累風庵閑日録

本と日常の徒然

特別開催横溝正史読書会『夜光虫』

新大阪駅にほど近い貸会議室で、横溝正史ファンイベント『横溝正史発表会&読書会』が開催された。参加者及びスタッフ総勢四十二名という盛況であった。その第二部が「『夜光虫』読書会」である。いつもは参加者のみで小ぢんまりと運営している読書会なのだが、今回は司会者の私と登壇者三人の読書会を、イベント参加者が聴講するという変則的な特別開催である。会の現場ではネタバレ全開だったが、このブログではネタバレ発言や終盤の展開に言及した部分をカットしたうえで内容を簡単にご紹介する。なお文末に数字が付されている場合、角川文庫旧版『夜光虫』のページを示す。

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◆まずは登壇者各位からひとこといただく
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「この作品が書かれた頃の正史は、流れるようなテンポのいいストーリーを書くことに興味があったみたいだ」
「私のファースト・横溝はコミカライズの『血まみれ観音』だった。今回作品を読み返してみて、新しい発見があったので紹介したい」
「(聴講者に向かって)今回は金田一シリーズとは違った横溝作品の魅力をご案内したい」

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◆司会者からの最初のお題
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 この作品は戦前のスリラーなので、読者を面白がらせるシーンをいくつもつなげていく構成になっている。皆さん読んでみて、特にお気に入りのシーンはあるでしょうか。

隅田川での追いかけっこがとても面白い。私は東京の地理をよく知らないけど、読んでいると東京にいるような気がするし、この小説は活劇なんだなと思った」
隅田川から始まって、作品には東京のあちこちの地名が出てくる。縦横無尽に東京中を駆け巡っている」
「この作品が書かれたとき正史は上諏訪で療養中だった。地名がいろいろ出てくるけど、あまり深くは描写されてない。あちこちに移動してるな、という感じを出したかったのかも」
「都市そのものをよく知らないからこそ、川を舞台にしたんじゃないか」
「川なら追いかけっこのアクションシーンも書けるし、江戸情緒も盛り込める」

「冒頭、船に飛び込んできた怪人物が花火に照らされて一瞬美少年の姿を現すシーンが凄く映像的」
「題名にもなっているけど、鱗次郎が逃げ回って振り子のようになりながらきらきら光っているのが夜光虫みたい、という表現が耽美的」
「同時期に『真珠郎』も書いていて、かたや真珠郎、かたや夜光虫という美しさ」
「『真珠郎』はミステリ専門誌「新青年」掲載でどちらかというと本格ミステリ寄り。『夜光虫』は娯楽雑誌「日の出」掲載でとにかく読者を楽しませようと振り切った感がある」
「要素を惜しみなく足して足して盛り込む時期の作品。江戸情緒にモダンなレコード歌手に時計塔にゴリラ男」

「人名が凄いよね」
「真珠郎に鱗次郎」
「このころはそういう人名ばっかり」
「薔薇郎なんてのもいた」
「キラキラネームだ」

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◆登場人物の造形について
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「等々力警部の造形が面白い。仮面舞踏会に潜入するときにベッティ・ブープの仮面だし、三津木俊助と軽口をたたきあいながら仮面をずらすと、その下には髭の濃い精力的な顔(P51)」
「こんなキャラクターだったっけ」
「ふたりはやけに仲がいいよね」
「警部は仮面舞踏会の場面にしか出てこない」

「『夜光虫』は由利先生シリーズ中期の作品。ところがどうも先生の造形が固まっていないような感じがする。作中で初登場の時には和装だし、終盤で関係者を尋問する時にはずいぶん荒っぽい口調」
「リセットされたような作品」
「ここでの由利先生は活動的。早い段階から事件に関与して、良くも悪くも成功したり失敗したり」
「塀を乗り越えるしピストルをぶっ放す」

「琴絵は可愛らしいお人形さんじゃなくて、人間味がある。嫉妬深くて独占欲が強く、わがままで周囲の人間が自分の思い通りに動かないとすぐ癇癪をおこす」
(具体的な描写は、終盤の展開に関わるので省略)

「万蔵が何をいつ知っていたかがすごく曖昧」
「住んでる屋敷について知らないこと多すぎ」
「万蔵は、正史が『金三角』のあのトリック(ネタバレ非公開)を使いたいがために出したんじゃないか」

「鮎子の立ち位置が興味深い。鱗次郎琴絵ペアがわちゃわちゃやってて、由利先生と三津木俊助とが時折失敗したりして右往左往している中間にいて両者をつなぐ接着剤のような役割になっている」
「鮎子はいろんな人と出会ってすれ違って、終盤になって一瞬で万事を諒解してしまう(P230)。正史が物語をたたみにいってる」
「鮎子の存在が『金三角』との大きな違い」

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横溝正史の書き方について
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「正史は動物に『ネロ』という名前をよく付けるし、だいたい可哀想な目に遭う。今回のライオンも可哀想な目に遭って、しかも最後の場面ともリンクして、ドラマチックな感じにまとまったと思う」
「ネロがなぜ暴れたのか不明」
「ただ可哀想な扱い」

