累風庵閑日録

本と日常の徒然

『あの薔薇を見てよ』 E・ボウエン ミネルヴァ書房

●『あの薔薇を見てよ』 E・ボウエン ミネルヴァ書房 読了。

 副題は「ボウエン・ミステリー短編集」である。ミステリーと謳われてはいるが、形式としてはミステリもあれば怪奇小説もあり、普通の小説のような作品もある。だが、お気楽な娯楽小説ではない。なんとも疲れる作品集であった。登場人物がどこそこに視線をやっただとかどういう表情を見せただとか、そんな描写にいちいち意味があるようで、文章ひとつすらおろそかにできないのだ。作者は結末の意味を明記せず、読者の想像に任せて物語をぶった切ってしまう。文章に集中し行間を読み、想像力を働かせて一行一行読んでいかなければならない。情景描写も濃密なので、頭の中で映像を構築する作業も少なくない。巻末の作品解題を読むと、私が受け止めたよりももっと深い読解ができそうである。

 書きっぷりの例を挙げると、「死せるメイベル」で女優メイベル・ベイシーは凄惨な死を遂げることになっているが、具体的なことは何も書かれていない。重要なのは彼女の死そのもので、死に方ではないのである。どういう死に方を想像するかは読者の勝手、もしくは読者の責任である。

「猫が跳ぶとき」は、過去に殺人があった屋敷に引っ越してきた一家の物語である。その殺人がどんなに凄惨なものであったか、作品世界内の人々はよく知っているようだが、読者には知らされない。人々の会話で断片が語られるのみである。いわく、奥さんの手の片方は図書室で見つかった、彼は指から始めたので指は全部ダイニングルームにあった、彼は彼女の心臓を帽子の箱に入れた、などなど。そこからどのような具体的な情景を思い描くかは読者に任されている。特に秀逸なのは、女中が屋敷から逃げようとしたが手に触れるものは全て……ネバネバしていたので逃げることができなかった、という語りである。この間の恐ろしさよ。

 「針箱」は、写真の意味が分かると途中のさりげない文章にとたんに奥行きが感じられるようになる。一本の棒を横にして全体を見るのではなく、縦にして切り口を見ているような。写真の意味に気付いてしまった登場人物は、肩がこわばり声に感情がなくなる。激情を描写しないことで、読者に内面の激情を想像させる。「火喰い鳥」は、相手を深く愛している者と相手への愛が醒め果ててしまった者との対比が、たったひとことの台詞で鮮やかに描かれる。

 他に気に入った作品の題名だけ挙げておく。「あの薔薇を見てよ」、「泪よ、むなしい泪よ」、「告げ口」、「割引き品」、「父がうたった歌」、「段取り」、「手と手袋」、「林檎の樹」、「幻のコー」ってなところ。

 頑張って取り組むとなかなかに深く激しく恐ろしい作品世界が広がってゆく、かなり読み応えのある本であった。ボウエン短編集は続刊の『幸せな秋の野原』も買ってある。期待はできるのだが、疲れるので読むのはたぶん来年に先送りするであろう。

●注文していた本が届いた。
『闇に浮かぶ顔』 伊東鍈太郎 東都我刊我書房