累風庵閑日録

本と日常の徒然

『松本泰探偵小説選III』 論創社

●『松本泰探偵小説選III』 論創社 読了。

 ネガティブな感想を書いた部分はごっそり非公開。そうすると、公開できる部分はわずかしか残らない。この本は私の好みではない。

 「濃霧」は主人公が盲目なるが故のサスペンスかと思ったらそうでもない。途中からのまさかの展開に驚いた。「黒猫の眼」は、ほのぼのとした味わいすら漂う素朴なジュブナイル

『シャーロック・ホームズの知恵』 長沼弘毅 朝日新聞社

●『シャーロック・ホームズの知恵』 長沼弘毅 朝日新聞社 読了。

 そつなく簡潔に書かれた、オーソドックスなシャーロキアン本。という捉え方はもちろん間違いなので。既存の基準に照らしてオーソドックスなのではなく、本書こそがまさしく基準となるべき基本図書なのである。

 ドイルの熱意は歴史ものにこそ向けられていた。ホームズのモデルはベル教授である。この二つに通説に対して、ドイルの親族が異を唱えていることは本書で初めて知った。また、ベル教授の推理のエピソードがいくつも紹介されているのが興味深い。

 著者自身がウォーミングアップと述べている通り、あまり突っ込んだ内容ではない。だからこそ広く浅く様々な項目に満遍なく目が配られて、シャーロキアンではない私でも気軽に楽しめる。

●今年から、長沼弘毅の一連のシャーロキアン本を読んでゆくことにする。年一冊だと読破までに九年もかかってしまうから、もう少しペースを上げたいところではある。実際はどうなるか分からないけれども。

『魔都』 久生十蘭 朝日文芸文庫

●『魔都』 久生十蘭 朝日文芸文庫 読了。

 流麗な文章で語られる、複雑怪奇な都市綺譚。新聞記者古市加十の登場で幕を開けた物語は、やがて複数に分岐し、合流し、再び離散し混淆し、変転止まるところを知らず。デマと嘘と勘違いとすれ違いとが交錯し、欲と嫉妬と野望と思惑とが入り乱れる。

 読み終えてみると、(伏字)? といった疑問がいくつか、あることはある。だが、そういった問いはおそらく無意味なのだ。数々の疑問は、魔都東京の朧にかすむ夢幻の向こうに漂い消えてゆくのである。

 残念だが、手に取るのが十年か二十年か遅すぎたようだ。面白いことは無類だが、今の私には長過ぎる。気力も集中力も、今より確かに旺盛だったその昔に読んでおくべきであった。日曜の一日読書を離れて気力を整えてから、月曜から取り掛かって読了するのに四日もかかってしまった。

『証拠は語る』 M・イネス 長崎出版

●『証拠は語る』 M・イネス 長崎出版 読了。 

 教授連の奇矯さと、殺人の真相について彼らが主張する奇説珍説とがひとつの読み所。その辺りの味わいはユーモアミステリというより、真顔で冗談を言うタイプの可笑しさがある。

 一番気に入ったのは、アプルビイが被害者の下宿に話を聴きに行くシーン。大家は、ある店子が引っ越した理由が「うるさい」だったことに大いに憤慨している。こんな静かな家がうるさいだなんてとんでもない。そんな会話が行われている周囲では、猫が鳴き犬が鳴き牛が鳴き鳩が鳴き無数の小鳥が鳴く。掃除機は唸り台所では洗い物中で食器がガチャガチャ。屋外の水車が回って衝突音をたて、その振動でマントルピースの上のグラスがカタカタ鳴る。どこからかエンジンの響きが聞こえてくる。

 結末の展開は読みごたえがあるし、最終的にたどり着いた真相も満足。今年の特に面白かった本一冊目である。(伏字)というツッコミどころはあるが、この書きっぷりではあまり気にならない。ロジック回りの細かいことにこだわる作品ではないのだ。

●今年から、長崎出版のGem Collectionを読んでいくことにする。全十六巻のうち十五冊を、年五冊ずつ読む三年計画である。

 第五巻のマイケル・イネス『アリントン邸の怪事件』は、同じ訳者の手になる改訳版を論創海外で読了済みなので除外する。論創海外版の訳者あとがきには、誤訳を改め読みやすいよう訳文を書き換え、ほぼ新訳に近い仕上がりだとある。そちらを既読なので、さすがに長崎出版版を読む気はしない。

●書くタイミングを逸していたのだが、注文していた本が数日前にが届いた。
人形佐七捕物帳 七』 横溝正史 春陽堂書店

『甲賀三郎探偵小説選III』 論創社

●『甲賀三郎探偵小説選III』 論創社 読了。

 甲賀三郎って、ページ数の割に複雑すぎるネタを盛り込む癖があるのだろうか。最後の二ページくらいで、二重三重に入り組んだ真相がぶちまけるように明かされる作品がちょいちょいある。伏線も推理の過程もなく、ただ真相だけがいきなり探偵の口から語られるのだ。そういった、探偵が事件を解決するのではなく作者が真相を説明するタイプのミステリは、どうも私の好みから外れている。

