累風庵閑日録

本と日常の徒然

『新聞記者スミス』 ウッドハウス 改造社

●『新聞記者スミス』 ウッドハウス 改造社 読了。

 昭和六年に刊行された、世界大衆文学全集第七十二巻である。穏健で凡庸でご家庭向けだった新聞が、編集長の交代によって突如方針を大転換し、社会問題を扱うようになった。貧困層向け住宅の環境改善を、広く世間に訴えたのである。物件の所有者としては、住み心地をよくするなんてのは余計な出費が必要だから面白くない。そこで裏社会の勢力に、新聞社に圧力をかけるよう依頼した。ギャングと新聞記者との闘争が始まる。

 ウッドハウスには珍しく、コメディ要素が少ない作品である。だがシリアスな犯罪小説になっていないのは、主人公スミスの造形が大きく影響している。とにかく陽性で饒舌なスミス君のおかげで、物語の雰囲気は明るい。そして、偶然を縦横に駆使してスピーディーに物語を転がしていく技量は、これはやっぱりウッドハウスであった。

 短編が二編、併せて収録されている。シオドア・ドライザー「私刑」は、黒人に法の裁きを受けさせようとする保安官と、捕まえてリンチで殺してしまおうとする住民達との対立を、取材しに来た新聞記者の視点で描く。アーノルド・ベネット「何故時計がとまったか」は、他愛ない恋愛コント。

●書店に寄って本を買う。
『ウナギの罠』 J・エクストレム 扶桑社ミステリー
『幽霊を信じますか?』 R・アーサー 扶桑社ミステリー

●出版社からの直販本が届いた。
『諏訪未亡人/猪狩殺人事件』 日下三蔵編 春陽堂書店
 横溝正史が関わった連作がこうやって本にまとまるのは素晴らしい。偉業と言っていい。

『虚空から現れた死』 C・ロースン 原書房

●『虚空から現れた死』 C・ロースン 原書房 読了。

 中編が二編収録されている。どちらも作風は同じようなもので、怪奇趣味と不可能興味とがぎゅうぎゅうに詰め込まれた物語が、のっけからアクセルベタ踏みのフルスピードで突っ走る。空を飛ぶコウモリ男、霊界から蘇った十五世紀の殺人鬼、透明人間。ビルの高層階からの人間消失、金庫の中の宝石盗難、警察本部での密室殺人。派手で、スピーディーで、突拍子もない。いやはやどうも、大変なものである。これだけ濃いと胸焼けしてしまう。一編読んで中断して、間に別の本を挟んで口直しをしないと通読できなかった。

 解決は(伏字)だったりして、ずっこけ気味。そりゃあ、そういう落とし所にするしかないであろう。まるで乱歩の少年探偵団シリーズを読んでいるようだ。ただ、第二話「見えない死」の犯人設定にはちょっと感心したし、付随する(伏字)ネタも気に入った。

『100分間で楽しむ名作小説 黒猫亭事件』 横溝正史 角川文庫

●『100分間で楽しむ名作小説 黒猫亭事件』 横溝正史 角川文庫 読了。

 昨日から読み始めた翻訳ミステリ中編集が、面白いんだけどもあまりに濃くて疲れた。二編収録されているうちの一編だけ読んで中断。口直しに横溝正史をさくっと読む。この時期の正史の、本格ミステリを書いてやろうという意気込みがひしひしと伝わってきて、凄みすら感じる秀作。金田一耕助は、いくつもの仮説を組み立て検証を重ねてゆく。こんなに丁寧に推理の過程を喋るのは珍しい。これも正史の意気込みの表れであろう。

 第七章で金田一耕助が警察に出向いた途端、物語の雰囲気ががらりと変わる。彼が警察の面々に向かって「油紙に火がついたように」ベラベラとまくし立てる様子は、この男の軽味とうさん臭さとを存分に表す名場面である。

 ひとつ気付いた点。角川文庫旧版の「てんかん」が、このバージョンでは「持病」に変えられている。底本だという金田一耕助事件ファイルからすでに変更されているのだろうか。

