累風庵閑日録

本と日常の徒然

『精神病院の殺人』 J・ラティマー 論創社

●『精神病院の殺人』 J・ラティマー 論創社 読了。

 主人公の探偵ウィリアム・クレインの造形が魅力的。減らず口をたたき、肉弾戦も厭わず、酒にだらしない。それでいてただの筋肉馬鹿ではない。独自の活動で状況をひっかきまわし、関係者や警察を翻弄し、そのあげくロジカルな推理で事件を解決に導く。冒頭では病院に連れてこられた彼が、観察と推理とによって院長にまつわる様々な事柄をたちどころに言い当てて見せる。こういうくすぐりが嬉しい。

 犯人の設定にはあまり感銘を受けなかったけれども、この際それは脇に置いておく。結末でクレインが語る推理が、十分満足できる内容である。会話の断片やちょっとした情景から大量の手がかりを拾い上げ、組み合わせ、積み重ねて真相にたどり着く。

 特に気に入った手がかりが、あるエピソードに仕込まれた一件で。そこにこっそり書かれた情報だけではあまり意味がないが、別の個所の何気ない会話と組み合わせて初めて、決定的な証拠となる。こういう書きっぷりから見えてくる、作者の姿勢が嬉しい。(伏字)がミスディレクションとして機能している点も、分かってらっしゃる、と思う。

 これでシリーズを三冊読んだ。その中では本書が一番面白かった。舞台が特定空間に限定されているのが本格色を強めているし、クレインが途中でちょいちょい推理を披露するのも楽しい。

『シャーロック・ホームズに愛をこめて』 ミステリー文学資料館編 光文社文庫

●この土日で、ちょいと一泊ででかけてきた。かつての飲み仲間と再会して、日帰り温泉でひとっ風呂浴びた後飲んだくれる。

●遠征のお供として持って行った、『シャーロック・ホームズに愛をこめて』 ミステリー文学資料館編 光文社文庫 を読了。

 本の感想は、内容だけで決まるものではない。それ以外の様々な要因、たとえば直前に読んだ本からも影響を受ける。物語としてはメリハリに乏しいクロフツの宗教本の後に読むと、とにかくストーリーがあるというだけで、面白いのなんの。

 特に面白かったのは以下の作品。なるほどこの作者らしい真相の山田風太郎「黄色い下宿人」、ネタと趣向とを詰め込んだ夢枕獏「踊るお人形」、真相が気に入った北原尚彦「ワトスン博士の内幕」、犯行手段と細かなくすぐりとが光る柄刀一「緋色の紛糾」、といったところ。

 深町眞理子「シャーシー・トゥームズの悪夢」を読むと、時事ネタを盛り込んだパロディが十分にその内容を理解されるには、同時代の読み手の眼を必要とすることが分かる。江戸川柳が、当時は当たり前だったであろう事象を詠んで、ときに難解であることと同様である。

ドイル傑作集

●書店に寄って本を買う。
『ドイル傑作集I ミステリー編』 C・ドイル 新潮文庫
『ドイル傑作集II 海洋奇談編』 C・ドイル 新潮文庫
『ドイル傑作集III 恐怖編』 C・ドイル 新潮文庫
『新・餓狼伝 巻ノ四』 夢枕獏 双葉社

 ツイッターのとある投稿をきっかけに、横溝正史が訳したドイル「猶太の胸甲」についてちょいと調べた。目的はすぐに達したのだが、調べる過程でひとつ気付いたことがある。創元推理文庫のドイル傑作集全五巻に収録されていない作品が、新潮文庫のドイル傑作集にちょいちょい含まれているのだ。しかも、改版全三巻バージョンはいまだ現役だそうで。という訳で、早速買ってきた。

「新・餓狼伝」第四巻は、奥付を見ると今年の七月に出ていた。ちっとも知らなかった。今日書店を覗いて偶然気付かなければ、買わないままになっていた可能性が高い。このシリーズは、忘れた頃に続刊が出るから困ってしまう。このシリーズは、続刊が出る頃には以前の内容を忘れているから困ってしまう。

『四つの福音書の物語』 F・W・クロフツ 論創社

●『四つの福音書の物語』 F・W・クロフツ 論創社 読了。

 翻訳ミステリを読み始めて四十年近く。それらの本にはキリスト教関連の単語が当然のように出てくるので、目についてはいた。だが、体系的な知識となると全くのゼロである。福音書がどういうものか知らなかったし、そもそも「ふくいんしょ」と読むことすら知らなかった。「ふくおんしょ」だとばかり思っていた。

 宗教としてのキリスト教には小指の爪の先ほどの興味もないが、欧米文化の基盤としてのキリスト教は、知っておいて損はないだろう。翻訳ミステリをより深く楽しむための副読本として、本書に目を通してみた。

 さあて、全体の三~四割ほども理解できただろうか。キリストの生涯について、ぼんやりとした全体像のようなものは見えた気がする。それ以上の感想は書けない。

 巻末解説に、このような宗教書をミステリ叢書で出すことの意味が書いてある。言わんとするところは分かるが、分かることと共感することとは別の話である。連番になっているから買ったけども。この叢書は全部読むことにしているから読んだけども。

 

