累風庵閑日録

本と日常の徒然

第十五回「横溝正史が手掛けた翻訳を読む」

●午前中は野暮用。

●帰宅して昼寝してから、横溝プロジェクト「横溝正史が手掛けた翻訳を読む」の第十五回をやる。

◆「砂嚢」 バロネス・オルチ (昭和十年『新青年増刊』)
 レディ・モリーの事件簿シリーズの一編。一年前、裕福な女主人が殺された。今は弟がその屋敷の主人になっている。モリーの助手メリーは、命じられてその屋敷に女中として住み込み、内情を探り始めた。

 そう上手くいくのか、と思わないでもないけれども、トリッキーな佳作。論創社版も訳題は同じ。ところが内容が大きく違っていて驚いた。論創社版を読むと、そう上手くいくのかという疑問は生じない。また、人間関係に関してもより自然に思えるような情報がきちんと提示されている。それに対して新青年版は、重要な情報が大量にカットされているのであった。当時は抄訳が当たり前だったのだろうが、それにしたってちと乱暴すぎやしないか。

◆「写実主義」 リチャード・コンネル (昭和十年『新青年増刊』)
 裕福な画家ヘンドリック。美術評論家に酷評され、可愛いあの娘にゃ結婚を断られて、しょげ返る。お前は本当の生活というものをしたことがないから、描く絵に技術はあるが心がない。あなたみたいに人生の修行をしたことがなくて本当の絵が描けない高等遊民とは結婚できません。そこで彼は思い立つ。一晩外套無しでベンチで過ごしてみよう。呑気なものである。ベンチで寒さに震えている彼の隣へ、ルンペンがやって来て意気投合。身の上話を始めた。

 都市奇譚の衣をかぶったホラ話。結末は小気味良いが、本当の人生に触れるって意気込みはどうした、という気もする。

◆「有翼獣の部屋」 ヴィンセント・ブラウン (昭和十年『新青年増刊』)
 逃走中の泥棒二人組。気が急くあまり自動車の運転を誤り、事故を起こしてしまった。立ち往生していると、ありがたいことに近くの屋敷の主人が現れ、泊めてもらうことに。主人の語るところによると、十年前弟が盗賊に殺されたという。殺害現場は、寝室であった「有翼獣の部屋」である。

 怪談めいた語り口の、皮肉な物語。心理的な伏線が気に入った。

●この日記をアップしてから、夕方になってまた出かける。横溝方面の飲み会があるのだ。

『甦る名探偵』 ミステリー文学資料館編 光文社文庫

●『甦る名探偵』 ミステリー文学資料館編 光文社文庫 読了。

 角田喜久雄「霊魂の足」がベスト。複雑な犯罪の経緯がよく考えられている。梅雨時の湿気に悩まされる加賀美の様子が執拗に描かれ、この作者らしいねっとりとした雰囲気が迫ってくる。そして、ビールが旨そう。

 楠田匡介「雪」は、その密室ネタは発表当時どの程度斬新なものだったのか。それとも逆に陳腐だったのか。当時の位置付けはいかに。という点が気になる。

 大坪砂男「三月十三日午前二時」は、破天荒でスケールの大きな真相が面白い。これが大坪砂男作品の標準的な味わいなのだろうか。こういう癖の強い作風は、アンソロジーで一編だけ読むならいいが、買ってある創元推理文庫の個人短編集を読むのはちとしんどそう。

 飛鳥高「犠牲者」は、アンソロジーなんかで何度か読んだが、再読してもやっぱり面白い。ロジカルなアプローチで奇抜な真相に到達する展開は、地に足の着いた奇天烈さとでもいうべき味わいがある。

●本が届いた。
朝顔金太捕物帳』 横溝正史 捕物出版
 金太シリーズ全編が一冊にまとまるのは初めてのことで、しかも初出時の挿絵も収録されているなんざ、なんと素晴らしいことか。捕物出版さんからは今月のみならず、来月も再来月も、佐七以外の横溝捕物小説が刊行される予定である。全力で応援したい。

