累風庵閑日録

本と日常の徒然

葬られた女

柏書房横溝正史『蝶々殺人事件』から、由利先生ものの中絶作「模造殺人事件」だけを抜き読み。「蝶々殺人事件」は戦前の事件だが、こちらは戦後が舞台だ。金田一耕助が存在せず、由利先生が等々力警部の良き協力者の座を占めている世界は、ちと不思議な味わいである。

 本文の記述によると、事件はどうやら現実の下山事件をモデルに模造されたらしい。それが題名の由来である。表面的な相似だけなのか、下山事件がフィクションの事件の本質に深くかかわってくるのか。今となっては分からない。

 このまま戦後も由利先生が活躍するようだと、いずれは金田一耕助との共演も、などとあらぬ想像をしてしまう。中絶がいろいろ惜しいことよ。

●注文していた本が届いた。
『葬られた女』 鷲尾三郎 東都我刊我書房

『地中の男』 R・マクドナルド ハヤカワ文庫

●『地中の男』 R・マクドナルド ハヤカワ文庫 読了。

 これはどうも、大変な作品である。複数の家族間の人間関係が滅茶苦茶に入り組んで、からみ合いもつれ合って複雑怪奇。ロスマクの作劇法が天井を突き抜けた感がある。その複雑さは事件の全体像にも及び、腰を据えて噛みしめるように読んでゆかないと把握できなくなるだろう。

 真相はかなり意外である。ミステリ的な外連味を伴う意外さとはニュアンスが違うけれども。作者の筆によって運ばれ流されてたどり着く場所が意外なのである。

 これもロスマクの特徴で、ちょっとした脇役だと思っていた人物が実は主要な立ち位置にあることが、突如判明するから油断がならない。さらにその人物が本当の本筋ではなくて、全く別の本筋が横から突如立ち上がってきたりするからなおのこと油断がならない。

 ただでさえ人間関係が錯綜しがちなロスマク小説を、さらに煮詰めて特濃に仕立てたような作品であった。

●木曜に書店に寄って本を買ったのを今日の日記に書く。
『夜光怪人』 横溝正史 柏書房
 雑誌「王冠」版の中絶作品「深夜の魔術師」が収録されているのが素晴らしい。未発表原稿「深夜の魔術師」と「死仮面された女」とが活字化されて収録されているのも素晴らしい。素晴らしい。

●今日も書店にでかけて本を買う。
『オルレアンの魔女』 稲羽白菟 二見書房

『仮面劇場の殺人』 J・D・カー 原書房

●『仮面劇場の殺人』 J・D・カー 原書房 読了。

 いつものカーの味わいで楽しい。たとえばクライマックスの舞台に(伏字)を選ぶのも、あるいはチェスタトンの遠い谺が聞こえてきそうな真相も。

 初読ではまず気付かんだろうという伏線もカーの持ち味である。真相を知ってからページを遡って、散りばめられたそれらをひとつひとつ確認してゆく作業も楽しい。おかげで解決部分を読むのみやけに時間がかかるのだが。

●お願いしていた本が届いた。
ジャスミンの毒』 C・B・クレイスン 別冊Re-Clam

●お願いしていた「翻訳道楽」が届いた。お久しぶりの今回は、E・D・ホックのサイモン・アーク集である。
『狼の爪痕』
『球場の血痕』
『永遠の十二人』
『罪の砂漠』
『吊るされた骸骨』
付録として『ハットトリック』 ステーヴン・バー

●ところで今回の翻訳道楽は「#53」から「#57」までである。手元にあって所在が判明したのは「#36」までである。過去の日記を確認すると、それらの中間も確かに買っている。いったいどこにあるのか、発掘しないといけない。

新型肺炎ワクチンの接種一回目。今のところ副反応は微熱のみ。副反応は翌日が酷くなる傾向にあるというから、まだ楽観はできない。

『死の十三楽章』 鮎川哲也編 講談社文庫

●『死の十三楽章』 鮎川哲也編 講談社文庫 読了。

 クラシック音楽をテーマにしたミステリアンソロジーである。私はそっち方面はまるで知らんので、音楽に夢中になる登場人物達にどうも共感できない。そうなると、同じような題材で同じように叙情味が勝った作風が続いて、ちと食傷する。

 同じ題材が続くことこそテーマアンソロジーの持ち味なので、そこに文句を付けても始まらないのだが。つまるところ私の好みに合っていないと言う他はない。

 それでも面白く読めた作品はいくつかある。題名を挙げると、凝った構成に感心した浜尾四郎「彼は誰を殺したか」と村上信彦「G線上のアリア」。このアイデアに気付いた時の作者のしめた!という顔が目に浮かぶような丘美丈二郎「ワルドシュタインの呪い」。読み終えてから、もう一度ページを遡って記述を確認するとじわじわと面白味が湧いてくる天城一ニ長調のアリバイ」。といったところ。

 氷川瓏「悪魔の顫音」は、ページ数の割にいろいろ盛り込んであって慌ただしいけれども、容疑者に擬せられた人物の想定動機がちょっと面白かった。

 個人的ベストは笹沢左保「逝ける王女のための」。作中に仕掛けられたある捻りが効いている。

『ドイル全集3』 C・ドイル 改造社

●『ドイル全集3』 C・ドイル 改造社 読了。

 「改造社の『ドイル全集』を読む」プロジェクトの第十六回として、第三巻を読み終えた。最後の作品は「クルムバアの悲劇」である。訳者は延原謙。以前別の本で読んだときはあまり感銘を受けなかったけれども、再読の今回はちと面白かった。たぶん、再読だからこそ感想が変わったのだ。それぞれのシーンの意味をあらかじめ知って臨むと、味わいも違ってくるだろう。

