書いておくと、以前読んだ『ケープコッドの悲劇』と同様の、私の好みではないパターンが見受けられる。この作家の癖なのかもしれない。

 結論として、読んでいる間は秀作、ミステリを読み終えた満足感については保留、といったところ。

『ジーヴスと朝のよろこび』 P・G・ウッドハウス 国書刊行会

●『ジーヴスと朝のよろこび』 P・G・ウッドハウス 国書刊行会 読了。

 相変わらず、精緻な構成と散りばめられたくすぐりとが好調である。伏線とその回収とが複数同時並行で、あるいは前後がオーバーラップして、何度も繰り返される。その構成力に感心する。

 だがここで懸念点がひとつ。ちょっとばかり飽きてきた。今年、ウッドハウスの長編を読むのは二冊目である。ジーヴスシリーズとしては、文春版も合わせると九冊目くらいになる。これだけ読むと、どれも似たような話であるかのように思えてしまう。

 短編集は、はっきり言って途中で飽きる。似たような話ばかりなのだ。その点長編にはそんな心配はないと思っていたのだが。せっかく買ったのに、飽きてしまうのはもったいない。読むのを年に一冊にすべきか。

●書店に寄って本を買う。
『死の快走船』 大阪圭吉 創元推理文庫
『歴史の中で語られてこなかったこと』 網野善彦 宮田登 朝日文庫

●お願いしていた本が届いた。
『勤王捕物 丸を書く女』 大阪圭吉 盛林堂ミステリアス文庫

『藤井礼子探偵小説選』 論創社

●『藤井礼子探偵小説選』 論創社 読了。

 上々の短編集であった。日常的にどこにでも転がっているような、卑しさ愚かさ醜さ浅ましさを、堅実な筆致で綴る。確かな人物造形、サスペンスを維持する筆運びの上手さ、そして時折仕掛けられている捻り、といった美点が際立つ。

 気に入った作品は、嫌な展開が記憶に残る「枕頭の青春」、結末がお見事な「破戒」と「姑殺し」、主人公の造形が凄まじい「誤殺」、何が起きているのかという興味が強烈な「幽鬼」、(伏字)の焼き直しかと思ったらさらに捻りが加わっている「狂気の系譜」、といったところ。

「死の配達夫」はよく整っていて、言ってしまえば型通りである。典型好きの私の好みにも合っている。いかにも二時間ドラマになりそうな、と思ったら巻末解題によると実際にドラマ化されたことがあったそうな。

 収録作中のベストは「舌禍」で、上記の良さに加えて伏線もお見事。個別に題名を挙げないが、後半のショートショートと言えそうな作品群も秀逸。捻りと切れ味で勝負しており、私の好み直撃である。

『悪魔に食われろ青尾蠅』 J・F・バーディン 翔泳社

●『悪魔に食われろ青尾蠅』 J・F・バーディン 翔泳社 読了。

 なんともしんどい。主人公の抽象的な幻覚や募りゆく不安感が、ひたすら、執拗に、綴られる。ねちこく起伏に乏しい展開は、私の好みからは遠く隔たっている。こりゃあだめだと判断して、よほど途中で放り出そうかと思った。

 中盤以降でようやく事件が起きて、これで少しは物語が動き始めるかと思ったがそうでもなく。抽象的で執拗な記述は相変わらずで、いやはやどうにも難渋した。残念だが私にはこの作品を鑑賞する読解力が備わっていないようだ。半ば活字の上を目が滑っていくだけの状態で、ともかくも最終ページにまでたどり着いたのであった。

「三つ首塔」の初出誌

●某所に依頼していた、「三つ首塔」の初出誌コピーが届いた。なんと早いことか。いつもなら六週間くらいかかっても不思議ではないのに、今回は最初のアクションからわずか二週間でブツを手にすることができた。素晴らしい。まったく素晴らしい。これから追々、内容をチェックしてゆく。

●hontoに注文して書店受け取りにしていた本を買ってきた。
江戸川乱歩語辞典』 奈落一騎 誠文堂新光社

『三つ首塔』 横溝正史 角川文庫

●『三つ首塔』 横溝正史 角川文庫 読了

 今月末に開催される、横溝読書会@オンラインの課題図書である。感想は当日のレポートと一体化させて書く予定。

 会まであと三週間もあるのにずいぶん気が早いようだが、そうでもない。読みながら取ったメモを整理したいし、いくつか資料を作りたいし、改稿前バージョンとの異同をチェックしたいし、昔のテレビドラマも観ておきたい。とある歌舞伎の内容も読んでおきたい。某所に依頼している複写資料が間に合えば、その確認もしたい。やるべきことがまだたくさんあるのだ。

●先日の日記で書いた、注文の本が届いた。
夢遊病者の姪』 E・S・ガードナー ハヤカワ文庫
折を見て「夜歩く」を再読し、それに合わせてこちらも読んでみたい。

『横溝正史の世界』 徳間書店

●『横溝正史の世界』 徳間書店 読了。

 長らく積ん読だったが、ようやくちゃんと読んだ。いくつか興味深い記述があるのを、箇条書きしておく。添付の数字は該当するページ。

◆昭和三年、文芸倶楽部の編集長になった正史は、怪談特集の増刊号を出した。そこに正史が口述で書かせた新作怪談があるという(P75)。それがどの作品なのか、今となっては確たることは分からないだろう。

◆岡山疎開中に西田政治から送ってよこした本のうち、ガードナーの「夢遊病者の姪」が後に「夜歩く」になったという(P137)。そういうことなら読んでみたい。某所で検索したらみつかったので、早速注文した。

疎開時代に正史が書いたという素人芝居の台本。基本的なストーリーは依頼者側が考えたものらしい(P234)。二編書いたらしく、脱稿は昭和二十二年二月十三日と十四日(P235)。これが隣村の分。

 その後、岡田村女子青年部向けにその台本を廻す(P238)。その題名は「母二人」か(P241)。同時期に、岡田村青年団向けにもう一編書いている。こちらの題名は「故郷」(P238)。こちらの脱稿は三月十五日(P239)。

◆七月十三日、放送用の随想「村の生活」を書く(P250)。放送されたのは十八日(P251)。

『剣の八』 J・D・カー ハヤカワ文庫

●『剣の八』 J・D・カー ハヤカワ文庫 読了。

 カーの特徴が抑えられた、大人しめの作品。巻末の解説によれば、ロジックに注力したのだという。確かに、犯人につながるシンプルな手がかりがあからさまに描かれているのはカーらしくないようだ。いつものカーなら、そんなの気付くわけないだろ、というあまりにも些細な手がかりから犯人を指摘することが珍しくないのに。装飾が少なく事件も地味なので、読んでいる間ずっと平熱であった。

 真相の枠組みがかなり早い段階で仮説として提示されるのも、平熱であった要因のひとつ。結末でその枠組みがひっくり返されるかどうかは、また別の話であるが。

 で、結論としては面白く読んだ。なぜならカーだから。カーを依怙贔屓しているので、「カーである」というだけで満足なのである。