●先日問い合わせした某図書館から返事をいただいた。思ったより早くて、ありがたいことである。資料のコピー代は先払いだというので、早急に対応する。

織姫かえる

●注文していた本が届いた。
『ルパン、100億フランの炎』 ボワロ=ナルスジャック サンリオ
『織姫かえる』 泡坂妻夫 文藝春秋

 久しぶりの古本買いである。宝引の辰捕者帳の最終巻は文庫落ちを待っていたのだが、もういい加減待てなくなってしまった。

『ランポール弁護に立つ』 J・モーティマー 河出書房新社

●『ランポール弁護に立つ』 J・モーティマー 河出書房新社 読了。

 法曹界を舞台に、様々な人生模様をちょっとした皮肉とユーモアとを交えて描く人情噺、ってなところ。登場人物達の個性が際立っているし、ちょいちょい笑えるところもあるしで、読んでいて退屈はしない。人情噺によくある湿っぽさもない。だが、私の好みからすれば積極的に読まなくてもいい作風である。そんな中あえてベストを選ぶなら、ちょいと捻りのある「ランポールと闇の紳士たち」になる。

●某図書館に、横溝関連で問い合わせのメールを出した。現在リアクション待ち。図書館のサイトに「お時間がかかりますのでご了承ください」と明記されているから、気長に気長に待つことにする。

『紫甚左捕物帳』 横溝正史 今日の問題社

●『紫甚左捕物帳』 横溝正史 今日の問題社 読了。

 十一月に捕物出版から刊行予定の『不知火捕物双紙』に、紫甚左も収録されるという。そっちで読んでもいいのだが、せっかく買ったのだからこっちで読む。収録作は紫甚佐シリーズの二編「富籤五人男」、「妻恋太夫」、人形佐七シリーズの二編「金色の猫」、「二人佐七」、そして非シリーズもの二編「妖説孔雀の樹」、「白狼浪人」である。

「富籤五人男」は、後に改稿されて左門捕物帳の「朧月千両異聞」となり、さらに改稿が重ねられて人形佐七の「悪魔の富籤」になっている。これら三作の読み比べは、三年前にすでにやっている。その他の五作品は、春陽文庫および、出版芸術社論創社の単行本に収録されている。結局、本書収録の全作品は既読ということになる。それでも、せっかく買ったのだからこっちでも読む。

◆「富籤五人男」
 読み比べの時の感想を以下に再録する。

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 宴席の座興として富籤を買ったお大尽。もし当たったら当選金はその場にいる五人で山分けと決めた。さらに、途中で誰か死んだらその取り分を生き残りで分けるという決め事までしてしまう。さて富突きの日がやってきて、買った籤がなんと千両に当たったのはいいが、当選金を山分けにするはずの五人組のうち、三人までもが続けざまに殺されてしまった。

 現実の事件と狂言の内容とがシンクロする趣向は面白いが、せっかくの富籤の設定があまり活かされていないのがちと心細い。推理の要素に乏しく、主人公の同心紫甚左は当て推量で真相に到達する。捕物の主人公というよりは、読者に真相を提示するナレーターの役割を果たしているのである。
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 左門版は、登場人物の名前が違うくらいで実質的には同じ作品。佐七版はかなり違うようだがまるで覚えていないので、今回再読してみた。出版芸術社の『江戸名所図絵』に収録されている。これも六年前の感想を再録しておく。

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 情報提示の段取りが整理されて格段にすっきりしている。富籤の趣向がちゃんと活かされている。犯人が変更されて、ミステリ的な意外性も用意されている。ここまで改変されるとこれはもう、「富籤五人男」を原案として新たに想を練り直した新作と言っていいだろう。
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◆「妻恋太夫
 出版芸術社の『奇傑左一平』で既読だが、内容はすっかり忘れているので、初読同然である。茶屋で密会を重ねる男女。男は猿回しの銀之助、女は金座役人の囲い者でお駒。ある日お駒が殺され、銀之助は行方不明になる。事件が起きた晩、密かに銀之助を想っていた茶屋の娘お島のところへ、羽子板を手にした銀之助の猿が血まみれになって現れた。殺されたお駒は、羽子板を蒐めていたという。

 ありふれた情痴犯罪だと思われた殺しが、公儀が大騒ぎするような大事件へと発展する。終盤のツイストが面白い。

 改稿版人形佐七バージョンは、「お俊ざんげ」の題名で春陽文庫『三人色若衆』に収録されている。比べてみると、基本的な骨格は同じ。最も大きな改変は、お島に相当するお俊の役割である。改心した元掏摸で、題名にもなっているように準主役級の扱い。それに伴って冒頭部分も変わり、人の動きがより自然になっている。関係者が減り、殺人の件数も減っている。そればかりか枝葉が整理され、全体がスマートになっている。個人的には佐七バージョンのほうが上出来だと思う。