 そんな作品が多かった手塚龍太シリーズ七編の中では、「傍聴席の女」、「緑色の犯罪」といった辺りが気に入った。前者は裁判が題材な事もあって、二転三転する展開に引き込まれる。後者は殺人のネタはすぐに気付いたが、そのネタを支える背後の趣向が秀逸。シリーズのベストは「蛇屋敷の殺人」で、海外ネタをベースにさらに発展させる展開も、複数の趣向がからみあった真相も、共にお見事。

 シリーズ以外では「日の射さない家」が一番気に入った。途中までの怪談仕立てがちょいと読ませる。

『保篠龍緒探偵小説選II』 論創社

●『保篠龍緒探偵小説選II』 論創社 読了。

 第一巻を読んで作風は分かっている。冒頭の長編「白狼無宿」は、伏線やロジックや捻りや意外な真相といった要素を一切期待しなければ、それなりに読める。展開が速くて派手。格闘アクションが割と丁寧に描かれているのが、意外な面白さであった。

 だが、面白く読めたのはここまで。続く収録作でも「白狼無宿」と同様に、富豪を狙う怪賊と賊を向こうに回して丁々発止とやり合う侠漢ってな設定が繰り返される。主人公格の人物は、名前と性別と社会的立場とが違うだけで造形は全部一緒。どれも同じような味わいで、早々に飽きてしまった。一編だけ、「闇の骰子」だけは例外的に捻りがあって悪くないけれども。保篠龍緒って、ただただ自分の好きな物だけを書き続けた作家人生を送ったのだろうか。

『ぺてん師と空気男』 江戸川乱歩 光文社文庫

●さて、一夜明ければ新玉の春でございます。本年もよろしくお願い申しあげます。

●例年ならどこか手頃のビジネスホテルに泊まりに行って年を越すのだが、今はそんな状況ではない。寝ても起きても自宅のままである。こうなると正月なんて有って無いようなもので。という訳で朝飯はカレーを作る。煮干しと昆布の出汁と、レトルトのトマトソースとをベースに、しっかり大蒜を効かせてスパイス沢山の辛い奴。

●『ぺてん師と空気男』 江戸川乱歩 光文社文庫 読了。

 同時収録の少年探偵団シリーズ三編は去年のうちに細切れに読んだ。昨日から読んでいた表題作を午前中に読了。なんとも頼りない作品である。短編で済むような本筋に、膨大な小ネタ中ネタを絡ませて長編としての体裁を整えたような。

 というのが終盤までの感想であったが、読了して変わった。かさ増し、あるいは装飾と思えた数々の要素は、結末を補強する作用をしているのであった。ちょっと感心した。

●正月なんか無いと言っておきながら、都合のいい部分だけ正月を持ち出す。今日は正月だから特別に、昼酒をかますことにする。肴は鰰を焼いたの、蟹味噌、仕込んでおいた蕪の甘酢漬け、はんぺんを焼いて山葵醤油。日本酒の吟醸をちくっとやる。

●ここからは、今年の展望や目標を書いておく。と言っても先のことがまるで見えないのだが。

◆去年から引き続き、春陽堂書店の佐七全集が継続。柏書房から横溝ジュブナイル集の刊行予定。先々楽しみなことである。

◆遅くとも春までには、横溝関連で始めた個人的取り組みが形になるはずである。他に横溝関連ではオンライン読書会を継続したいし、オンライン飲み会も続けていきたい。

◆本は、論創ミステリ叢書を読み進めていきたい。年内に二十五冊くらいは読めればいいのだが。その他の本も含めて合計百冊も読めれば上出来である。

◆旅行について。去年の年間旅行予算をほぞそのまま繰り越したので、今年の予算は例年の倍である。だが、たとえ予算が潤沢だからとて、それを使う機会があるのかどうか全く分からん。

 映画について。去年は楽しみにしていた作品が次々に公開延期になって閉口した。今年はどうなることか、全くわからん。

年内最終更新

●年内最終更新である。今年は社会的には大変な波乱の年であったが、個人的にはさしたる影響もなく、むしろ電車通勤が減って楽になったほどである。

 飲みにも行かず旅行にも行かなかったので、生活のコストが大幅に下がった。金を使った対象は、生活必需品と本とがほぼすべてである。経済を回すなんて営みは、一握りの富裕層にお任せする。

●秋ごろまでは自宅で真面目に筋トレをしていたのだが、それ以降すっかりサボり癖が付いてしまった。体重は目標プラス一キロで定着。たかが一キロと言いたいところだが、この一キロが減らんのだよ。