●行方不明でずっと気になっていた「翻訳道楽」の「#37」以降のうち、「#52」までが思いがけないところから見つかった。それはいいのだが、依然として「#53」から「#62」までが行方不明である。どこにあるのだろう。

『シャーロック・ホウムズ読本』 E・W・スミス編 研究社

●『シャーロック・ホウムズ読本』 E・W・スミス編 研究社 読了。

 シャーロキアン団体「ベイカー・ストリート不正規隊」のメンバーによる文集である。内容はホームズネタの研究論文、小咄、詩など。申し訳ないが打率は低い。だが、面白く読めた文章がいくつかある。アンソニー・バウチャー「後期のホウムズは替え玉か?」では、ライヘンバッハ以前と以後とでホームズは別人であると主張している。興味深いのは、後期の人物の正体を「消えた特急」の投書家だとしている点。チャールズ・グッドマン「歯科のホームズ」では、聖典のわずかな記述からこれだけの歯科ネタを書く創造性に感心した。

 一番面白かったのは、レックス・スタウト「ウォトスンは女だった」。以前何か別のシャーロキアン本で既読かもしれないけども。わずかなページの、後半に行くにしたがって馬鹿馬鹿しさが加速する。真面目な顔で冗談を言うタイプである。ウォトスンの正体はなるほどそれっぽいし、最後にホウムズとの関係が後世に及ぼした影響を示唆してむりやり目のオチにしている点も愉快である。

 ところでどうも、個性的な翻訳の本であった。独特の表記が目に付く。ホウムズ、ウォトスン、アイリーニ・アドラーなど。作品名では「ボヘミア王家の色沙汰」、「ソー橋」など。「ふきかえ事件」って、どの作品のことだろう。異様なまでに意味を取りにくい論文がちょいちょいあったのも、個性ということにしておこう。そんなものに出くわすと、目が活字の上を滑ってゆくだけになってしまう。打率が低い一因である。

 巻末のあとがきを読むと、明記されてはいないがどうやら大勢の下訳者を経て成立した本らしい。名前をずらずら挙げて、「~の諸君に基礎的な協力を得ました」としてある。それぞれの下訳者の技量によって、日本語のこなれ具合が変わってきたりはしていないだろうか。あるいはそもそも、英語の論説文を日本語に置き換えることに無理があるのか。まだあとこれだけ読まないと終わらんのかと、残りページを数えながら読み進めるしんどい本であった。

『紅楼の悪夢』 R・V・ヒューリック ポケミス

●『紅楼の悪夢』 R・V・ヒューリック ポケミス 読了。

 今回狄判事が取り組むのは、なんと密室殺人である。しかも三十年という時間軸が背景にある。同じ部屋で何人も人が死ぬという怪奇味もある。複数の(伏字)されているのも、読んでいてミステリの楽しさが味わえる。

 途中のアクションシーンが、わずかなページながらエキサイティング。登場人物の造形も魅力的。特に、街の顔役の部下で賭場の用心棒コンビ、蟹やんと小蝦どんのキャラクターが出色である。狄判事の部下、馬栄と気脈を通じて事件解決に一役買う。そして馬栄自身も、公私ともに様々な意味で大活躍する。

 だが、一番ヘヴィーなのは物語そのもので。三十年の時間の重みが、胸に迫る。二段組みで百七十ページしかない短めの作品だが、中身は重量級であった。

●書店に寄って本を買う。
『100分で楽しむ名作小説 黒猫亭事件』 横溝正史 角川文庫
『建築知識 4月号』 株式会社エクスナレッジ

今日も休む

●昨日はスペース企画「人形佐七をネタバレで語ろう」を開催した。興味深い話や意外な視点の話をいろいろ聴けて、有意義で楽しい時間であった。ただ、音声の質が悪かったのがストレス。実際に顔を合わせて、酒でも飲みながらゆるゆると、横溝について語る雑談会をやりたくなった。それっていつもの横溝オフ会なのだが。

