●『二輪馬車の秘密』 F・ヒューム 新潮文庫 読了。
なにしろ十九世紀の小説である。大甘で冗長なメロドラマが延々続くものと覚悟して読み始めたのだが、全然そんなことはなかった。予想外に面白い。
舞台はオーストラリア、メルボルン。二輪馬車内で発生した殺人事件の犯人として、牧場主の青年ブライアンが逮捕された。目次に区分けはないが、ここまでが言わば第一部である。彼はどうやら、自分の無実を証明する情報を持っているらしい。ところが何か期するところがあって、それを話さないまま甘んじて死刑になろうとしている。婚約者マッジと、弁護を引き受けたカルトンとが、彼が隠す真相を求めて必死の活動を始める。
展開は地味で堅実。調査の進展に従って様々な背景が徐々に明らかになってゆく味わいは、いわゆる「足の探偵」の面白さである。終盤にはちとページが足りなくなったか、遠隔地の者に調査を依頼したカルトンが、重要な情報を丸ごとあっさり手に入れてしまう辺りは微笑ましいけれども。法廷ミステリの面白さもあるし、人物造形もなかなかのもの。物語の起伏もそれなりにあって、けっして古臭く退屈な作品ではない。これは読んでよかった。
今日の目で見てやや興醒めの部分がないではない。ブライアンの行動原理がいかにも古風だとか、後半は徐々に失速してメロドラマ色が強くなってくるだとか。だがそれは、今日の目で見る方が悪いのである。
ところで本書は、「横溝正史が手掛けた翻訳を読む」プロジェクトの下準備でもある。できれば来年には、正史訳の「二輪馬車」を読みたい。そこで、抄訳である正史版を読む前にまず、完訳の新潮文庫版を読んだのである。訳と作品とどちらが重要かといえば、もちろん作品の方だ。初めて接するのなら、当然完訳版を選ぶ。