累風庵閑日録

本と日常の徒然

ボアゴベ「マタパンの宝石」

春陽堂の探偵小説全集第十七巻から、ボアゴベの「マタパンの宝石」を読む。再読である。四年前、博文館の世界探偵小説全集『ボアゴベイ集』に「海底の黄金」の訳題で収録されたのを読んでいる。以下その時の感想を、文言を微修正して再掲しておく。

 内容は通俗サスペンス・メロドラマである。宝石泥棒の嫌疑を掛けられた知人を救うため、また同時に知人の妹への愛のアピールのため、主人公とその友人とが力を合わせて活躍する。果たして主人公は件の妹と首尾よく結婚できるか。

 悪漢は極めて分かりやすい。真相はいかにも時代を感じさせる(伏字)ネタ。後半は別の話になってしまう構成が不思議。全体として下世話な面白さはあるが、ボアゴベが今となっては忘れられた作家となっているのも頷ける内容である。

 キャラクターに関して。主人公もその友人も、ありあまる金があって労働をせず、賭博に観劇にその他の娯楽に日々を費やす呑気な遊民である。そのため、どことなく「いい気なもんだぜ感」がつきまとう。その一方で、世俗のルールを超越したヴェルヴァン侯爵夫人が痛快で、ちょっと面白い。

●本書を手に取った主目的は、同時収録の「鐘塔の天女」を読むことにある。だが、長編「マタパンの宝石」を読んでどうも一段落した気分になったので、ここで中断する。「~天女」はまたの機会に。

 以下、余談。「海底の黄金」が完訳かどうかは知らないが、「マタパンの宝石」は間違いなく抄訳である。なにしろ前者が約四百ページなのに対して、後者は約三百ページしかないのだから。

『江戸川乱歩と13人の新青年<文学派>編』 ミステリー文学資料館編 光文社文庫

●『江戸川乱歩と13人の新青年<文学派>編』 ミステリー文学資料館編 光文社文庫 読了。

 前巻『<論理派>編』と同様に、既読が多い。でも、再読は再読で初読とはまた味わいが違うのだ。収録作は全部読む。

 大下宇陀児「情獄」は、中盤のサスペンスが強烈だし、終盤の展開も上々。葛山二郎「杭を打つ音」は、この書き方では読者は途中で真相に気付けないと思うけれど、面白さのポイントは結末にこそある。

 瀬下耽「石榴病」は再読だが、異様なまでの迫力は何度読んでも迫ってくる。松浦美寿一「B墓地事件」は、展開はありきたりの怪談咄だけれど、中心になるアイデアはちょっと面白い。

ちょいとでかける

●この土日で、JRの「18きっぷ」を使ってちょいとでかけてきた。昔の飲み仲間と再会し、彼の車で日帰り温泉へ。猛暑が一段落した今、涼しい風に吹かれながら浸かる露天風呂はまた格別である。その後街に戻って、飲んだくれる。

●ここ数年気力体力が衰え始め、何時間も電車に乗り続けるのがしんどい。各駅停車で往復するのがもう嫌だったので、戻りは新幹線を奢ってしまった。ネットの早割を活用すれば、正規の自由席料金よりもやすく指定席に乗れるので、贅沢しつつもわずかに旅費を抑えられている。

横溝正史が手掛けた翻訳を読む

●横溝プロジェクト「横溝正史が手掛けた翻訳を読む」の第二回をやる。

◆カール・ヂ・ホッジス「狐と狸」(大正十四年『新青年』)
 大西洋横断汽船に乗り合わせた、三人の宝石泥棒。どうやら全員が、ジャガーノートのダイヤモンドとやらを狙っているらしい。題名が暗示するように、化かし合いの話である。捻りは用意されているが、まあどうということもない。それにしても、原題はどうなっているのだろうか。

レスリー・トーマス「弱点に乗ぜよ」(大正十四年『新青年』)
 舌先三寸で相手を騙して収入を得ているレヴァート君。今日も今日とて、列車の中で出会った田舎者丸出しの若者に目を付けた。相手の話を聴くと、どうやら物になりそうで。自らのモットー「弱点に乗ぜよ」に従って、早速彼の舌が動き始めた。だいたいオチは予想がつく。他愛ない話である。

