累風庵閑日録

本と日常の徒然

『猿の肖像』 R・A・フリーマン 長崎出版

●『猿の肖像』 R・A・フリーマン 長崎出版 読了。

 事件そのものは地味である。表面的には、犯罪が発覚した時点で犯人は明らかなように見える。なのになぜ、博士はこれほどまでに事件に時間と労力とを割くのか。犯人の正体よりも、博士の調査の意図がどこにあるのかへの興味の方が、前面に出ているようだ。

 真相の核となるネタも題名が示唆するネタも、割と早い段階で気付いた。だがそれは大した問題ではない。感心したのは、結末で語られる犯罪計画の巧妙さである。犯人は関係者の心理を読み、裁きを逃れるためにいくつもの仕掛けを散りばめる。

 もうひとつの面白さは、やはりソーンダイク博士の探偵活動にある。真相解明部分で語られる博士のロジックは、ひたすら堅実着実。仮説と検証とを積み重ねて一歩一歩真相に向かって進んでゆく。そこに外連味は乏しいし、鮮やかな名推理!といった驚きも少ない。こういう、石橋を叩いて渡るスタイルこそがソーンダイクものの持ち味なのであろう。

『悪魔を見た処女』 E・デリコ/C・アンダーセン 論創社

●『悪魔を見た処女』 E・デリコ/C・アンダーセン 論創社 読了。

 表題作はなかなかの快作。巻末解説に指摘されているように、確かにロジカルな興味には乏しいし、この真相からするとあれれれ、と思う記述もある。だが、犯人設定のアイデアには大いに満足である。女中プーパンが見た悪魔とは何だったのか、という謎がこういう場所に着地するとは。

 地の文の記述と、目撃者の証言との際どいバランスもよく書けている。事件が簡単に解決しないよう人の動きを調整する作者の手際もなかなか。さっぱり手掛かりがつかめない事件に難渋し、猫ばあさんに振り回される探偵役リヒャルド警部の造形がユーモラスでいい感じ。地道な展開は私好みだし、これはいいものを読んだ。

 同時収録の中編、カルロ・アンダーセン「遺書の誓ひ」も、これはこれで読むのが楽しい佳品であった。中盤までは、とにかく尋問尋問また尋問。私の好きなタイプである。人々の言葉の積み重ねによって、状況がじわじわと明らかになってゆくのが面白い。関係者の分単位の行動を追ってゆくので、読みながらメモをとっていた。こういうとき、物語の展開を読んでいるのではなく、情報を読んでいるのだ。

 真相のポイントはふたつある。ひとつは(伏字)点で、どうも好みではないのでちと割引したい。もうひとつはある文章の表現についてで、ぜひ現代の訳文で読みたいところである。なにしろ元の訳本刊行が七十五年前だからして。

●注文していた本が届いた。
『ワシントンスクエアの狂人館』 D・アリグザンダー 綺想社

『秘密箱からくり箱』 都築道夫 光文社文庫

●『秘密箱からくり箱』 都築道夫 光文社文庫 読了。

 短編六編と全体の半分を占める中編とで構成されている怪奇小説集である。短編で気に入ったのは、奇妙な捻りの「昇降機」と、あまりにも異様な展開の「無人の境」。中編「朱いろの闇」は、娯楽小説から遠いハードな内容が、なんと(伏字)に発展して快調に読める。

●今日は休みである。ここ半年ばかりで、初めて第一金曜日が休みになった。毎月第一金曜日に浅草某所で開催されているちょっとしたイベントに、初めて行ってきた。やはりリアルで人と会うのはオンラインとはまるで違う。お久しぶりのお方も、ツイッターでのみつながっていてリアルでお会いするのは初めてのお方もいて、いい刺激になった。

●浅草に行く前に書店に寄り道して、本を買う。
地獄の門』 M・ルヴェル 白水社uブックス

『悪魔はすぐそこに』 D・M・ディヴァイン 創元推理文庫

●『悪魔はすぐそこに』 D・M・ディヴァイン 創元推理文庫 読了。

 上手い。まったく上手い。犯人の設定も、手掛かりの出し方も、手掛かりの真の意味から読者の目を逸らす手際も、実に上手い。巻末解説にあるように、再読したら「上手さ」がぎゅうぎゅうに詰まっていることが分かるのだろう。恐れ入る。

 登場人物達が個性的なのも、ぐいぐい読ませる力になっている。支配欲、権力欲、虚栄心、傲慢さ、愚かさ、気の弱さ、嫉妬、怠惰、そういった人間の凹凸が生き生きと描かれているのだ。組織の上長に振り回される現場担当者なんて他人事ではないし、己の凡庸さに気付いてしまった者の焦りと不安なんて、どうも身につまされるものがある。

『パズルの王国』 鮎川哲也/島田荘司編 立風書房

●『パズルの王国』 鮎川哲也島田荘司編 立風書房 読了。

「ミステリーの愉しみ」の第三巻である。

 以下、気に入った作品と気に入ったポイントをいくつか挙げておく。島田一男「殺人演出」は、軽快な文章としっかり書かれた伏線。いろいろ素朴な部分はあるが、書かれた時代を考えれば欠点にはならずむしろ微笑ましい。鬼怒川浩「鸚鵡裁判」は、展開の奇妙さと真相の絵柄の面白さ。

 宮原龍雄「三つの樽」は、冒頭の謎の強烈さ。再読だし真相は覚えていたけれども、それでも強烈である。鷲尾三郎文殊の罠」は、仕掛けられた罠のスケールの大きさ。土屋隆夫「肌の告白」は収録作の中では最も新しく、昭和三十四年の作品ではあるが相対的に現代風の味わいが新鮮であった。

