●第九回オンライン横溝正史読書会を開催した。課題図書は『迷路の花嫁』。昭和二十九年に新聞に連載された作品である。参加者は私を含めて十人。会ではネタバレ全開だったのだが、このレポートでは当然その辺りは非公開である。なお各項目末尾に数字が付されている場合、去年復刊された角川文庫のページを示す。
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◆まずは参加者各位の感想を簡単に語っていただく
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簡単なひとこと感想をお願いしたら思いがけずいろいろ語り始めたお方が何人もいて、スタートダッシュが頼もしい。
「登場人物の心情にあまりときめかなくて、ツッコむ気力も掘り下げようという気力も湧かない」
「松原浩三がヒーロー?ヒーローね、うん、がんばれ!って感じ」
「家庭小説として読んだ。この作品は、悪党の被害を受けていた者達が主人公を中心に疑似的な大家族になっていく物語。そこから正史の家庭観、家族観が読み取れる。血がつながっているだけでは他人の集合体で、過去につまずいたり失敗したりした人をお互い認め合って助け合うのが家族だ、というもの」
「それはいいんだけど、過去の過ちを赦して悪党の脅迫をはねのけて一緒に支え合って生きていく決意をしたのが、上野の連れ込み宿というのがすごい設定。全然色っぽくなくて、感動して泣いちゃうくらいいいシーン。正史は恋じゃなくて愛を書く作家」
「主人公松原浩三は、正史自身が今まで出会ってきた小説家仲間が投影されているような気がした。そして登場人物達が過去の失敗を助け合う姿は、正史自身が小説家仲間に助けられてきた過去を投影している」
(ええはなしや。このお方の感想の後半はちょっと感動的なのだが、ラストシーンに触れるので非公開)
「松原は金持ちで時間もあって行動力もある。ヒロイックな人物として描かれていたのが、後に別の側面が見えてくる」
「多門のろくでもなさが胸糞悪いが、ほのぼのするシーンがところどころにあって、それが中学時代の自分の心に触れたのかと思う」
「評価できない点は、途中で薬子の殺人がどうでもよくなってくるところ。金田一耕助がいなくてもよくなっちゃう。いい点は、イケメンが悲劇のヒロインを救ってくれていろんな物買ってくれて居場所も与えてくれて他の女性も救ってくれて、というところ。こういうのはダメな人は本当にダメだと思うけど、私はハーレクイン的なものが好きなので刺さった」
「この作品は青春の書。中学生のころ読んで、建部多門側の視点に立って性癖が捻じ曲げられた」
(他の参加者から、だめじゃん、という容赦ないツッコミが)
「まだ幼かったので、女性達の悲しみや諦めを全く読み取れてなかった。今回再読してその辺が丁寧に書かれてあることが分かった」
「新聞連載なので、推理小説の形式をあきらめている。『雪割草』で一回新聞小説をやった経験を踏まえ、飽きさせないために場面展開を多くし、多数の登場人物を出して群像劇にしている。新聞連載の書き方を確立させていった作品なのかなと思う。この書き方が、ゆくゆくは団地内の群像劇である『白と黒』になる」
「久しぶりに読んでも、昔読んだときの気持ちと同じでぼろぼろ泣いてしまった。松原が魅力的でかっこいい」
「エロサスペンスでありヒーロー小説。中盤以降は悪漢対ヒーローの対決になってる」
「戦後横溝と言えば探偵小説であり金田一耕助なのでこの作品もミステリ仕立てになってるけど、さっきも話があったように『雪割草』と同系統の作品だと思った。家庭の様々な場面を描いていく小説」
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◆最初のお題
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この作品は不思議な人気を持っているので、お好きな方にどこが響いたのかを語っていただきたい。
このとっかかりに沿う形で、ある参加者からリクエストがあった。恋愛要素を感じてきゃっきゃっうふふしているのはどの部分なのか聞きたい。ご本人はあまりそういう方面にはピンとこなかったと仰る。この発言でなんとなく、最初のテーマは恋愛要素についてということで話が広がっていった。
「正史って、恋愛が進行するプロセスを書くのが下手」
「照れがあるよね」
「浩三が夏子にモーションかけると言って(P87)から五日目くらい(P104)にもう駆け落ちしてる」
「途中経過を全く省略しているので、いわゆる性愛描写の方が目立ってしまう」
「恋愛小説としてはそんなに上手とは思えない」
「女性は口説かれるとすぐに涙ぐむ。初々しいとはいえるけど」
「他の横溝作品の男女カップルと同様の関係がそのまま出てくる。そっちでは幸せになれなかったカップルが、ここでは幸せをつかむ。愛の力をアンサーソング的に書いてる感じ」
「恋愛小説というより、関係者の一致団結感で読んだ」
「恋愛の進行のテンポがやけに速い。浩三と夏子とがこれから鶴巻温泉に行こうというとき、この段階でもう「奈津ちゃん」呼びしている(P112)」
「距離感を縮める速さよ」
「そう呼ばれた夏子も涙があふれそうになっている」
「横溝作品では、女性が涙ぐんだら恋に落ちてると思っていい」
「あんまりラブロマンスな感じはしなくて、お見合いで相手を世話してもらうみたい」
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◆松原浩三について