●本に関しては、
買った本:百十三冊
読んだ本:百二十八冊
積ん読が十五冊減ったわけだ。個人的には、論創ミステリ叢書を百巻まで読めたのが大きなトピックである。

●読んだ本の中から特に面白かったもの、記憶に残ったものを挙げておく。順位もコメントも無し。

・『キングとジョーカー』 P・ディキンスン サンリオSF文庫
・『わが子は殺人者』 P・クェンティン 創元推理文庫
・『蜘蛛と蠅』 F・W・クロフツ 創元推理文庫
・『サンキュー、ジーヴス』 P・G・ウッドハウス 国書刊行会
・『ポジオリ教授の事件簿』 T・S・ストリブリング 翔泳社
・『トム・ソーヤーの探偵・探検』 M・トゥエイン 新潮文庫
・『真紅の腕』 アワースラー他 アルス・ポピュラア―・ライブラリー
・『知られたくなかった男』 C・ウィッティング 論創社

・『悔恨の日』 C・デクスター ハヤカワ文庫
・『ブラック・マネー』 R・マクドナルド ハヤカワ文庫
・『約束』 F・デュレンマット ハヤカワ文庫
・『金庫と老婆』 P・クェンティン ポケミス
・『最後の一壜』 S・エリン ポケミス
・『五匹の子豚』 A・クリスティー クリスティー文庫

・『細い赤い糸』 飛鳥高 講談社文庫
・『七十五羽の烏』 都筑道夫 光文社文庫
・『仮名手本殺人事件』 稲羽白菟 原書房
・『忍法創世記』 山田風太郎 出版芸術社
・『子供たちの探偵簿 1朝の巻』 二木悦子 出版芸術社

・『丘美丈二郎探偵小説選I』 論創社
・『千葉淳平探偵小説選』 論創社
・『竹村直伸探偵小説選I』 論創社
・『藤井礼子探偵小説選』 論創社
・『飛鳥高探偵小説選III』 論創社

・『横溝正史探偵小説選IV』 論創社
・『横溝正史探偵小説選V』 論創社

 例外として論創社横溝正史にだけコメントを付けておくと、『~IV』のジュブナイル時代小説「しらぬ火秘帖」は「神変稲妻車」のような味わいの超快作。途中途中がすべてハチャメチャに面白いので、未完であることがあまり気にならない。『~V』の「探偵小僧」は他愛ないジュブナイルだが、収録されている松野一夫の挿絵が凄い。

●今年も横溝関連のトピックが多くて幸せなことであった。春陽堂の人形佐七は順調に刊行を続けているし、誠文堂新光社金田一耕助語辞典』の刊行も大変な快挙である。

 横溝ファンによるオンライン飲み会が定期的に開催されるようになったし、オンライン読書会も四回開催された。こんな滅茶苦茶な状況だけれども、それならそれで楽しみ様はあるのだ。

細切れに読む

論創社の『加納一朗探偵小説選』は、長編が三作も収録されていて一気に通読するのはしんどい。来年に向けて細切れに読んでいくことにして、まずは「ホック氏の異郷の冒険」を読んだ。面白かった。感想は全部読んでから。

『歴史の話』 網野善彦 鶴見俊輔 朝日文庫

●頭がフィクション疲れを起こしているので、口直しに手に取った『歴史の話』 網野善彦 鶴見俊輔 朝日文庫 を読了。

「日本史を問い直す」という副題が付いた対談集である。読み手に相応の知識があることを前提に語られているので、半分くらいしか理解できなかった。その中で頭に残ったものを抜粋して箇条書きしておく。

・十四世紀、禅宗律宗の僧侶が勧進聖となって寄付金を集め、それを資本として中国と貿易をやって利益を貯める。それをさらに資本として寺院を建立したり橋を掛けたりする。これは一種の起業家と言っていい。

・『延喜式』によれば、鮑、鰹、海藻、塩はどんな神様にも捧げないといけない。日本の神は農産物よりも海産物の方が好き。

・農産物は全国で名前が同じで、これは文字という制度に組み込まれた世界。海産物は各地で名称が違い、制度に組み込まれていない。

・明治期に作られた学術語には意味の重層性が無い。外国から学問を輸入するときに大急ぎで一義的な訳語を作ってしまった。

柳田国男は、資料を選ぶ基準を作って大事な物だけ保存し、それ以外は林檎の包み紙にでもしてしまえと主張した。

豪農だと考えられてきた能登の時国家。その実像は大商人でもあり、北前船を複数持って巨額の取引を行っていた。蔵の中に保存されていた正式な文書ではそれが分からず、襖の下貼りになっていた断片を精査することで初めて判明した。どんな些細な資料でも軽視してはいけない例。