『酒井嘉七探偵小説選』 論創社

●『酒井嘉七探偵小説選』 論創社 読了。

 題材のバリエーションに乏しいのがちと残念だけれども、全体としては面白く読めた。戦前派には珍しく、ロジカルな興味を重視した作風が好みに合っている。

「ながうた勧進帳」と「京鹿子娘道成寺」とが、収録作中の双璧。読み所は、前者では語り手が些細な違和感から真相に気付く展開、後者では衆人環視の舞台上での殺人という不可能興味である。どちらの作品も、いくつかのアンソロジーで既読だけども、良いものは再読してもまた良いのだ。

 その他胸に響いた読み所を列挙すると、「探偵法第十三号」でのキーパーソンの計画と破綻、「郵便機三百六十五号」の切れ味、「空に消えた男」の不可能興味、「遅すぎた解読」の突発するサスペンス。評論・随筆篇では、犯罪実話「地下鉄の亡霊」の捻りが上手く決まっている。遺稿篇では、「猫屋敷」の不気味さが良い。

 それにしてもこの本、作品を網羅するばかりでなく、未発表の遺稿までも収録するとは、なんと素晴らしいことか。創作物を後世に残し伝えてゆくという意味で、論創ミステリ叢書のなかでも屈指の成果と言えよう。

四つの福音書の物語

●電車に乗って東京に出る。まずは書店に寄って本を買う。
『精神病院の殺人』 J・ラティマー 論創社
『四つの福音書の物語』 F・W・クロフツ 論創社

すでにあちこちで言われていることだけれども、宗教書をミステリのレーベルで出すってのは、論創社もなかなか大胆なことであるよ。

●「西浅草黒猫亭」にて、ちょっとした内輪の集まりがあった。先日開催された倉敷のイベントの話を肴に、数人で三時間ほどお喋り。

成城大学公開シンポジウム

成城大学で、「成城を住まう 都市、住宅、近代」と題する公開シンポジウムを聴講してきた。目的は、テーマのひとつ「探偵小説のトポロジー 横溝正史と成城のまち」である。成城の街と正史の創作との関連を論ずる内容だが、詳細は省略。時間配分が三十分しかなかったので、ちと物足りなかった。

 それはそれとして、聴いていて気付いた点がひとつ。村落共同体を物語の基盤に据えたいわゆる岡山ものの対局に、郊外生活を基盤に置いた「白と黒」がある。そしてその中間に位置する、主として東京を舞台にした作品も数多くある。

 「白と黒」のようにはっきりと打ち出されてはいないが、これら東京ものもまた、都市生活・郊外生活を基盤にしているのだ。ということは、書かれる作品が岡山ものから東京ものへと変わった時、物語構築の土台が根こそぎ変わり、それに伴って作劇法も大きく変わったと考えられる。今までそういう視点で読んだことはなかった。ただ単に舞台が東京だ、という意識しかなかった。

『この湖にボート禁止』 G・トゥリーズ 福武文庫

●『この湖にボート禁止』 G・トゥリーズ 福武文庫 読了。

 相続した湖畔の家に引っ越してきた、主人公の少年と妹と母親の三人家族。受け継いだ品に含まれていたボートを湖に漕ぎ出したところ、後になって近所の地主に怒鳴り込まれた。湖にボートを浮かべるのを禁ずるというのだ。地主の態度に不審を覚えた少年と妹とは、仲間と一緒にその秘密を探りにかかる。

 予想外の拾い物であった。まあジュブナイルだから、と期待しないで読み始めたら、これがなんと面白いではないか。人物造形は分かりやすく、ストーリーも分かりやすい。後半の転調も、クライマックスの盛り上がりも、確かなもの。きちんと伏線も効いている。背景となる過去の物語もちょいと魅力的。そしてとにかく、文章が面白い。思わずにやりとするような表現や、感心するような視点が散見される。作者の才気がこぼれるようだ。

 訳者あとがきによると、この作品はシリーズになっていて続編が四作あるという。調べてみると、そのうちの一作が「黒旗山のなぞ」という訳題で出ているそうな。読みたいと思ってちょっと探してみたが、近隣の図書館にもないし古本でもすぐには見当たらない。ううむむ……

『森下雨村探偵小説選』 論創社

●『森下雨村探偵小説選』 論創社 読了。

 短めの長編二編と評論・随筆という構成である。

「呪の仮面」
 犯罪組織との闘争を描くスリラー。どこかで読んだようなエピソードの連続で、こいつはちと厳しい。

「丹那殺人事件」
 一歩一歩着実に捜査を進める様子を描く地味な作風で、私の好みである。こっちはじっくりと面白く読めた。それどころか、感心した。関係者が事件についてディスカッションするのも楽しい。細部にまで神経が行き渡った結末も、満足できる。様々なピースが納まるべき所に納まると、気持ちいい。

 意外性のキモは(伏字)にあるが、その演出も構成がしっかりしていてこそ、である。捜査が進展する大きなきっかけとして偶然を持ち込んでいるのがちと弱いけれども、何しろ昭和十年の作品である、このくらいどうということはない。

 最後に、ストーリーとは直接関係ない余談だが、戸倉と高須の温泉旅行が羨ましい。温泉宿にゆっくり逗留して退屈してみたいものだが、そんな旅が実現する日が来るだろうか。