累風庵閑日録

本と日常の徒然

第十回オンライン横溝正史読書会『支那扇の女』

●第十回オンライン横溝正史読書会を開催した。課題図書は『支那扇の女』。昭和三十五年に単行本として刊行された作品である。併せて原形となった同題短編と、さらにその祖型である短編『ペルシャ猫を抱く女』も対象とする。

 参加者は私を含めて十人。会ではネタバレ全開だったのだが、このレポートでは当然その辺りは非公開である。なお各項目末尾に数字が付されている場合、(光)が付いていれば光文社文庫金田一耕助の帰還』のページを示す。無印の数字は、今年の一月に刊行された復刊版角川文庫のページを示す。

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◆まずは参加者各位の感想を簡単に語っていただく
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「原形版のワンアイデアからよくここまで育てたと思う。読み比べると、改稿する際の執筆法がよく分かる」
「冬彦春彦秋彦夏彦ときて、息子の名前が気になる。冬彦の姑が泰子、朝井の亡妻が康子で、どんだけやすこなのか」
(「息子の名前は梅雨彦だったりして」というコメントが)

「なんでトイレだよっていつも思う」
「この機会にやっと『ペルシャ猫を抱く女』を読めたので、それだけでも有意義だった」
「場面のサスペンスを重視した作品に思えた」
「お誘いいただいてせっかくだからと参加した」
「中高生の頃読んで、カウンテスという言葉にビンビン来てた。今回再読してその言葉の位置づけが再確認出来ていい機会だった」

「正史が改稿で作品をどうやって膨らませていくのかが見えて楽しい」
「朝井昭三はクズだけど、仕事ができて金があって頭が切れる」
「サスペンス調の話だと思った」
「読み比べたからこその面白さがあった」

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◆最初のお題
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原形版と長編版と、どちらに軍配をあげるか? ただし評価基準はおまかせ。

「原形版は解決があっけなくて物足りない。物語としてしっくりくるのは長編版の方」
「長編版は、金田一耕助の推理がある。原形版はワンアイデア。推理で解決するか知識で解決するかの違いで、長編版の方が好き」
「長編版は、整っていた原形版にさらに足していっているのでいびつなところがあるけど、読み応えはある」
「先に読んだすりこみもあって、長編版の方がしっくりくる」
金田一耕助が現場に行って『明治大正犯罪史』を手に取る。長編版ではそのとき等々力警部にひとことことわってる(P34)けど、原形版ではそうじゃない(光P217)。そういった描写が足されているところもいいと思う」

 回答が少なめなのは、参加者のお答えのうち結末に触れたものをばっさり省略したから。

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◆改稿に関して
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「冬彦の姑の名前は泰子と加根子とが混在してるし、妹の名前は鶴子と田鶴子とが混在」
「この人達は最初と最後にしか出てこないから、うっかりしちゃったんだろうね」
「そのあたりおざなりな感じがして残念」

「この作品を長編化してまで残したいと思ったのは、冒頭の描写の素晴らしさも理由なんじゃないか」
「自殺するために走る女と必死に追いかける警官、その途中途中の目に見えるような描写がいい」
「細やかな背景描写もいい」
「車の梶棒をおろす牛乳配達(P18)」
「それはなんぼなんでもちょっと古いだろうと思った」
「正史は衣食住の食にあまり明るくなかった様子がうかがえる」

「長編化で警察サイドの人間が増えた」
「この時期以降、正史は所轄署を出したがる」
「『病院坂の首縊りの家』なんか、あちこちの巡査だとか警部補だとかが出てきて、警察の方が人数多いんじゃないかと思うくらい」
「等々力警部が金田一耕助のお守になっちゃってて、実質的な捜査をしていない。で、実働部隊が所轄署の人達なので、そりゃあ登場人物が増えるわな」
「都内とはいえどこでも等々力警部が出張ってくるんじゃなくて、ちゃんとその地域の警察が動くというのは、丁寧といえば丁寧」

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◆金と動機と
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「夏彦が朝井をかばうとき、年利の話を始める(P146)。犯罪で手に入る金の運用利回りよりも稼いでいる男が犯人のはずがない、という理屈の持っていき方がすごい」
「元本の金の魅力を考えないのか。二千万円は十分動機になるだろうに」
「正史さん、この頃に何か投資案件をお勧めされたのかな」
「この擁護の仕方は、夏彦の銀行家らしさの表れ」
「美奈子の資産をよく知ってるな」
「その一部を運用してたりして」
「朝井はマウントとるのが好きだから、夏彦の銀行に何口か預けてたんじゃないかな。恩着せがましく、預けてやるからお前の成績にすればいいよくらいのことは言った」
「うん、あいつはそのくらいのことは言う」

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◆『壺中美人』との相似
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『壺中美人』と同じモチーフ、同じ題材がいくつか指摘された。だがこれはデリケートな話題である。真相に関連して××が同じ、なんてうかつに書くと、片方だけ読んでいる者にとっては未読作品のネタバレになる。したがって差し障りのない項目だけを公開しておく。

「どちらも原形版短編を改稿して長編版にしている」
「成城が舞台」
「パトロール中の警官が女性にでくわすシーンから始まる」
「どちらも『女王蜂』のエピソードが挟まれる」
金田一耕助のご飯描写がある」
「『支那扇の女』の場合はトーストにミルク、半熟玉子に果物というシンプルな献立(P129)」
「普通だ」

