累風庵閑日録

本と日常の徒然

『誰?』 A・バドリス 国書刊行会

●『誰?』 A・バドリス 国書刊行会 読了。

 実験中の爆発事故に巻き込まれ、どさくさに紛れてソヴィエトに拉致された天才物理学者ルーカス。四カ月後、西側に返還された彼はなんと、半身機械化され頭部は金属の仮面で覆われていた。はたして彼は本物か、それとも東側が仕立てた替え玉か。単純に考えれば、結末は正か偽かの二択しかない。どちらであっても、ふうんそうですか、と思ってしまいそうだ。いったいどういう着地をするかの興味で読み進めた。

 全体の構成は、彼の正体を検討する政府機関の行動を描くパートと、正真正銘ルーカスの半生をつづるパートとが、交互に書かれている。ルーカスパートで描かれるのは、宇宙の全ては理論で把握できると確信していながら、自らの心が把握できないことにとまどう天才の姿である。特異で孤独な彼の生き方が、やけに胸に迫る。

 で、結局着地点は、なるほどそうなるか。ここに到達するためにも、ルーカスの半生の物語は必要だったのだ。描かれるのは、特定の個人を個人たらしめている要素の脆さと、抜きん出てしまった者の孤独と、情報戦争の馬鹿馬鹿しさと、人間には制御できない運命ともいうべき大きな流れと。叙情味のある余韻を残す秀作であった。