 読みどころは少なくない。たとえば中盤以降のある場面はストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」を連想する不気味さだし、回想シーンの戦闘場面は三國志を読むようだ。結末部分は、(伏字)小説の面白さがある。

 このまま順調にいけば、年末か来年早々には第四巻を読了できるであろう。

『ボニーとアボリジニの伝説』 A・アップフィールド 論創社

●『ボニーとアボリジニの伝説』 A・アップフィールド 論創社 読了。

 正直なところ、ミステリとしての魅力はあまり感じなかった。この本の面白さは、アボリジニと白人との、時に友好的で時に緊張をはらんだ関係にある。ふたつの民族ふたつの文明の狭間に、興味深い人物達が登場する。たとえば白人文明の教育を受け教師を目指すアボリジニの少女、あるいは白人の牧場主に雇われて自らの部族との緩衝役たらんと意識するアボリジニの青年など。

 牧場の近くの野営地に住むアボリジニ達が、事件について何かを知っているらしい。捜査を進めるためには、彼らとの円滑なコミュニケーションが必須である。白人とアボリジニとの混血である主人公ボニー警部の、その辺りのアプローチも読みどころ。

 アップフィールドを読むのは初めてだ。巻末解説によれば、本書はシリーズ後期の作品でやや異色作だという。既訳の作品はもう少しミステリ色が強いのだろうか。

『追われる男』 G・ハウスホールド 創元推理文庫

●『追われる男』 G・ハウスホールド 創元推理文庫 読了。

 ちょいとしんどい本であった。つまらなくて読み進めるのがしんどいのとはまるで逆で、主人公の過酷な境遇とひりひりするような緊迫感とがしんどいのである。後半になると舞台はほとんど固定されて動きがなくなるが、情況は次々に変化してゆく。変化の先が知りたくて、主人公がどうなるか知りたくて、ぐいぐい読める。

 主人公の行動原理がいまひとつピンとこなかったのだが、読了してみるとその点も腑に落ちた。面白かった。続編も買ってあるのでいずれ読みたい。

●取り寄せを依頼していた本を受け取ってきた。
『黒い蹉跌』 鮎川哲也 光文社文庫

●注文していた本が届いた。
『書類第百十三』 E・ガボリオ― 湘南探偵倶楽部
『海底の声』 岡戸武平 湘南探偵倶楽部

『黒き瞳の肖像画』 D・M・ディズニー 論創社

●『黒き瞳の肖像画』 D・M・ディズニー 論創社 読了。

 老女の遺した日記によって、彼女の少女時代からの人生をたどる。それなりに起伏のあるメロドラマで下世話な面白さはあるが、ミステリの面白さはない。というのが終盤までの感想である。

 だが読み終えてみると、なるほどこういう趣向か、と感心した。これはまぎれもなくミステリなのであった。終盤で見えてくる物語には異様な厚みがある。ページを後戻りして(伏字)場面を読み直すと凄味が伝わってくる。ちょいちょい伏線が仕掛けられてあったことが分かる。満足である。

『最後の一撃』 E・クイーン ハヤカワ文庫

●『最後の一撃』 E・クイーン ハヤカワ文庫 読了。

 そもそもの発端から解決までに半世紀かかるという期間設定がダイナミックで、関係者の後年の情況を読むと諸行無常……と思う。そりゃあクイーン青年も歳をとるわけだ。

 実は(伏字)だったという意地悪クイズみたいなネタには、馬鹿馬鹿しさすれすれの楽しさがある。しかも書き方の工夫と途中の捻りとでインパクトを増しているのがちょっとしたもの。

 十二という数への執拗なこだわりや、互いのつながりが見えない数々の贈り物の謎など、クイーンらしさが随所に感じられる。犯人設定もある種のクイーンらしさがあるし、読者への挑戦までもあって、全体とても楽しい本であった。

●注文していた本が届いた。
『英国犯罪実話集』 ヒラヤマ探偵文庫

『姿三四郎』 富田常雄 新潮文庫

●『姿三四郎』 富田常雄 新潮文庫 読了。

 日本伝紘道館柔道の創始者矢野正五郎の活躍をいわば前史編として描き、本編に至って彼の弟子で柔道の天才姿三四郎の成長と闘いとをつづる大長編。これがもう、はちゃめちゃに面白い。

 ベタな展開をどんどん盛り込んでとにかく分かりやすく、頭に引っかかることなくすいすい読める。バラエティに富む相手と闘う場面はすっかり格闘アクション小説で、これもとにかく面白い。その相手は、柔術、剣術、相撲、唐手、ボクシング、レスリングなどなど。

 三四郎は大衆小説のヒーローらしく、とにかく清廉でとにかくモテる。その造形はあまりにも理想的で、この歳で読むとちょいちょい冷静になるほど。本当なら気力体力集中力が今より充実していて気持ちも若い二十年前か三十年前に読むべき本であった。

 面白いことは無類に面白いし、おかげでぐいぐい読めたけれども、今の私にとってはちと長すぎて満腹気味であったのもまた事実。

●この日記をご覧いただいている諸賢には心底どうでもいい話であろうが、『姿三四郎』は上中下の三巻本なので、現時点での今月の読了数は三冊とする。