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「途中からスーパーマンになってしまう」
「金で解決できることはなんでもできる」
「その金も悪いことをした結果ではなくて、株と不動産に投資をして得た」
「金持ちという属性が、度胸がいいという造形の説得力になっている」
「馴れ馴れしくてもチャラ男ではない」
「けろっとして懐に入ってくる」
「夏子が不快に感じた言動も、あとで思い返してみれば真意が分かる」
「リカバリーできる」
「育ちのよさが出ちゃってる」
「正史がよく表現するアドベンチュラア」
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◆建部多門について
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「薬子の住まいは呉服屋の滝川直衛に建ててもらった家で多門の所有ではないのに、我が物顔でずかずか上がり込む」
「多門はどこでも我が物顔」
「連れ込み宿『田川』でおしげの旦那の岩崎がいても、我が物顔」
「葉巻を応接間の絨毯に投げつける描写(P344)がいやだった」
「横溝作品には怪しげな宗教家が何人か出てくるけど、その中でも多門は格下」
「薬子が殺されてからぱっとしないので、本人はたいしたことない」
「この作品は、多門が落ちていく様を観ているのが楽しい」
「ほどよい悪人で小者」
「だから、ざまあみろと思える」
「周囲の女性が消えると弱っていくなんて弱いにもほどがある」
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◆蝶太について
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「なぜ蝶太をこういう設定にしたのか」
「瑞枝を実の母親と思い込ませる必要があった」
「母性に訴えかける役割」
「赤ん坊にしちゃうと千代吉の車を引っ張れないから体としてはしっかりしていて、でも頭は純粋で天使みたいな設定にしないといけない」
「田舎の親戚に送ることもできず、不憫で手放せないという理由付けにもなってる」
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◆金田一耕助について
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「今回の金田一耕助はにやにやしたり事件現場で口笛を吹こうとしない」
「不用意な発言をしない」
「犯罪マニア的な態度を見せない」
「一歩引いた大人の金田一耕助」
「小田急で多門の目から夏子を隠すためにさりげなく立ち上がる(P115)」
「終盤のある場面(P287)で、黙って立ち去る金田一耕助がかっこいい」
植村欣之助は、金田一耕助ともう一人と、二人の人物に事件の調査を依頼している。角川文庫では「金田一耕助というひとともう一人のひとに」と書かれてある(P203)。このもう一人とは何者なのか。ところが、この記述は正史の意図を反映していない可能性がある。
この個所の新聞連載時の記述は、「金田一耕助というひとそのひとに」である。初刊本の桃源社版では、「金田一耕助というひとと、そのひとに」である。角川文庫は春陽文庫を底本としているので、上記の文章は春陽文庫で書き足されたものである。桃源社版で不用意に読点を挿入し、それを受けて春陽文庫で勝手に一人追加されたのかもしれない。
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◆年代について
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金田一耕助はこのとき別の事件を手掛けていた(P276)。その事件とは何か。考察を進めるにはまず、「迷路の花嫁」事件の発生年代が問題になる。新井刑事の発言(P237)によると、いまから二十五年前が昭和四年。ということは単純に考えて事件の年代は昭和二十九年になる。だが必ずしも二十九年で確定するわけではない。詳細は省くが、二十八年の可能性もある。
二十九年ならば手掛けている事件は「幽霊男」や「堕ちたる天女」など。二十八年ならば「花園の悪魔」、「不死蝶」といった辺りが候補になる。なお「壺中美人」の発生年は昭和二十九年と想定されるが、現実世界で「迷路の花嫁」が連載されていた昭和二十九年当時、「壺中美人」はまだ書かれていない。
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◆横溝正史の書き方
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「新聞に掲載されているので、主婦に読ませる意図がある」
「家庭にいる人が読んで感情移入しやすいつくりにしてる」
「『新青年』とか『宝石』とかの読者よりも、はるかに裾野の広い層がターゲット」
「細かな生活感のある描写が多いのは、その辺が理由」
「遠出をしない正史だから、家の中にいる描写がめちゃくちゃ上手い」
「誰でも知っている情景を細かく再現する正史の上手さと、それを読む気持ちよさ」
「あの一連の買物の場面は主婦の心を鷲掴みにしたと思う」
「洋服を買ってくれるし着物を買ってくれるし」
「指輪のサイズが合うとか合わないとかやってる描写(P162)が、あるある的な」
「二カラ、なんて言い方(P161)」