●現在抱えている原稿が二本ある。いつまでも宿題を抱えている状態がいい加減しんどくなったので、今日は原稿を書く日にする。というわけで、今日もまた読書は休み。

『幻の女』 W・アイリッシュ ハヤカワ文庫

●『幻の女』 W・アイリッシュ ハヤカワ文庫 読了。

 必要があって、数十年ぶりの再読。初読のときはあまりの面白さに夢中になってページをめくったものだ。今回はぼんやり真相を覚えているので、割と冷静に読んだ。サスペンスと叙情性とが身上のこの作品であるが、今回最も面白かったのは(伏字)の殺人に関する趣向であった。自分の心覚えのために、詳しいことは非公開で記しておく。

(以下、段落ひとつ非公開)
 全体は、漠然とした記憶にあるよりもきっちり構成されていたのが意外であった。なかでも、ある種の人間関係から導かれる意外性には感心した。作品の眼目のひとつと思っていた幻の女の正体は、これまた漠然と記憶に残っていたがなんとまあこういうオチだったとは。感心はしないががっかりもしない。感情ではなく理屈で受け止めた。ふむふむアイリッシュ、こういう扱いにしたのだな、という。ニュアンスが伝わるかどうか覚束ないけれども。

●『幻の女』を題材にした同人誌向け原稿を、今月中に仕上げなければならない。

●書店に寄って本を買う。
『別冊太陽 探偵小説の鬼 横溝正史』 平凡社
『幽霊のはなし』 R・カーク 彩流社

『ABC殺人事件』 A・クリスティー 創元推理文庫

●『ABC殺人事件』 A・クリスティー 創元推理文庫 読了。

 大人向けの訳で読んだのは四年前が初めて。今回必要があって、メモを取りながら再読した。感想は基本的に前回と同じなので、当時のブログをベースにして修正を加えたものを今回の感想とする。

 関係者が無意識のうちに取捨選択して話さなかった些細な事柄にこそ重要な手掛かりが潜んでいる、というアプローチにはわくわくするものがある。なにしろこのアプローチの結果としての、スリリングな場面を覚えているのだ。読み進めた先の盛り上がりが約束されているのである。その他全般的に、真相を知って読むと様々な記述の意味がその場で分かるので、初読とは違う面白さがある。また、予告の手紙がポアロに宛てられた理由なんてネタも嬉しい。

 終盤の展開は、前回ちょっと冷静になってしまった。ところが今回、クリスティーが読者の鼻づらを取って引きずり回す手際はいかに、という視点で読むとなかなか興味い。章の終わりの記述と、そこから次の章が始まる流れにちょいと感心する。

『老女の深情け』 R・ヴィカーズ ハヤカワ文庫

●『老女の深情け』 R・ヴィカーズ ハヤカワ文庫 読了。

 迷宮課の第三巻である。このシリーズのキモは、人物造形の興味にあるようだ。ロジックや伏線の面白さを、過度に期待してはいけない。それぞれの作品で、作者は丹念に筆を重ねてゆく。殺されるに至る被害者の人物像を描き、殺すに至る犯人の人物像を描く。ふとしたきっかけで抱いた感情が、次第に腐敗して本人をさいなみ、やがて殺人というカタストロフに至る過程を丁寧に描く。

 ところで個人的に、犯罪実話は全く興味の外である。このシリーズに漂う実話色は、私にとってミステリを読む喜びにつながらない。収録作中で最も面白く読めたのが、最も短い「夜の完全犯罪」であった。短いので相対的に、前半の実話色に対して後半の警察捜査のウェイトが高まっている。

 他に気に入った作品とそのポイントは以下のようなところ。「ある男とその姑」の最後の畳みかけ、「そんなつまらぬこと」の皮肉な結末、「老女の深情け」のやや多めに書かれた捜査の過程、「ヘアシャツ」の犯罪が露呈したきっかけ。