『達磨峠の事件』 山田風太郎 光文社文庫

●『達磨峠の事件』 山田風太郎 光文社文庫 読了。

「PartI」拾遺短編
表題作は、こんなオーソドックスなミステリを書いていたというのが意外。「天誅」は再読だが、何度読んでも強烈な怪作かつ傑作。

「PartII」ショートショート
気に入った作品を題名だけ挙げておくと、「女」、「鳥の死なんとするや」、「無用な訪問者」、「幻華飯店」といったところ。

「PartIII」ジュニア小説
その多くが戦前の受験雑誌に掲載された作品で、よくもまあ読めるようになったものである。今となっては三十年も昔、自分自身の受験期の、宙ぶらりんな不安感がまざまざと甦ってくるような内容で、ある種の恐ろしさがある。

 これでようやく、山田風太郎ミステリー傑作選全十巻を読み終えた。次は出版芸術社論創社か、まだまだ読みたい山風本が沢山積ん読になっている。

英国怪談珠玉集

●書店に寄って本を買う。
『英国怪談珠玉集』 南絛竹則編訳 国書刊行会
エラリー・クイーンの冒険』 E・クイーン 創元推理文庫

 クイーンは作品を読むだけなら買わなくてもよかったんだけれども、先日読んだシナリオ集が面白かったので、勢いで買ってしまった。あの面白さを再び。

『犯罪コーポレーションの冒険』 E・クイーン 論創社

●『犯罪コーポレーションの冒険』 E・クイーン 論創社 読了。

 ラジオドラマシナリオ集の第三弾である。どれも読ませる快作揃いだが、特に気に入ったのは以下の作品。丁寧に伏線が散りばめられている「暗闇の弾丸の冒険」、シンプルで決定的な手掛かりの「カインの一族の冒険」、いかにもクイーンらしい「奇妙な泥棒の冒険」と「見えない手がかりの冒険」、真相の面白さは個人的にこれがベストの「放火魔の冒険」。

 巻末解説は、読み所をきちんと提示してくれるのが嬉しい。これぞまさしく「解説」である。また、クイーンの他の作品との関連をちょいちょい指摘してあるのは、マニアさんにとっては興味深いポイントだろう。私はただのファンでしかなく、読んだ作品の内容はほとんど忘れているから、直接的にはその面白さを共感できないけれども。読者の反響次第では第四弾の可能性もあるというから、期待したい。

●一昨年のこと、『ミステリマガジン』や『EQ』に訳載されたままになっているクイーンのラジオドラマシナリオを、まとめてコピーしたことがある。だがテキストを入手して安心して、以来放置していた。今回その中のいくつかが本に収録されたのは、読むのにいいきっかけであった。

コピーした作品のうち、今回未収録だったのは以下の五編である。いつか読む。
「案山子と雪だるまの冒険」
「幽霊洞窟の冒険」
「ネズミの血の冒険」
「怯えたスターの冒険」
「沈んだ軍艦の事件」

『猟人日記』 戸川昌子 出版芸術社

●『猟人日記』 戸川昌子 出版芸術社 読了。

 この冒頭でこの展開からすると……と考えているうちに、真相に気付いてしまった。こういう趣向は嫌いじゃないから読後感は良いが、素直に驚かされた方がこの作品を何倍も楽しめただろう。罠にかける者かけられる者、そして真相を追及する者、さらには事件に関わった多くの者達、それぞれがそれぞれに胸の奥に何かを抱えていて、業が深い、というフレーズを思い浮かべてしまう。

『久山秀子探偵小説選IV』 論創社

●『久山秀子探偵小説選IV』 論創社 読了。

 梅由兵衛捕物噺がやけに面白い。傑作! というような意気込んだ面白さではないけれども。なにしろ長くても二十ページほどの作品ばかりだから、複雑な謎を仕掛けたり延々と推理を語る場面を描いたりはできない。ちょっとしたミステリ趣味が盛り込まれた、気の利いた小品シリーズである。作中で使われている、小ネタ的趣向の例をいくつか並べておくと、

・現場の遺留物リストから真相を推理する。
・互いに矛盾する二つの証言と現場の状況とから、ロジカルに犯人を導く。
・人物と駕籠の動きとから真相を見抜く。
・雪の上の痕跡から事件当時の状況を知る。
・関係者の住居と現場との位置関係からアリバイを検証する。
等々。

 個人的ベストは「金貸三枚目」で、ホームズ譚から引っ張ってきた趣向と落語ネタとトリッキーな真相とが、ぎゅうぎゅうに詰まっている。さすがにわずか二十ページでこの内容は、ちと窮屈。しっかり書き込んで中編くらいに仕立てたら秀作になったかもしれないと、惜しいことである。

 これで、第二期までの二十巻を読み終えたことになる。