累風庵閑日録

本と日常の徒然

「改造社の『ドイル全集』を読む」プロジェクト第七回

●「改造社の『ドイル全集』を読む」プロジェクトの第七回として、第二巻を読み始める。今回は「シヤアロツク・ホウムズの冒險」の前半六編を読む。訳者は延原謙。いまさら感想でもないけれども、いくつかコメントしておく。

「ボヘミヤの醜聞事件」は短編第一作だからか、キャラクターを特徴付けようと気を配っている様子がうかがえる。「花婿紛失事件」は結局、何も解決していないのでは。

「ボスコーム谷の惨劇」は地味な作品ではあるが、観察と推理と過去の因縁というホームズ譚の特徴がよく出ている好編である。「口の曲がった男」にはちょっとした伏線があることに初めて気付いた。迂闊なことである。

『暗い鏡の中に』 H・マクロイ ハヤカワ文庫

●『暗い鏡の中に』 H・マクロイ ハヤカワ文庫 読了。

 展開の起伏を優先するために、ちょいちょい偶然を頼りにしている部分には引っかかった。だが全体は良く練られていて、様々な要素が収まるべきところに収まる真相は気持ちいい。詳しくは書けない物語全体の結末も、これはこれで意外である。

 残念なのは、晶文社の『歌うダイアモンド』で短編バージョンを読んでしまっていたこと。着地点をぼんやりと覚えている。それがなければ、もっと強烈なサスペンスを感じられただろう。フォスティナの動作がだんだん鈍くなってくる描写なんざ、なかなかの不気味さである。

●書店にでかけて本を買う。
『線路上の殺意』双葉文庫
 著者として鮎川哲也、西村京太郎、夏樹静子、山村美紗の四名がずらずらと並んでいるが、編者である佳多山大地の名前は巻末解説にしかない。不思議な作り方であることよ。

『帽子蒐集狂事件』 J・D・カー 論創社

●『帽子蒐集狂事件』 J・D・カー 論創社 読了。

 創元推理文庫の『帽子収集狂事件』をいつ読んだのか記憶が定かでないが、三十年以上昔なのは確実。当然内容はすっかり忘れているから、初読同然である。それでも、読んでいるうちになんとなく思い出してきた。したがって犯人もメインのネタもさほど意外に感じなかったが、そのシンプルさは買う。

 終盤で語られる、アーバー氏がロンドン塔から帰るときになぜ驚いていたか、というエピソードには強烈なサスペンスがあって秀逸。これぞカーという些細過ぎる伏線も、依怙贔屓している身としてはお馴染みの味わいで嬉しい。巻末解説では横溝正史の長編との関連が指摘されているけれども、むしろ某短編の方に直接的な影響が表れているように思うのだが。

 本書は、高木彬光翻訳セレクションと銘打たれている。趣旨からすれば訳文を味読するのがまっとうなアプローチなのだろうが、私は単純に作品を楽しませてもらうことにした。

 それでもあえて訳文に関してコメントするならば、読んでいるとどうも状況がはっきりしない箇所がある。その辺りを創元推理文庫版で確認すると、すっきりと把握できる。完訳版の方が当然、情報量が多く描写がきめ細かくなるので、副読本的に活用したわけだ。私にとって本書は、高木彬光が訳したという歴史的価値で読まれるべき本である。

 同時収録のJ・B・ハリス「蝋人形」は、グロテスクな味わいがちょっと面白い。

●書店に寄って本を買う。
『真・餓狼伝 巻ノ五』 夢枕獏 双葉社

『香住春吾探偵小説選II』 論創社

●『香住春吾探偵小説選II』 論創社 読了。

 西萩署のシリーズ全五作は、どれも上々の出来栄えであった。第一作「吾助の帰宅」の序盤までは、個性的で破天荒な人々が繰り広げる、犯罪が絡むどたばた劇だと思ったのだが。その予想はいい方向に覆ることになる。

 物語はしっかり練られていて、複数のエピソードが奇妙に関係してくる意外さがある。予想外の方向に転んでゆく展開で、事件の真相がどこに着地するのか興味が湧く。警察の捜査の模様もきちんと描かれて、その方面でも私好み。全五作とも甲乙つけがたい。

『幽霊男』 横溝正史 角川文庫

●隙間時間で細切れに読んでいた、『幽霊男』 横溝正史 角川文庫 をようやく読了。来週末に開催されるオンライン横溝読書会の課題図書である。内容に関するあれこれは、レポートを兼ねて読書会当日の日記に書くことにする。

国会図書館から、「幽霊男」の初出誌のコピーが届いた。申し込みから三週間かかるとのアナウンスにもかかわらず、二週間ほどで対応していただけた。ありがたいことである。欠号があるし、駒場日本近代文学館を利用すればその補間もできそうだが、揃えるのが目的ではないのでこれでよしとする。

●これから読書会当日までには、読みながらメモしていた内容を整理したいし、会向けにちょっとした資料も作りたい。時間を確保できれば、この作品をベースにした改作である「江戸の陰獣」と「浮世絵師」も読んでおきたい。コピーの内容もチェックしたい。課題図書を読み終えても、やることはまだまだあるのだ。

『真鍮の家』 E・クイーン ポケミス

●『真鍮の家』 E・クイーン ポケミス 読了。

 途中まで宝探しへの興味が中心で、殺人の謎への興味が背景に引っ込んでいるのがちと心細い。だが読み終えてみれば殺人に関してもきちんとひとネタ盛り込んであり、なるほどそういう趣向かと納得する。