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◆水洗便所
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 この作品では、水洗便所が重要な意味を持つ。同時に大きな疑問点にも関係している。詳細は公開できないが、作品のキモのひとつなので項目だけ立てておく。

「この家には風呂場ないのか?」
「凶器のまき割りは風呂のたき口にあった(P79)から、風呂はあった」

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横溝正史の書き方について
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「美奈子は、継子の小夜子に対して一度はよい母になろうとしたけど、結局周囲の者がやめさせた(P78)。継子の面倒を見ろと言われるよりは、そっちを放置して二階で生活している現状の方が楽といえば楽」
「その辺、正史の生い立ちにつながるものがある。義理の母と血のつながらない姑がいる世界」

「山川警部補はふとっている(P58)、服部警部補は金太郎みたいにまるまるとふとっている(P133)」
「円満なキャラはこうやってふとっている」
「戦後十年ちょっとでこんなふとったひとが何人も出てくるのか」
「夏彦も肉付きがよくて円満なひとがら(P96)」
「体形が性格を表している」

「原形版では、不動橋から線路まで数十メートル(光P202)だけど、長編版だと十メートルほどに修正されている(P16)」
「こういうところから飛び降りたら、電車にはねられる前に死んじゃうよね」
「数十メートルなら死ぬけど、十メートルでうっかり死に損なうと最悪」

「冒頭のシーンで、美奈子はパジャマの上にレーンコートを着てる。正史はレーンコートが大好き、あるいは信頼感をもってる」
「『八つ墓村』でも、美也子が辰弥と一緒に三宮を発つときにレーンコートを着てる。たぶん普通のオーバーコートのつもりだったんだろう。『壺中美人』のときも、車に乗ってるのにレーンコートを着てる」
「外出着のことをレーンコートと書きがち」

「AI横溝ができたら、そいつが書いた新作ではみんな外出の時にはレーンコートを着て長い睫毛をふっさりさせる」
「店の名前はモナミ」
「胡散臭いホテルは聚楽荘」
「麗人劇場にストリップを観に行く」
(この辺りはみなさん悪ノリである)

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◆『ペルシャ猫を抱く女』について
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「三作品のなかではこれが一番すっきりしてると思う」
「あのネタを殺人と結びつけるのは弱い」
「一発ネタだけの話」

「了仙は悪行者の基礎形ともいえる。ただしこの人は権力もないし道場も持ってないので、墓の前でなんとかするしかない」
「ネチネチしてる」
「もとが了仙というネチネチキャラだから、朝井がこんな嫌な奴なんだ、と納得した」
「嫌なところが煮詰まって改稿版に活きている」
人間性がより嫌らしくなって仕事ができる感じにしたら、それが朝井になった」

ペルシャ猫って明治の頃に日本にいたんだろうか」
「小道具としては豪華だけど、モチーフ的には支那扇の方が楽なはず」
「貴族感を出したかったとか」
「克子がモデルになるときにどこからか借りてきたのかな」
「それはたぶん、人は人、猫は猫で描いたと思う。ペルシャ猫サイズのなにか静物を持っててもらうか、もしくは克子が猫を飼っていたならそれを抱いてもらうとか」
「これはやっぱり三毛猫じゃだめなんだろうね」
「三毛猫や狆では和のテイストになってしまう」

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◆省略
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現実の成城の地理についていろいろ四方山話があったが、省略。
角川文庫のカバー絵についていろいろ四方山話があったが、省略。

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◆ネタバレ非公開部分のキーワードだけならべておく
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ドタバタ感とお前かよ感、牛乳配達は毎朝同じ時刻に来る、引き金は『悪い種』、改稿に伴う人物造形の変化、強引な動機と効率の悪い犯罪

作品上の小夜子の役割、長編化に際しての正史の気配り、偽装らしい偽装、クズにしては扱いが優しい、唐突な色合いの変化、脳内片岡千恵蔵、急にハードボイルド、金田一耕助は有名人、画家の名前の暗喩

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◆その他小ネタいろいろ
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「原形版では牛乳屋が美奈子の胸をつかんでた(光P206)けど、長編版では腕になっている(P21)」
講談社の『新版横溝正史全集第十巻』に収録されている原形版では腕になってるから、たぶん胸が誤植」

「美奈子が病院で睡眠薬をひと箱飲んで自殺を図った。そんな薬どこで手に入れたのか」
「その点はたぶん正史自身も気づいていて、長編版ではセルフツッコミをやってる(P43)」
「我々の手落ちです、ってとりあえず先手を打ってあやまってる」

「泥棒が横行してるのにパトロール中に不審人物にぶつかった警官はいないと書いてある(P13)けど、後の記述(P86)では垣根を越えて往来している泥棒を取り逃がしたことがあると書いてある」
「往来しているのを見かけたってのは、住民の目撃証言だったのかもしれない」
「『スペードの女王』でも同じような泥棒が出没する。もしかして実際に成城でこういう事件があったのかも」
「成城の高台エリアにはアパートやマンションがなく戸建てばかりなので、泥棒にとってはやりやすい環境」

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◆なんとなくのまとめ
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 この作品の犯人はとても計算高い。『壺中美人』の犯人もちょっとは見習ってほしい(とんだトバッチリ)