◆「金色の猫」
 冒頭で描かれる佐七一家の一幕は、とんとホームコメディである。手慣れた書きっぷりで、正史が佐七ものに愛着を持っていたというのが伝わってくる。

 この作品での立役者は辰五郎で。意図的でないとはいえ、やったことは随分罪作りである。その因果応報なのかどうか、殺しの下手人としてしょっ引かれるなんてな酷い目に遭っている。

 念のため、春陽文庫『ほおずき大尽』に「音羽の猫」の題で収録されているバージョンを確認してみた。変更点としては、佐七の探索手順、伏線、死体の処理といったところ。春陽文庫版の方が多少は洗練されていると思う。

◆「二人佐七」
 佐七が離魂病にかかり、本人の知らないうちにあちこちで勝手なことをやらかしているらしい。ある日とうとう身に覚えのない殺人の疑いで捕らえられてしまった。

 これはどうも、あまり上出来とは言い難い。設定は安直だし、解決は(伏字)ってしまうし。この作品の注目ポイントは、「金色の猫」の続編になっている点。他にこんな関係の作品はあるのだろうか。一応シリーズ全部読んだはずだが、読んだそばから内容を忘れてしまうので、どうも判断できない。

 ついでに、春陽文庫『坊主斬り貞宗』に「離魂病」の題名で収録されているバージョンを確認してみた。「二人佐七」では子分が辰一人だったのが、こちらでは豆六も加わっている。結末の描写がわずかに増えた以外は、ほとんど変更点は無し。

◆「妖説孔雀の樹」
 出版芸術社の『菊水兵談』に収録されている。極彩色の樹木怪談。というより、この凄まじさは怪獣小説と言った方が相応しいか。将軍の御連枝たる孔雀姫、我儘三昧で御乱行甚だしく、町人共も眉をひそめている。両国の川開きの晩、見物に出た孔雀姫を種子島で狙撃した者がいる。危うく狙いが逸れて姫は無事だったが、川の上は大捕物の大騒動。

 川開きの夜、怪漢が追っ手を逃れて舟から舟へ、ひらりひらりと飛び移りつつ逃走するというモチーフは、「夜光虫」その他いくつもの作品に取り入れられている。横溝先生ってば、よほどこの情景がお気に召したと見える。歌舞伎かそれともルブランのルパンか、発想の元となった題材があるのだろうか。

◆「白狼浪人」
 論創社の『横溝正史探偵小説選III』に収録されている。わずか四十ページで終わらせてしまうには惜しい伝奇小説。千羽に一羽の紅鶴を巡り、雲に乗る白狼を操る妖術師犬神典膳と、典膳を父の仇と狙う若武者吹雪源三郎との闘い。終盤の急展開とあまりのあっけなさ、省略の甚だしさに驚く。

八人の招待客

●電車に乗って街に出て、書店に寄って本を買う。
『八人の招待客』 Q・パトリック 原書房

●今回出かけた目的は、本の購入以外にふたつある。某施設を覗いてみることと、某美術館の展示を観ること。ところが途中で気が変わった。散歩がてら某施設の場所だけ確認して中に入らず、テキトーに昼飯を喰って、帰宅。美術館はまたの機会に。日曜だからきっと混雑しているだろうと想像すると、もうそれだけで行く気が失せた。

『蘭郁二郎探偵小説選I』 論創社

●『蘭郁二郎探偵小説選I』 論創社 読了。

 からりとして明るいトーンの文章がやけに読みやすい。論創ミステリ叢書で時々出くわす、妙にねちこい文章や文学臭をまとわりつかせた文体に比べると、もうそれだけで好感が持てる。

 月澤俊平シリーズが、予想以上の快作揃いであった。都会の冒険綺譚、犯人当て、密室殺人、不可能犯罪、といった趣向が目白押しである。各編ともに非常に短く、びっくりするくらいあっけない結末が多いけれども、器や看板だけであっても濃厚なミステリ風味が味わえると嬉しくなる。

 シリーズ中で最も魅力的なのが、「慈雨の殺人」で書かれた謎であった。からからに乾いた夏の炎天下、視界を遮るもののない野中の一本道で、突然男が倒れて死ぬ。遠くで目撃していた者が駆け付けると、死体はびっしょり濡れていた。