 収録作中のベストは黒輪土風「六人の容疑者」で、なんとある種の(伏字)ネタを二十ページそこそこでやってのけるのが凄い。

今月の総括

●今月の総括。
買った本:九冊
読んだ本:十冊
 下旬までは快調に読めていたのだが、ドイルにてこずったせいで予定以上の冊数にはならなかった。

●書店に出かけて本を買う。
『レオ・ブルース短編全集』 L・ブルース 扶桑社ミステリー

『ブランディングズ城のスカラベ騒動』 P・G・ウッドハウス 論創社

●『ブランディングズ城のスカラベ騒動』 P・G・ウッドハウス 論創社 読了。

 ウッドハウスはどれを読んでも構成が驚異的である。個性的な人々が、複雑に影響しあって物語を紡いでゆく。いくらなんでもそんな偶然、なんてツッコミは野暮である。登場人物の性格も言動も、大小さまざまな出来事も、全てが物語の部品として緊密な連携のもとで活用されている。このエピソードはここで効いてくるのか、こういうところにつながるのかと、感心することしきりである。

 本筋から外れるが、主人公のミステリ作家アッシュが書くところの、あり得ない偶然の連続に助けられて謎を解く「捜査官グリドリー・クエイルの冒険」シリーズを読んでみたくなる。ウッドハウスならきっと、偶然が複雑に絡んで全体が形作られるコメディミステリを書けたことだろう。

●二週間前、パソコンを買い替えた。面倒くさくてしばらく放置してから、重い腰を上げてセットアップし、データを移し、旧パソコンのHDDの中身を全消去するところまでやった。

 この日記は新パソコンで書いている。メモリーを増やしたこともあって大変快適に動く。電源を入れてからの立ち上がりも、感激するほど速い。今までどれほど無駄なストレスを感じていたことか、ようやく分かった。一念発起して(誇張表現)買い替えてよかった。

「改造社の『ドイル全集』を読む」プロジェクト第二十三回

●「改造社の『ドイル全集』を読む」プロジェクトの第二十三回として、第五巻から長編「霧の世界」を読んだ。訳者は横溝正史である。実際はただの名義貸しらしいが。

 いやはや、これはしんどかった。内容を一言で表すなら、交霊術は本物だった!

 作者の力点が思想や主張の表明に置かれてしまうと、物語の面白さを構築する部分がどうもおろそかになるようだ。展開は平板で、A会場の交霊会の模様、次にB会場の交霊会の模様、次にC会場の交霊会の模様、とだらだら続く。その中身も平板で、まずは一人目の霊魂が現れてなんか喋る、次に二人目の霊魂が表れてなんか喋る、次に……ってな調子で。もしかして最初は雑誌連載だったのだろうか。短いエピソードのつなぎ合わせに思えるのだが。

 そもそもが私の興味の範囲から遠く遠く離れている題材なうえに、こんな起伏の乏しい内容なものだから、全然集中できない。ページをめくる手がすぐに止まってしまう。二百六十ページのこの作品を読むのに三日もかかってしまった。久しぶりに、まだあとこんなにあるのかと残りページを数えながら読む作品に出くわした。

●書店に寄って本を買う。
『辮髪のシャーロック・ホームズ』 莫理斯 文藝春秋

●注文していた本が届いた。
『柬埔寨の月』 ヒラヤマ探偵文庫
 作者不詳の、セクストン・ブレイク譚である。

『シャーロック・ホームズ秘聞』 長沼弘毅 文藝春秋

●『シャーロック・ホームズ秘聞』 長沼弘毅 文藝春秋 読了。

 残念ながら今回はどうも低調であった。世界各地のシャーロキアン達との交流を記した章は微笑ましくはあるけれども、私の興味からはやや外れていた。私がホームズ雑学本に求めるのは、作品を深く理解するための足掛かりである。あるいは、作品を別角度から眺めるための、私とは異なる視点である。

 面白かったのは第二部第一章「エラリー・クイーン切り裂きジャック」で。クイーンの「恐怖の研究」のあらすじを追いながら、シャーロキアン的視点の解説を加えてゆく。クイーンが原典をよほどしっかり研究していることが分かって興味深い。

「恐怖の研究」は、何年前かはっきりしないくらい昔に読んだ。内容はすっかり忘れ果て、読んだ、という記憶しか残っていない。いつか機会があれば再読したい。ってなこと書いといて、平気で十年くらいは経ってしまうんだけれども。

 第二部第二章「切り裂きジャック諸説」は、現実の切り裂きジャック事件をホームズ譚のなかに組み入れようとする試みの紹介である。一点だけ、ワトスンのファーストネーム混乱問題を上手くこのネタに盛り込んだ手際は上手いと思う。

●定期でお願いしている本が届いた。
『悪魔を見た処女』 E・デリコ C・アンダーセン 論創社

『NかMか』 A・クリスティー クリスティー文庫

●『NかMか』 A・クリスティー クリスティー文庫 読了。

 枠組みは単純である。作中の時期は第二次大戦中。海辺の保養地にある「無憂荘」に、ドイツのスパイ組織の重要人物が潜り込んでいるらしい。下宿人として「無憂荘」に滞在し、敵の正体を暴け!

 作中で何度か見え隠れする(伏せ字)というモチーフが、真相と結びついている構成にちと感心した。ただ、関連する描写にどうも違和感があったので、結末に至る前に真相に気付いたけれども。

 とある手がかりがスパイの正体につながると同時に、(伏字)することでレッドヘリングの役目も果たしている。こういうクリスティのテクニックを読むのは嬉しい。

●注文していた本をコンビニで受け取ってきた。
『振袖小姓捕物控 第一巻』 島本晴雄 捕物出版