「由利先生と三津木俊助がと円タクで先生の自宅に向かうときに、七、八分はかかるからその間に読者にこのふたりを紹介しておこう(P21)というのは面白いレトリック」
「流れるような語りは伝奇小説の影響かも」
「場面の切り替わりが凄く激しい」
「追う者と追われる者と、鮎子のような第三者とがいて視点が様々に変わるので、読者を飽きさせない」
「メインとなる舞台は多くなくて、日比谷のSホテルと池袋の幽霊塔とが大部分を占める。ところが読んでいて停滞した感じはなくて、いろいろ場面展開があるように思えるのは正史の筆力」
「鮎子が仮面舞踏会から誘拐されてひょっとこ長屋に連れていかれる。そこでサスペンスがあってもいいのに、何もない。たぶん本筋ではないから省略されたのだろう」

「現代の話なのに、江戸情緒がある。結綿でビラビラの花簪の娘が昭和十一年にいるっていうのに驚く」
「江戸情緒の中に、唐突に西洋の情緒が盛り込まれる。鱗次郎が歌うときの形容が、『行きずりの秋のたそがれに、ふと洩れきいたヴィオロンのように(P55)』」
「装飾がすごくきれい」
「こんな江戸情緒が盛り込んであるから、時代小説『金座太平記』にすんなり移行できた」

江戸川乱歩の『幽霊塔』とほぼ同時期の作品。どちらも黒岩涙香の『幽霊塔』を意識してるんだろうけど、この作品以外にも乱歩と正史とが同じテーマで書いている例がある。特に正史の側に、乱歩に対して粘着している様子がある」
「『呪いの塔』なんかでは乱歩をいじり倒しているし」
「幽霊塔の場所は池袋だし」
「(某人物)の描写が変わっていく過程から、江戸川乱歩『孤島の鬼』、『夜光虫』、『八つ墓村』というラインが見えてくる」

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◆登壇者が作成した資料
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 今回お客さんがいるおかげか、登壇者のみなさまそれぞれとても充実した資料を作っていただいた。その詳細は参加者だけのお楽しみとして、ここでは概要を記しておく。配られた資料は五種類だが、内容に即して大別すると七項目になる。

・正史が上諏訪での療養期間中に発表した作品リスト(抜粋版)。ここから、『真珠郎』と『夜光虫』とが同時期の作品だと分かる。

・『夜光虫』が書かれた時代の正史の作品は耽美的と評されることが多いが、正史自身は活劇を書きたがっていた。資料では、そういった意向を示す正史の著作あとがきを引用。活劇の実例が本作であり『幻の女』であり『幽霊鉄仮面』であった。

・正史作品に登場するサブヒロインの造形について。行動力があって姉御肌の女性は緑色を身に着ける傾向にあって、正史の中で緑は「役割色」のようなものではないか。その仮説を、本作の諏訪鮎子、『薔薇王』の甲野朱美、『八つ墓村』の森美也子を例に挙げて検討する。

・コミカライズ作品、高階良子『血まみれ観音』について。キャラクターの配置や造形を整理し、当時の少女漫画の傾向に合わせた脚色になっていることを紹介。

・元ネタとなったモーリス・ルブラン『金三角』との比較。『金三角』の視点人物は概ね一定であるのに対し、『夜光虫』では各章ごとに視点人物が様々に変わる。このことで場面転換が多くなり、講談や伝奇小説の語り口にも通じるスピード感が出てくる。その一方で、良くも悪くも全体の整合性は重視されていないようだ。

・正史の文章は、読み手の呼吸に合わせて文節が切れているので読みやすいという仮説。七五調ならば十二文字だが、『夜光虫』の文節は平均すると十二文字程度である。それに対して、正史が好んだという宇野浩二の文節は平均二十字程度、谷崎潤一郎に至っては平均三十字を超えている。

・『夜光虫』の系譜。正史には改稿癖があった。また、旧作の構成要素を再利用して後の作品に盛り込む例もある。『夜光虫』を出発点とした、そういった関連作品の一覧。資料とは別に、会の途中では『三つ首塔』と『金三角』との類似を指摘する意見もあった。

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◆ネタバレ非公開部分のキーワードだけ並べておく
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 ミュージカルか!、目的が分からない、なぜ自分から打ち明けないのか、いろいろ調べているうちに、正史が好きな結末、正史が嫌いな結末、気の毒なおぎんさん、自由なゴリラ、最後に乾杯

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◆その他の小ネタいろいろ
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「角川文庫はテキストが心細い。冒頭の船には六人乗っているはずだが、少女、おぎんさん、じいや、と列挙してみると五人しかいない(P5)」
「乗っていたじいやはそのあと全然出てこない」
「おぎんさんが八面六臂の大活躍」
「おぎんさんはネロに噛まれて、恐らく助かる見込みはないといわれてた(P132)のに(会場のお客さんからのツッコミ)」
「そこでじいやが出てこないと」
「噛まれるんだったら、じいやでいいでしょう」
(それはそれでひどい話である)

(会場のお客さんから)
「三津木俊助が仮面を買う場面(P41)で、『ミッキー・マウスか、こいつは縁起がいいや』といってるのはなぜか。昭和十一年は干支が子(鼠)だし、鼠は多産の象徴でもともと縁起がいい」

「仮面舞踏会の会場内で爆竹の音がする(P42)けど、屋内で爆竹か」
「もしかして当時はクラッカーのことを爆竹と呼んでたりして」

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◆なんとなくのまとめ
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 細けえことはいいんだよ。