 例外的に中編である、昭和十八年の「南海の毒杯」も秀作。衆人環視の海岸での不可能犯罪や、死体消失の密室殺人といった謎と、後半になって思いがけず広がる舞台設定と、主人公月澤俊平のいかにも型通りの名探偵ぶりと。そういった読者を面白がらせる道具立てが多く、退屈しない。解決部分にちょいちょい荒っぽいところはあるが、一応は全てが収まるべきところに収まるし、真相は破天荒だし伏線は効いているしで、あっぱれ一編のミステリに仕上がっている。時折漂う時局臭が鼻について辟易するが、書かれた年代からしてやむを得ないだろう。

 少年探偵王のシリーズはどれも十ページに満たない掌編で、展開も真相もなんとも他愛ない。だが、そこに満ちているミステリ趣味のなんと濃厚なことか。消失する自動車、アリバイトリック、足跡のない殺人、密室殺人とにぎやかで、たとえそれが器や看板だけであっても楽しい。月澤俊平シリーズと同様である。

『大はずれ殺人事件』 C・ライス ハヤカワ文庫

●『大はずれ殺人事件』 C・ライス ハヤカワ文庫 読了。

 安心して楽しく読める、ライス印の秀作。序盤は、単純なテーマのように思える。殺人予告を公言した人物が、その後実際に発生した殺人事件の犯人かどうか。ところが物語はたちまちのうちに発展し、拡散し、様々な人間と様々な過去の出来事とが絡む複雑な様相を呈してくる。

 全体のスピード感が素晴らしい。新婚のジェークが新妻ヘレンと二人きりになろうとするといつも邪魔が入るという繰り返しのギャグを散りばめ、登場人物達の軽快な会話とアクティブな活躍とが面白く、ぐいぐい読める。

 彼らの魅力的な造形も読み所。たとえば、すっかり意気投合したジョージとウィリスのオヤジコンビや、強面のギャングとして登場しながら実は真面目で仕事熱心、途中からすっかり気のいいニイチャン扱いされてしまうジョージィなんか。高性能の爆弾でも呑んでいるような気がする、テネシー特産の本場のコーン・リカーを携えて南部からやって来た、ララメイも忘れちゃいけない。

 結末での犯人を限定するロジックは、ん? と思わないでもないが、細けえことを気にするような作品ではないので、その辺りはどうでもいい。関連する、誰が犯人かではなく誰が犯人ではないかを示すロジックが、ちょいと面白い。

『キャッスルフォード』 J・J・コニントン 論創社

●『キャッスルフォード』 J・J・コニントン 論創社 読了。

 途中で大まかな真相に気付いてしまったので、意外さは感じなかった。けれど、ミステリを面白くする要素が存分に詰め込まれており、読んでいる間はとても充実した時間であった。その要素とはたとえば、関係者の行動についての分刻みの検証、散りばめられた多くの伏線、練り上げられた犯行計画、秀逸な(伏字)、といったところである。よく整ったミステリは、真相が見えていても面白いのだ。

 登場人物の造形も鮮やかで、その点でも読んでいて飽きない。人間臭いユーモラスな人物もいれば、弱さ、愚かさ、卑しさ、といった特性を帯びてきっちりネガティブに描かれた人物もいる。

『正木不如丘探偵小説選II』 論創社

●『正木不如丘探偵小説選II』 論創社 読了。

 長編「血の悪戯」がなかなか快調。大平刑事とダンサー宵の明星との会話が、思いがけず軽快でさくさく読める。どことなく漂うとぼけた味わいも好ましい。大平の隣室に住んでいる、病院からこっそり脳みそを持ち帰って研究している医学生なんか、いいキャラクターである。

 昭和五年の作品で、血液型が医学的新知識として扱われているのがいかにも時代を感じさせる。アーサー・B・リーヴのクレイグ・ケネディシリーズで、これぞ最新の捜査手法! 犯人を特定できる指紋鑑定! なんてやってるのと同様な、ぐるっと一周回って今読んでこその面白さがある。それはいいのだが、読み終えた感想は、なんだこりゃ??

 その他は全般的に低調であった。コメントを書きたいと思ったのは次の二編くらい。「細菌研究室(マイクの前にて)」はちょっとしたコントで、「血の悪戯」と同様のとぼけた味が私好み。「遺骨発見」は、書かれていない膨大な物語が背後に感じられる異様な優品。巻末解題でも触れられているが、香山滋を連想した。