 隠し場所ネタについては、(伏字)っている状況に、なるほどそういう趣向かと感心する。

 物語の起伏の大きさと、その起伏の一因にもなっている登場人物達の多彩さとによって、読んでいる間ちゃんと面白いのも満足である。解決部分のひとネタもちょっと感心したのだが、もちろん詳細は書けない。

『若さま侍殺生剣』 城昌幸 桃源社

●『若さま侍殺生剣』 城昌幸 桃源社 読了。

 中編が二編収録されている。
「おどろ踊り」
 武州武甲山に巣くう狐遣いの集団。その討伐のため忍藩が差し向けた一行に、若さまが紛れ込んでいた。若さまは、江戸で起きた怪事件の遠因が武甲山にあると知って、真相を突き止めようとやってきたのであった。

 いつもの捕物ではなく思い切って伝奇小説に振り切った作品。なんと、人狐入り乱れての妖術バトルが描かれる。こういうカッ飛んだ作品も、たまに読むなら面白い。

千姫万姫」
 柳沢家の一粒種万姫が、男を引き入れて色狂いをしているとの噂が立った。これではまるで吉田御殿の千姫である。柳沢家の親藩からの依頼で、この件を丸く収めて欲しいと若さまが頼まれた。

 若さまの活躍がどうも少なかったのがちと残念。けれどもそれ以外は、忍者や侍のアクションがあり、お家にまつわる陰謀があり、の娯楽編。全面的なハッピーエンドではないけれども、全てが収まるところに収まる結末は気持ちがいい。さっと読むには十分の面白さである。

『殺人をもう一度』 A・クリスティー 光文社文庫

●『殺人をもう一度』 A・クリスティー 光文社文庫 読了。

 先日読んだ「五匹の子豚」の戯曲バージョンである。小説版の記憶がまだ新しいうちにと思って手に取ったのだが、その判断は正解だった。事実上の再読で細かい部分まで覚えているので、状況の裏の意味が逐一分かる。

 こうやって読んでみると、いやはや大変な上手さで。表の意味と裏の意味と、どちらもぴたりとはまって違和感がないように人物が配置されている。

 以下、戯曲版についてコメント。弁護士ジャスティンは主人公カーラの母キャロリンの有罪を信じており、事件の再調査の手伝いを依頼されてもあっさり断る。ここでカーラの婚約者ジェフが登場。小説版では影が薄かった彼だが、戯曲版ではちょいと嫌な奴。ジャスティンはジェフの言動に反発して意を翻し、再調査への協力を決意する。ちょっと熱い展開ではないか。

 回想部分を一幕で演じることでテンポは速くなったが、その裏表として解決部分がやけにあっさりしている。複数の証言を合成して事件を一度しか語らないやり方は、多方面からじっくりと情報を積み重ねてゆく丹念さが薄れていることでもある。

 事件の真相は小説版と同じだが、物語の着地点がちょいと違う。見え見えではあるがその結末がいい感じだし、エイミアスが描いた絵の解釈も面白い。こいつは読んでよかった。

「仮面の恐怖王」

光文社文庫江戸川乱歩全集『ぺてん師と空気男』から、「仮面の恐怖王」を読む。終盤の展開に関わるから詳しくは書けないけれども、ふたつの点でシリーズとしてはかなり異色なのではなかろうか。

 もうひとつ。初めて明智小五郎と話す敵役が、世間ではおれのことを恐怖王と呼んでいるなんて自己紹介するのが可笑しい。ジュブナイルによくある、その頃世間では寄ると触ると恐ろしい怪盗の噂を……のような記述が全然無いのに。シリーズ後期にもなると、そういった丁寧さが失われてしまうのだろうか。

●お願いしている本が届いた。
『帽子蒐集狂事件』 J・D・カー 論創社
 高木彬光翻訳セレクションである。論創社からは今後も高木彬光の本が数冊出るとのこと。先々楽しみである。

●書店に出かけて本を買う。
『シカゴ・ブルース』 F・ブラウン 創元推理文庫

『赤沼三郎探偵小説選』 論創社

●『赤沼三郎探偵小説選』 論創社 読了。

 収録作中のベストは「地獄絵」で、主人公マイトの徳の造形が秀逸。不敵な物腰の、炭鉱夫の棟梁。荒っぽい鶴嘴稼業連中を統べるだけの、度胸と侠気とを備えている。物語開始時点では、ストライキを指揮して炭鉱の現場に籠城中。なんとこの人物が探偵役を務めるのである。

 対立している炭鉱主の、夫人が誘拐された事件を行き掛り上追及することになる。さらには追及の過程で発覚する(伏字)事件の犯人捜しにも取り組む。ただし展開はマイトの徳の傑物ぶりを描くことが主であって、事件の謎とその解明に対する興味は従だけれども。

「狐霊」は、北洋の蟹工船を舞台にしたハードな復讐譚。マイトの徳と方向性こそ違うが、船長の器の大きさが光る。「髑髏譜」と「寝台」とは、人の心の闇を描いて秀逸。特に前者は、見かけは怪物に見えない怪物がおぞましい。

 他に気に入った作品は、落語とマッドサイエンティストネタが融合したような「不死身」、題名が効いている「天網恢々」、コンパクトに上手くまとまっている怪奇小説「やどりかつら」、同じく上手くまとまっている「人面師梅朱芳」、湿っぽい人情咄かと思ったら意外にも……の「翡翠湖の悲劇」といったところ。