「一カラじゃないぞ二カラだぞ、という細かなこだわり」
「多門と恭子とのすれ違いのはらはら感」
「毎回の短い文章で次の日までひっぱりながら読ませる上手さと、後半のばたばたと物語を畳む速さとで、ああ連載だなと思う」
「白井喬司の通俗時代小説に近い感じを受けた」
「二階を見上げてほのぼのした(P224)なんて、連れ込み宿の描写とは思えないホームドラマ感」
「書き方がミステリじゃないよね」
「こういう裏があって事件が複雑になった、なんてミステリ的なネタを一切掘り下げず、さらっと事実を流すだけ」
「読み手としてもミステリの面白さが盛り上がってこない」
「浩三がどんどん先手をうっていく様子を楽しむ、コンゲーム小説のようなもの」
「個人的には後期の作品の方が性に合っていて、ミステリ趣味の出来栄えよりも物語として面白い方がいいので、この作品は大好物」
「序盤の設定が江戸川乱歩の中絶作品「悪霊」にそっくり」
「おそらく「悪霊」を踏まえて書き始めたけど、脇筋の方がどんどん面白くなっちゃった」
「自分の筆で書きだした部分が活き活きしてきて、最終的に序盤の話はどうでもよくなってくる」
「同じ部屋に三人いるだけのシーンが続く部分で、毎回違う絵柄になるように話を持っていってる。旅行中のシーンでも、二人で電車に乗っているところに次の回では人が増えてるとか場所が移動してるとか、同じ状況が続かないように書かれている。連載時に組んだ挿絵画家は楽だっただろうなと思う」
「事件が起きてるのが野方しかないのに、東京中を巡って舞台にしてる」
「地方の新聞に連載されたので、東京名所巡りの要素もあったかもしれない」
「「まんじ」の章(P104)にはっきりつなぎ目がある」
「まるで第一部第二部みたい」
「ここの継ぎ目が綺麗になってれば代表作のひとつになったかも」
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◆ぐっときた文章
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「千代吉と蝶太と大道易者との会話(P118)は、歌舞伎の世話物の口調にぴったり」
「口中を歯みがきだらけにしながら(P125)という描写が凄く好き」
「「はげしい音を立てて湯があふれた」(P127)の、はげしい音というのが大好き。こういうところだよ。ラブロマンスかどうかなんてことじゃなくて、こういうのが正史の表現の素敵なところ」
「浩三が夏子に向って「こっちへおいで……おい」という(P200)。三点リーダーのこの間にしびれた。涙ぐんだ夏子の目を浩三が吸ってるけど、それがこの間でなのか「おい」の後だったのか、それを考えるだけでご飯何杯でもいける」
「この同じタイミングで、下の座敷で多門がじれているのが哀れ」
「この対比は最高」
「ざまあみろ感がはんぱない」
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◆猫
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「あの猫たちはどうなったのか」
「なんの役割も果たしてない」
「洗いたい、と思いながら読んでた(猫を飼っている参加者)」
「血まみれの殺害現場を書きたかっただけ」
「角川文庫の裏表紙にある、不気味なイメージを設定するためにヤモリとクモと猫とを出してそれっきりもう出てこない」
「河村があのままあの家にいて猫の世話をさせられてたのかも」
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◆ネタバレ非公開部分のキーワードだけならべておく
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金田一耕助の看板、重要な役なのに駆け足、どうせ誰も覚えてないだろ?、最後に手を握る、みんなの癒しでありみんなの要、影が薄いんじゃないの、犯人設定は意欲的なのに、物語を転がすための偶然、入籍したのか。
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◆その他小ネタいろいろ
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「力を抜いてるキャラとそうでないキャラとの差がすごい。うっちゃられているお手伝いさん藤本すみ江とか、警官と書生の名前が同音の本多と本田とか」
「序盤に登場した警官、本多巡査がいろいろ面白い。猫に驚かされて、ちょっとビビってる(P19)。松原に一緒に来るようにいってる(P20)けど、普通はいわないでしょ」
「あとで、警部補に対して浩三と一緒に見たと報告しなきゃならなくなってばつがわるくなる(P24)」
「浩三の知人の作家が水谷啓助って、水谷準と渡辺啓助だよね」
「売れっ子でジャンジャン書いてるなんて、リップサービスしてる(P82)」
「土建屋岩崎の服装が、縞の背広に半ズボン(P216)」
「昭和の省エネルック的なものを感じる」
「サファリルックの一種かも」
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◆なんとなくのまとめ
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浩三の手助けがあったり自らの決断だったりで、変わることができた者が未来をつかむ物語。変われなかった者と変わることが間に合わなかった者は滅びていく。