累風庵閑日録

本と日常の徒然

「人形佐七捕物帖 般若の面」

●人形佐七の映画を観る。でもその前に、原作である「風流六歌仙」を先に読んで予習しておくことにする。春陽文庫なら第六巻『坊主斬り貞宗』に収録されている。内容をほとんど忘れていたのだが、これは意外なほどミステリ色の濃い秀作であった。江戸の芸能界を牛耳る、風流六歌仙と自称する六人が次々に殺されてゆくばかりか、それぞれの死体の上には彼らの似顔絵が置いてあるという派手な事件である。その絵は、パトロンであるお大尽がひとつの趣向として六羽の鳩に結びつけて飛ばしたはずなのだが。

 動機の分からない連続殺人の謎に、犯人はどうやって絵を集めたのかという謎が加わってちょっとしたもの。盲点をついた犯人設定はチェスタトンのアレを思わせて楽しい。終盤にはなんと、佐七がみんな集めてさてという趣向まで盛り込まれてある。

●さて、この原作を踏まえて昭和三十五年の東映映画「人形佐七捕物帖 般若の面」を観る。若山富三郎が人形佐七、大泉滉が辰五郎という配役である。基本骨格は原作と同じ。だが、原作では終盤まで伏せられている六歌仙の非道な所業をまず冒頭に置くことで、物語がわかりやすくなり、なおかつ人情噺の色が濃くなっている。わかりやすいというのは、動機も犯人も見え見えなのである。

 原作にない主要登場人物をひとり増やして、これも人情噺要素を担わせると同時に、立ち回り要員としても活躍させている。やはり大衆娯楽時代劇たるもの、立ち回りがなくちゃあならない。題名が「般若の面」になったのは、六歌仙の似顔絵が般若の絵に変更されているからである。原作にない要素で一番気に入ったのが、佐七が絵の謎を解くきっかけが描かれていること。といっても伏線だのロジックだのという話ではなく、東宝映画「悪魔の手毬唄」の蜜柑のようなものであるが。うむ、これは観てよかった。