累風庵閑日録

本と日常の徒然

『北町一郎探偵小説選II』 論創社

●『北町一郎探偵小説選II』 論創社 読了。

 冒頭四編の防諜小説は、私の好みから遠く遠く隔たっている。ただ読んだだけ、というより、目が活字の上を滑っていっただけである。作品から何か読み取るべき要素もあるかと思うが、そういうのは研究家や評論家にお任せする。

 連作「東京探偵局」全六話も、戦前の防諜小説である。乱暴に言ってしまえばストーリーは全部同じ。要約すれば大半の作品が、がいじんすぱいのわるだくみをふせいでこらしめてやりました、である。一般のミステリと違って、犯人設定や動機やなんかのバリエーションがほとんど無い。第六話「街の警視総監」のある登場人物の台詞からすると、作者自身その辺りの状況には自覚的であったようだ。

 主人公の探偵局長樽見樽平の造形および全体の展開に漂う、ユーモラスな味わいが読み所のひとつらしい。だが、そのユーモアたるやどうにも素朴なもので。なんと、ある場面ではバナナの皮で滑って転ぶのである。毒も脂気も抜けた、可笑しさという記号を並べているようなものだ。ただ、このシリーズにおいてユーモアは重要な要素なので。おかげで冒頭の四編と比べるとはるかに軽快で、辟易せずに読み進めることができた。

 探偵局には八百名の局員がいて、東京各地で様々な身分で活動しているという。公私に渡るいくつもの機関とつながりがあるらしい。事務所は特殊な装備で満載である。となると、頭数も人脈も秘密兵器も思いのまま。要するに、あらかじめ作者からオールマイティの属性を与えられている訳だ。何でもできるのだから、事件はさほど紆余曲折を経ずに解決してしまう。しかも上記のように真相は全部同じ。

 シリーズ中で例外的に面白かったのが第四話「療養院の秘密」で。珍しく、主人公が手がかりに基づいた推理を披露している。敵の悪だくみの内容もちょっと意外で、面白い。

 その他の収録作では、北野三郎シリーズの三編、「消えた花嫁」、「五月祭前夜」、「狸と狐」が比較的読める。事件は他愛ないものだが、ともかくも推理の要素がある。もうそれだけで佳作に思えてくる。なにしろ他の収録作があまりに素朴なので。