累風庵閑日録

本と日常の徒然

『謎のクィン氏』 A・クリスティー クリスティー文庫

●『謎のクィン氏』 A・クリスティー クリスティー文庫 読了。

 再読である。記憶も定かではないたぶん四十年近く昔に読んで、当時はどうということもなかった。ところが今回読んでみて驚いた。なんと面白いではないか。初読当時はまだ幼くて、この味を受け入れる読書経験を積んでいなかったのかもしれない。

 伏線がきっちり仕込まれているのが嬉しいし、こちらの嗜好をくすぐるようなネタが大量に盛り込まれているのも嬉しい。その例をいくつか挙げると、表面に見えている絵柄がある瞬間がらりと変貌して、全く別の姿を現す。互いに無関係な文脈で発せられたふたつの言葉が、合わせて考えるとひとつの伏線になる。遠い記憶に残っている瞬間の印象が、振り返ってみると重要な意味を持つ。なんら違和感がない当然の情景描写が、実は事件の根幹に直結している。取るに足りない発言の中に、真相を示唆する情報が隠されている。

「空のしるし」は、まるでチェスタトンのようだ。緊迫感が上々の「ヘレンの顔」は、まるで小酒井不木甲賀三郎のようだ。「死んだ道化役者」は、長編に仕立てても成立しそうな堂々たるミステリである。某作品の結末近く、人間は変わるものだがあんなふうには変わらない、のひとことで強烈なサスペンスが立ち上がってくる。ある作品では、結末に至って初めて、途中の描写の凄みが分かる。

 そして、このシリーズで味わうべきはミステリの面白さだけではない。人々の人生が交錯する瞬間の悲喜交々がある。その点では「海から来た男」が秀逸。この辺を書くとあまりに長くなりすぎるので省略。

●定期でお願いしている本が届いた。
『未来が落とす影』 D・ボワーズ 論創社